『キャロル』『愛しのアイリーン』『マイ・プレシャス・リスト』『教授のおかしな妄想殺人』『ビューティフル・デイ』『oasis:supersonic』『DON JON』『生きてるだけで、愛』を観た、ホアキン・フェニックスをもっと観たい、動くホアキンを観たい、安田顕も趣里もジョセフ・ゴードン=レヴィットも観たい、クールなケイト・ブランシェットも観たい、やっぱり物語どうこうでなくて、人ばっかりをずっとずっと観てる、もっと人を!と思いながら観てる、もっといい音楽を!声を!と思いながら観てる。
『oasis:supersonic』を何の気なしに観てから、ずっと避けていたoasisのいくつかの曲を買ってしまった。有名どころばかりだけど、他のは聴けないままだけど、やはり良い、すこぶるいい、めちゃくちゃいい。聴くと、物凄く広い牧草地が思い浮かぶのは映画を観たからで、そもそもは聴くと物凄く広い空間が思い浮かぶ、というか、広いんだろうなあって空間が聴いている己を起点に扇型に広がっていくのが繰り返される感じがして、広いんだろうなあ、広っ!を繰り返してる。The Beatlesとoasisを聴けば、The Beatlesかoasisみたいな曲しか作れなくなりそうと思ってから避けていたけれど、そんなことはなく、聴けば聴くほど素晴らしい。
『生きてるだけで、愛』は久々に、映っている人の体で観れず、普段も出来てるのか怪しいけれど、とにかくそんな風に観れず、我がことのように感じでしまってぐんにゃり疲れた。何かの総体としてのキャラクターは共感を呼びやすいのだろうし、多くの人は総体ではなくて、色んな要素で完成しているのは当たり前で、もちろん映画や小説の登場人物も完全に何か一つの要素だけで出来ている訳ではないけれど、ほとんどそのような姿形で、色んな要素に見えるものの根源は同じで、だから多分、数多い人のところ細い針になって飛んでいって刺さるので、そんなのを見事に分かりやすく、身体が疲れていたからだろうと思う、くらって、ごぼごぼ言っている。それにしても趣里の声が良い、あらゆるものを飛び越えてすり抜けてこちら側まで届く。ひさびさに、動く田中哲司を観れて嬉しい。
それにしても最近、昼の十二時をすこし過ぎた辺りで既に夕方みたいな陽が混じって差していて時間の感覚が変になる。『雪の練習生』は三つあるうちの二つを読んで、三つめの初めの方で止まった。興が醒めたというか、もういいかなと思ってしまい、でもまだ読了せずにいることが気持ち悪いので、近々読み終えるんだろうけど、読み終えていない本を読んだところまでで本棚に並べられるようになりたい。
穂村弘の『きっとあの人は 眠っているんだよ 穂村弘の読書日記』を読み終えた。終盤になると段々と読めなくなっていってぐいぐい押して読み終えた。何だろうか、またしばらく読めないだろうと思いつつ、歌集を読みたい。『ラインマーカーズ-The Best Of Homura Hiroshi』を買おう。これからは、引き続き『雪の練習生』『読書の日記』を読みつつ、長嶋有の『ねたあとに』か福永信の『アクロバット前夜90°』を読みたいと思っていて、それでもなんとなく、本を読めるのがもうすぐ終わりそうな予感がある。すこしずつ音楽が聴けなくなってきていて、Podcastを聴き始めている、これは決まったコースのようなもので、大抵いつも一緒に、本も読めなくなってしまう。できる限り保てばいいんだけど、と思いつつ願いつつ。
立っている乗客が一人、二人程度の混み具合の電車で学校へ向かう途中、乗り換えや駅から学校までの徒歩や構内の人集りやらを考えていると急に息苦しくなってしまった、二駅手前で降りた途端に気持ちが晴れて数歩進むうちに、学生だろうが、学校行けよ、もっと頑張ってる人いるぞ、着いたら着いたで頑張って来て良かったと思うだろいっつも、とりあえず帰りの電車のホームに行くふりして戻って来いよ、と思いつつ一度改札の前まで行って、同じホームに戻って数分後の電車に乗り、乗り換えをしてPodcastを聴きながら学校まで歩いて、席に座って本を開くと、めっちゃ簡単じゃーんと思って、体が少し楽になった。
その日一回目の交信は毎度ぅうぅぅうぃぃぅぅって感じで、これは手巻きだからなのか深吸いしてるからなのか分からないけれど、最後の交信から十時間くらいでこんななら、ほんまに依存性あるんかいと思い、過度でない限り俺はむしろ健康になっていってる気すらしつつ、火のついた葉や紙を吸い込むことが体に良い筈がないことは本能的にというか、どこか何かで分かってはいて、だからなんじゃいと思ってるところで、火が消えた。