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 煙草を吸えないところがどんどん増えている。見知らぬ人に健康を害されるのは嫌だけど、どうせ遅かれ早かれ死ぬじゃんかとも思う。
 少し冷たいくらいの風が吹いてるベランダで音楽を聴きながら吸う煙草や友人たちとあれやこれや話しながら吸う煙草や美味しいラテが飲める喫茶店で本を読みながら吸う煙草が好きだ。
 でも、ずっと手巻きで吸っていると、外で多く見かける紙巻きが臭いのは分かる。もちろん、手巻きもだけど、ちょっとむっとするような嫌な臭いはかなり少ない。味もちゃんと美味しい。
 完全な分煙を目指して欲しい。せめて屋根のある喫煙所を、三人も入れば狭苦しい喫煙所を広く、様子をみもって吸う人が増えればと思う。それで煙草がこの世の中がら消え去ってしまって困るかと聞かれれば特に困りはしない。なければないでよく、気が付けば吸っていない日も多くあるし、本やiPodと比べると必需品とは言えない。
 それでも、ヒッチハイクの途中で寄った海辺で吸う煙草や真冬のオールナイトのあいまに時間潰しに急いで吸う煙草や吸えなそうな喫茶店で吸える煙草が好きだ。紙巻きよりも手巻きの方が吸っているあいだの思考が明瞭な気がする。儀式的で良い。

 薫り高い美味しい煙草は、それと一緒になってしてたことを、後日何気なく吸っていると思い出す。その匂いにつられて、読んでいた本の映像が戻ってきたり、今となってはどのあたりか分からない土地の空気が蘇ったり、そのとき聴いていた音楽の歌を抜いた部分が流れたりする。そんな瞬間に、そのときぼんやり考えていたことの当面の答えが出たり、ヒントが見つかったりする。

 どうせ死ぬんだから健康的に全うしたいとは思いつつ、どうせ死ぬんだから哀れだろうが苦しかろうがそれもまたいいだろうと思いつつ、きっと、はっきりと煙草が原因でしかない病に冒されれば、そんなことも忘れてやめちゃうんだろうと思う。本を読めなくなるのは、聴ける音楽が減るのは、歩ける土地が減るのは悲しい。

 それはどういうのって言われると答えられないけれど、これは?と聞かれれば答えられる、ぬめっとした文体の小説が苦手で、なるべく、さっぱりした文章を読みたい。内容とか長短とか、良し悪しでなく。

 きちんとすれば、来年の四月には学生でなくなる。でも、極めて糖度の高いグレープフルーツをつくるぞ、とか、発展途上国で人の役に立つ事業を興すぞ、とか、伝説的なロックバンドになるぞ、とか、そういった夢や目標が一切なく、お先真っ暗で、あまりに真っ暗で焦りすらない。それで焦りすらないことや、つい先日に、それまでのあいだに最近やけにスーツ姿の人を見かけるなと思っていたら、とうに就職活動が始まっていたことに、焦りを感じている。工夫しなくても繰り返しでない仕事や意味不明な仕事で、毎月をなんとか生きていければそれでいいっちゃいいんだけど、何があるかしら。
 一日中山の中を駆けずり回って宿に帰って十キロ散歩しても疲れないのに、大して体を動かさない職場の上司の言動で疲れ切ってしまう。そういうもんさ、とは思うけど、素朴に不思議で、限りなく恬淡した人になりたいと思う。

 まわりの多くの人や目に届く範囲の無関係な人は、自分ができないことをー出来るように努力をーきちんとしていて、自分はその人たちができないことーしようと思えばできることーばかりしている気がする。自分が思うきちんとした人になっても、広い範囲で言えばいてもいなくてもいいのに、そうでない自分は狭い範囲ですらいてもいなくてもよく、そうじゃない自分だけの基準に即して言えば、大体の人は何をしようがしまいが存在していていいけれど、それだけで生存できればと非常に稚拙な考えでいる。
 無意味でも無価値でも生きていったっていいじゃないかと思う。取り柄も特技も特質もなにもなくても。生まれてしまったんだからさあ、と思う。それで悲観的かというと、そうではなく、感傷的心持ちでもなく、ほとんどを何とかなるかが占めている。根拠も一切なく、大変よろしくない。結構辛いことも多いヒッチハイクくらいの苦労で日々生きていきたい。

 原作を読まずに『寝ても覚めても』を観て、久々にほとんど丸々ハズレを引いた気分で、軽く元気じゃなくなった。東出昌大さんの八割の演技と震災絡みのシーンとそれぞれのシーンの千切れ方で疲れてしまった。ラーメン食べたり煙草吸ったりしながら小一時間話し込み、宮台真司さんの批評やレビュー群を読んでも、印象は変わらず。
 主題歌の『RIVER』が素晴らしく、勿体無さすら感じた。映画に写そうとして写らなかった部分をしっかり掬っているようで、書き下ろしだからその前提はおかしいけれど、映画に全く無関係でも完璧に成立する曲で、メロディも詞もオケも余すところなく良い。幾らか払って映画館でもう一度聴きたい。

 それで、河出書房から出てる原作を買って読み始めた。まだ数ページしか読んでいない。

 自分の内側に散らばってるものではなく、外に現実的に散らばってるものを集めて何かを作れる人を尊敬する。映画やコラージュやスタイリストや、頭の中にある散らばってるものを集めたものに、外で散らばってるものを集めて近付けているのかもしれないけれど、それでも、理想の形に仕上げることができる忍耐や集中力に恐れ入る。歌詞を先に書ける人もそれに類する。メロディがなければ歌詞が書けない。ほにゃほにゃ歌い続けて、だんだん言葉に聞こえ始めてこないと書けない。