2020字

『RIVER』をずっと聴いている。このまましばらく聴き続けると思う。飽きて、数ヶ月何年か先に聴けば、おそらく今のことを思い出すはず。
  ヒッチハイクをしていて、その間に繰り返し聴いていた曲を聴くと、そのとき考えていたことや、名前も知らない土地のことを思い出す。
 そうならない曲もたくさんあって、何がそうさせるのか分からない。印象的な出来事がなかった土地のことも思い出すから。聴いている最中で、きっと今のことを、いつか思い出すだろうと考えて、その通りに蘇ることもあるし、何も呼び起こさないことも、当然ある。

 田尻久子さんの『猫はしっぽでしゃべる』を読み終わった。もっと田尻さんの文章を読んでみたい。いつかヒッチハイクで橙書店へ訪れてみたい。いつか、は出来るだけ早くにくるといい。

 ここ二、三週間で、また本が読めるようになって嬉しい。しばらく読めずにいて、買っては本棚の前に積んでを繰り返し、読まなきゃな、読みたいなと思っていた。良い本は読み終わってから、一度か二度、記憶を消すことが叶えばいい。最初にその本を読んだ時の独特のざわつきを感じ直すのは難しい。

 生まれ育った町に愛着がない。北海道、東北、沖縄を除いて、うろうろして、非常に住み良い場所だとは思うけど、たとえば何か店をするとして、この町や人のために貢献したいという気持ちは起きない。というか、想像上では起きていない。
 もう、店主のこだわりとかこっち側の好みの問題じゃないだろって味や、セットとかの「とりあえず○○ってこんなもんっしょ」みたいな何かが見え透いたような乱雑さに苛立ってしまう。整っていれば、愛想が良ければ、とにかく美味ければ、それでいいってもんじゃないのはもちろん。
 いくつかの拠り所のような店と同じように、誰かが夜になって、何もしなくてもいいし何かしてもいいけど特に思い付かないし何故か退屈だと感じる、みたいなときに選ばれる店をしたい。で、色んなものに対して愛着が薄いことに気が付いた。なんかよく分からない置物とかマグカップとかポストカードとか色々あるけど、それがなくなってしまっても、また何か見つかるだろうしな、と思う。それそのものより、その位置に何かがあることの方が大事なのかもしれないけれど、愛着の話で大事かそうでないかは関係ない。
 でも、細々と買い集めて、一度店を出てやっぱり買うぞと戻って手に入れたようなものでも、想像の中では、また探せばいいや、別の何かが見つかるだろう、と思っている。

『寝ても覚めても』は数ページ読んで、そのまま読み進めるのを、ひとまず断念した。読めない。おそらく年内には読み終わらないし、来年末に読み終えているかも分からない。どの本もそうだけど。

 言葉の意味そのものより、その言葉を選んだ、その人の気持ちなり、なんなり、きっと選んだ意識はない発言に、うっ、となって、森やら川やらもないのに閑散とした町を歩いてるときみたいに生気を失ってしまう。それで傷付くとか、どうとか、何かあるわけではないけど、ただただ肩を落としてしまう。それで立て直す方法が分からず、そもそも何をそんなにくらったんだよと考え始め、適当なクセして細かいことばかり考えるなよ思い始め、そんじゃあ元気出すかとは思いつつ、やっぱり立て直す方法が分からないので、だいたいそのままでいてしまう。別に元気出さなくてもいいんだけど、何となく。

 軽いものをつまみながら本を読んで、このあとどっか行きたいなと思っている。煙草は吸えても吸えなくてもどちらでもよく、まあ吸えた方がいい、静かで暗くてソフトドリンクかコーヒーが美味しい店というのは、知る限りこの町には無く、さあどうしよう。はじめに行こうと思って、実際に行ってみて祝日休業だったため、別の場所へ行って、それで、なんがしかつまみつつ本読んで、ちらちらiPhoneで文字を打って、どうしようかというところで、さてどうしよう。

 駅前のチェーン店の喫茶店にかれこれ六年くらい通ってる。特段おいしいわけでも居心地が良いわけでもないけど、なんとなしに心地好い。
 粒マスタードとケチャップがかかったホットドッグとホイップクリームがのってキャラメルソースがかかったコーヒーを頼んだ。ソースがかかったところをスプーンですくって食べて、飲み込んでからホットドッグをかじる、のが美味いことに今さら気が付いた、というか、美味いと感じた。
 店の広さゆえに意味のない喫煙スペースで、立って煙草を吸いながら分厚い本を読んで、たまに前を通る人を眺めて、灰皿の縁にとつとつする。喫煙スペースに椅子さえあれば六年のあいだの来店回数が1.5倍か2倍になっていると思う。常連のおじさんは、そこに一歩半先にある椅子を取ってきて寛いでいるし、おそらく声をかければそうできる間柄ではあると思うけど、なんとなく言い出せない。