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 胡散臭い人に惹かれてしまう。あまり例を見聞きしないけれど通念だろうと自分の中で考えていることや、例を見聞きした上でまあ通念だろうと思っていることから外れいて、その人以外にはその考えが通用しなそうで、けれど広く浸透していきそうな気配を感じる人に惹かれる。こちら側から見ていると当人は、その人生を貫く思想が通念から外れていることに自覚的であるように見えるけれど、本当は煩悶していて、だけど根っこの部分ではその思想を全肯定に近い形で認めているような感じがする人というのか、何というか。本当に胡散臭いのは、本当に胡散臭いってなんだそれ、通念にぴったりとくっついているような人な気がしてしまう。気がしてしまうというか、そう感じて今まで過ごしていて、騙されたことはないからいいのかもしれない。命や命を脅かす程度の金銭に関すること以外はどんどん騙されていくのが楽しいのではないだろうかとも思ってしまう。

 中島哲也監督の『来る』を観た。他に二作しか観たことがないのに『渇き』の印象が残っているのか、始まってすぐ「中島哲也監督の映画だー」と思って笑ってしまった。最初にかかっている曲を、観終わって数時間後までLEO今井が関係したものだと思っていたのだけどking kruleの『Dum Surfer』だと分かって、それでも、MVを見ながら聴いてもLEO今井の顔がずっとちらついている。それにしても格好いい。
 予告を何度か見て全く期待していなかったのだけど、かなり楽しめて、本まで買った。主だった俳優全員が素晴らしい演技で、荒唐無稽な物語ほど細部の強度が重要だよなとしみじみ思った。そしてやっぱり、このような映画でも実際にあった、ある物事、いた、いる人物だとどこかで思いながら観ていて驚いた。所々のシリアスな場面でちょっと笑ってしまうような言動があり、『SPEC』や『TRICK』が好きだからか妙な懐かしさというか、これこれ、みたいなのを感じて、一度もだらりとならず最後まで面白かった。小説を読まずとも、ん?と思うことはいくつかあれど、近いうちにもう一度観たい。

 何日か経ってから原作小説、澤村伊智の『ぼぎわんが、来る』を買って読んだ。久々にこういうのを読むと楽しい。どんどん進む。ぼぎわんの伝承の記述や前へ前へ進めさせる文体も登場人物の輪郭のくっきりした感触もどれも楽しめる。何故か野崎と真琴は岡田准一と小松菜奈で再生され、そのほかの人物の顔はもやもやしていた。
 それから比嘉姉妹シリーズということで『ずうのめ人形』を買って読んだ。『ぼぎわん』よりも怪異そのものよりも登場人物の暗がりが前面に出ていて、むしろ恐ろしい思いで読み進め、『などらきの首』も読んでみようと思い至る。
 ただやはり、こういった基本的には物語やトリックのようなもので駆動する小説は、読んでいて疲れる。突然細かな部分で馬鹿らしくなって読むのが止まってしまったり、入り込めなかったり、なかなかどうして、読んでいる小説に自分を合わせるというのは難しい。ただ映画から続いてどれも面白い。単なる面白さだけならここ数年味わったことがないもので、読み終わった今もわくわくが残っていて嬉しい。穿つように読むにも十分耐えうる娯楽小説というのは素晴らしく、そういうふうに読むなら『ぼぎわん』かなとも思う。

 映画や小説ってなんていいものなんだろう、とここ数日感動している。二週間くらい希死念慮というのか、何というのか、何があるでもなく不定期的に訪れる感覚に息苦しくなっていたところで、こういった今まで親しくしていたものから新たに、改めてこのような感覚を味わえるというのは、何をどのように考えても死ぬしかない、死ねば解決すると狂信的に考えていた自分を手触りは柔らかく大きく揺さぶってくれる。それにしてもずっと息苦しい。何気なく出来ていたことに息が浅くなってしまう。息が浅くなってるよ、深呼吸しようと後ろから声をかけても嫌な汗がじんわり背中に広がるばかりで意味がない。意味はあるか。早寝早起きしましょう。
 どのような人と関わっても些細なことで心臓がきゅうっとなってしまうなら、どんどん色んな人と関わろう、関わりたいと思う。どれだけ仲の良い人と過ごしていても、ふとした言葉にぐらっとしてしまう。本当に一体全体多くの人はどうやって日々を生き抜いているのだろう。コツみたいなのがあれば教えて欲しい。