2010字

 近頃の天候が本当に気持ち良くて、電車に乗るのや家にいるのや気分が塞ぎ気味なのがもったいなく思う。この気持ち良さに乗じて、低い山に登ったり、冷たい川に触れたり、つまむものと飲み物を持ち寄って焚き火をしたり、長い散歩をしたり、何かそういったものがしたい。何かそういった、時間の流れがぐんにゃりすることをしたい。

 読み進めるうちに『七階』の印象が強くなったり弱くなったり、『コロンブレ』は自分の生きているなかでコロンブレなるものは現れるのかしらなどと考えたり、『神を見た犬』は『七階』の(カフカ的?な)奇妙さと他の小気味好いが教訓めいた話とを混ぜたような話だったなと思い返したり、『護送大隊襲撃』はよかったなあと考えたりしている。あと八編。しばらくブッツァーティを巡りたい気になっているが、話によっては妙に疲れて「教訓めいたのはもういいって」と思ってしまい、巡り中も思ってしまいそうで、何も併せ読もうかと考えているが、特に思い付かない。といっても、まだまだ今併せて読んでいるのもあり、焦らずともいずれ見つかるだろうとは思いつつ、毎度この手の焦りは消えないし、減りもしないし、むしろ増えている気がしないでもない。

 十七時を過ぎると途端に寒い。気持ちもそれに合わさったみたいに、いや合わさってなどいない、暗くなっていく。どれだけその日元気であろうと疲れていようと、疲れていなくとも、誰かといても、楽しく過ごしていても、毎日、毎度、夕暮れどきは気持ちがふさぐ。太陽と一緒に僕の何かも沈む。いや、一緒に沈んではいかない。ずっと好きで、でも年に一回か二回、はたまた一度も登らない山が、ベランダの定位置から見えていて、登らずともそれでよく、美しく、山と考えて浮かぶ山の形はその山に近く、それで、だから、登らずともそれでいい。強烈な夕焼けを避ける。

 実はまったく定着しない、それで、そのもの、それをしているときだけに存在していて、膠着せず、残り香もなく、新しい姿だけがあって、だから、それでよく、流れているあいだにしか存在せず、色形もなく、何次元かも分からず行ったり来たりして、それで、よく、始まりや終わりもなく開かれていて、開かれているのだから閉じていて、それでよく、頭の先からすっぽり包まれていて、温かさや湿り気もあり、冷ややかで乾いていて、光っていて、濁ったところは蠢いていて、音もある、音は鳴っていて、だから、それでよくて、ともあれ、それでよく。

 風がいつも違った方向から吹いてる。とても寒い。

『驕らぬ心』と『マジシャン』が短いながらに詰まっていて、考えていたこととも繋がって、良かった。短いながらに詰まっていて、考えていたことも繋がっていて、そのことが何故良いのか。長いと飽きて読めないからで、それでいてすかすかだと教訓!教訓!と思って疲れるからで、いつどこでも誰もが考えることだよなと、考えていることが一から十まで間違っているわけじゃないだろうという安心感を抱けて、だから、結局何故それが良いのかは分からないけれど、とにかくそういった点を感じて、良かった、良いなと思った。一見説明しているようで説明していない文章が好きではないし不必要だと思うけれど、言うは易しで、やはり難しい。やはりって?と思う。やはり、普段考えている通り難しい、と書きなよ。普段考えている通りって?と思う。やはり、一見言い得て妙だと思う言説の多くは、実のところ何も言い得ておらず、そういった文章を読むと、構文に則っただけのようで、そこでどん詰まりで、その感触に圧迫されて疲れてしまい好きではなく、そのような行き着く先のないものは必要ではないように思い、けれど、構文に当てはめて文章をつくることへの引力も分かっていて、何をどう言うのも易しいが、実際にそれを行うのは難しい、と書きなよ。と思いつつ、書きすぎだろとも思う。書き過ぎた部分を引いていく方が良いように思う。

 あと二編で『神を見た犬』を読み終わる。そうしたら数行読んでやめたメルヴィル の『漂流船』を読みながら、その次に読むものを見つけ出したい。とにかく最近の、本が読みたい!というのが消える前におもしろい本をたくさん読みたい。それでこの読みたい!が消えたあと、何をしたいのか、何をするのか、まったく、いつもと同じで分からず、それが恐ろしくて、出来る限り、読みたい!が続けばいいし、読みたい!が薄まってしまわない本を見つけ出したい。

 ほとんど、いつもの真冬と同じような格好で外に出てみて、少し暑いかなくらいで、いったい本当に真冬のときは何を着ているのか、というか毎年、冬に何を着ているのか。それでも、ほぼ無条件に外が心地好く、ほぼ無条件に外が心地好いことも心地好く、何を着てるかなんてどうでもいいよなと思う。何を着てるかで心地好さが変わるのに、わりと真剣にそう思い始めている。