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 このまま眠りたい、でもシャワー浴びたいというのを行き来して尚更眠りたい。阿久津隆さんの『読書の日記』を読んでいて、保坂和志さんの『試行錯誤に漂う』の引用や言及から、久々に読むかと思って本棚を探したけれど、ない。読んだことがなかったみたいで、読んだ気もしつつ何処にもないので、読んだことはない模様で、代わりに『遠い触覚』を読み直し始めた。この本を読むと、この本を読んでいた何処かの地下鉄の席のごとごととか、横並びの椅子の足元から出てくる温風とか、銀色の長い持ち手の冷たさだとかを思い出す。

『「いや、分かってますよ。」』を三行ほど読んで最近読み返したことを思い出したので、『ペチャの魂』をゆっくり読んでから『二つの世界』を読み始めた。
 そこで『「わかる」とは書き手が何を言おうとしたのかを理解することではなく、書き手と同じ思考をすることだ。哲学の存在論はその最もたるもので、「存在とは××××である。」と解説書のように理解しても意味はなく、哲学者が存在を実感した瞬間に接近して、手応えとして掴むことができなければ感動も興奮もない。』とあって、感動と興奮を覚えた。
 紙面に定着しているように見える文字群を使って、作家がその文章を書いていたその瞬間を、その瞬間に書かれるそばから漏れ出たその他の何かを、印刷された文章をそのように結実させた時間を、感じ取りたい。

 栃の実でつくられたらしい餅を食べて、栃の実を調べて、その見た目を好きになった。栗に似ている。栗の見た目はそれほど好きではない。それで本当に似てたっけと思って栗を調べると、普段食べている部分は種らしく、へえと思う前に、よかった似てた似てたと思って、それからへえと思った。栃の実は飢饉のときにもよく食べられていたらしいが、まさに死ぬほどの空腹であろうときのアク抜きの作業は、死ぬほど面倒だったろうなと思った。それで続いて木を調べると、どこかでこんなふうな実のなり方をしている木を見たことがある気がすると思って、思い出そうとしても、まったく分からない。山を這いずり回ってるときに見かけた気がしないでもない。

『遠い触覚』は『インランド・エンパイア』に関するもの以外をぱらぱら読み進めている。久々に読んで、ほとんど覚えてないことと、読んでいたときの風景や感触ばかりを思い出すことに気がついて、本を読むのが楽しい。それで、犬や猫、動物を飼うことに対して、異様に抵抗がある。それは、犬や猫を飼うこと、共に暮らすことを通じて、他では得難い経験をした人の話を読んだり聞いたりして「いいなあ」と思ってしまったことを思い出すからで、それは、そう思った自分は己を高めるためだとか人生をより良いものにするために犬や猫を飼ってしまうのではないかと思うからで、それは子も同じで、そういった庇護を与えるべき、というか、飼ったからには、誰かから託されたからには、産んだからには守り育てなくてはいけないということで、そういった何かに庇護を与えるべき状況を生み出すことに強い抵抗がある。
 子育てとともに成長するとか、犬や猫との日々で成長するとか、子や犬や猫の成長や死や何かとともに成長するとか、それ以上ないくらい素晴らしいことだと思うのだけど、それを少しでも期待してしまっている限り自分は、子を産むべきではなく、犬や猫を飼うべきではなく、いったいこれから先、そのようなことを思わずに、かれらとともに生きる日々がくるのかと、すこし不安になる。
 あまりにも前例があり過ぎて、前提だと思い、子や犬や猫が何をしても、愚痴をこぼすことが大きな間違いだと思ってしまう。夜泣きや我儘やいたずらや、すべて大前提だと思ってしまって、それでも実際に接すれば、きっと、なんだよーと思ってしまうことも明白で、なんだよーと思ってしまいそうだと思っている限り、かのじょらとともに生きる日々がくることはないだろうと、すこし恐ろしくなる。

 で、『インランド・エンパイア』に関するもの以外をぱらぱら読んでいて、それぞれの本にはそれぞれの読み方、思考回路の使い方、開き方があるよなとしみじみ思った。哲学には哲学の、科学には科学の、詩には詩の、小説には小説の。
 どの本も小説の読み方で読んでしまっている気がする。気がするというのは小説の読み方っていうのが何か分からないからで、それでも、どの類の本も同じ読み方で読んでいる気がしているのは事実で、もっと色んな本を、その本の読み方で楽しみたい。詩や短歌の読めなさ、楽しめなさはわりと深刻で、ほとんどまったく読めないと言ってよく、なぜ読めないのか、適当な考え以外は見当もつかず、悲しい。それでも、小説を書こうと思って書き進めていくと、必ず短歌や詩が出てきて、それが何故か分からないけれど、詩や短歌が読めないことと関係しているような気がする。

 気がすること全く分からないことが多過ぎて息苦しい。息苦しい気がする?と思う。息の長い小説を書きたいと思う。息の長い曲をつくりたいと思う。長いあいだ読まれる、聴かれるものをつくりたいと思う。読んで書きたくなる、聴いてつくりたくなるものをつくりたいと思う。