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 何か考えごとをしたくて紙に書くと、字が思い出せなかったり書くスピードが追いつかなかったり見た目のバランスが気になったりして全然進まない。
 キーボードやフリックはその点では問題ないんだけど、簡単に書けすぎて、口喧嘩で言い過ぎるのに似たものというか、筆が滑るのとはまた違った、居心地が悪い場所にずっといる体の感覚に近いものがある。
 手書きとタイピングのあいだで書いてみたいけど、何があるんだろう。

 いや、本当に、こんな迷惑かけるつもりで生まれてきた訳じゃないんですよ、と色んな人に謝ってまわりたい気持ちがずっと続いている、色んな考え方の癖があって、当然それぞれがそれぞれの答えみたいなのに到達する速度が違っていて、一際速い、悪い方面で癖付いた考え方は何度も悲しい答えもどきを出してくる。
 それで、それがどうした?とも思う、何がどうあれ体は動くし、何かがずっと悲しいことが一体何を阻害すんだよと思う、でも体のどこかがずっと痛い、というかだから悲しいのかもしれない、ますますよく分からなくなっていて、それというのも所謂『BL本』的な漫画を何冊か読んで、『男性として男性を好きになる』ということを羨ましく思ったことが原因で、でもそれは関係もないし正確ではなくて、単純に定期的に「本当は自分は男性なのか女性なのか」と分からなくなるのが問題で、それも、分からなくなることの何が問題なのかと考えると何も問題ではないし、本当はってなんだよ笑って感じで、結構真剣にどうでもいい、社会的に言われている女性らしさ男性らしさの物差しで色んなところを測ってみると半々って感じで、全く学術的な根拠もないのに、じゃあこんな状態の自分は一体どっちなんだと分からなくなり、分からなくなったことで別にどうというわけでもないはずなのに、体が止まる。
 化粧っていいなーとかワンピースっていいなーとかヒールっていいなーとか思うことって、そういったものが美しい形で完結してる『女の人』がただ好きなだけなのかもしれない、今の段階では女性優位のものってだけで、どれもこれも根本的に女性性を含んだものではない気もするし、でも2019年を生きる『男性』としてそういったものを、『女性』が施してる、纏っている、履いているというのと関係なしに惹かれているというのは、なんなんだろう、それもやっぱり過去の『女性たち』を参照しているんだろうか、そのどれもに過去にそれらを美しく体現した『女性たち』の影を感じているんだろうか。
 でもパプリカよりピーマンが好き、三つ葉とパクチーは同じくらい好き、白より黒が好きというのと同じで、ただ服の一つの形としてワンピースっていいなーとか、ただ靴の一つの形としてヒールっていいなーとか、個々の形状の多様さに惹かれて化粧品っていいなーとか(コレクター的な観点で化粧品っておもしろーって思っているのは男性的なのかな)、思ってるんだとしたら、それを思って、あれ自分はどっちなんだ、と悩むのは結局それらを『女性』のものだと感じているからか。
 とは言っても肉体的にはどちらにも惹かれるというのは結局何?と思うままで、それでも『女性』の肉体については皮と骨だけに見えてしまうのと圧死するかもと思ってしまうの意外では特に、これだ!ってのはなくて、むしろ『男性』の肉体はギリシャ彫刻みたいなのを志向してしまうのは、それは自分自身がそうではないことへのコンプレックスの裏返しなのか、惹かれていることが『抱く/抱かれる』みたいな次元の話だとして、『同性』に抱かれるならある意味での完璧な姿でないと嫌悪感を抱くだろうと思っているのか、だから結局、自分自身は一体何に欲望があるのか分からなくなる。
『同性』はギリシャ彫刻的な体にのみ惹かれるというのは、上記の肉体的な意識以外にも、典型的な『男らしさ』のようなものを感じ取っているからだろうか、自身ではあまり発揮されていない『男性性』のようなものが遺憾なく発揮されているように見えているのか、結局それも、自分自身がそうでははいことのコンプレックスの裏返しみたいなものだろうか、というかだからなんだ?
 その日の気分みたいに変わって実際何の問題もないし、ただ揺れているのが不安なだけで、それさえどうでも良くなれば、揺れ動いていることが自身にとって普通だと感じることができれば、何も困ることはない、今日は俺は女、今日は私は男、というノリで。

 結局のところ、何一つ考えられていない。考えが深まるのを恐れている。浅いところを行ったり来たりして、同じようなことばかり思っている。 
 問題は、以前にも書いたような気がするが、別にそれもどれもこれも悩み事だと感じていないことで、それの何が問題か、解決されるべきモノじゃないからこそ終わりがないということで、誰かと共有して気持ちが楽になるとか、何かヒントをもらって解決するとかそういったことがない、ただ本当にそこにある、というか、そういうふうに思う何かしら機構なり癖なり仕組みなりがある。
 だからこうして書いていて、気持ちがすっきりするということもなく、書いていると書けてしまうから苦しさが増すし、書けないことの多さにも驚く。
 じゃあどうしてつらつらこんなことを書いているのか、何か書きたいからというほかない。

 今年は知らない街へ行くのが多かったからか、家にいることが落ち着かない、というか息苦しい、本を読むのもわざわざ外に出て行く。 
 分からない、出来ないことに振り回されている、じゃあどうすりゃいい?と本屋を歩き回って「これ!」って本を探して読んで、Apple Musicを巡って「これ!」って曲を探して聴いて、何をしているのか、何もせずにうんうん蹲っているよりは健康的なのかもしれないけれど、とにもかくにも息苦しい。
 それでここ最近読んだ三冊の方が、もう、ちょうど過ぎて、読書こえーよ、と思う。『デッドライン』『欲望会議「超」ポリコレ宣言』『まとまらない人』、とにかく千切れてぐらぐらしたままでもいいっちゃいいんだ、とかなり歪曲して癒される、でもよく思い出してみると、俺はそもそも何事につけてめちゃくちゃな物事を求めていたじゃんかと、凡庸である自身を破壊するものを求めていたじゃないかと思い出される、し、それ自体も非常に凡庸で、人間らしい志向という感じで何も思い悩むことはないという気分、0100050100しかない脳みそに25とか75とかを忍び込ませられたらいいのかもしれん、でもありとあらゆる物事が程度の差、所詮されど、でゲロ出る。

 それはそうと、突然まんまるの湖が見たくなって、最近増えているカーシェアサービスを利用して久々に車を運転した。片道三時間ずつくらいの行程で、割とあっさり完遂できた。 
 プレイリストを作らず、シャッフル再生で音楽を聴き続けた、こういう時って大体十数曲単位で「これだよこれ」とほとんど狂乱みたいな昂りをもたらす流れと、「次、はい、次、はい、次」とシャッフル再生の醍醐味を崩してしまう流れが交互に訪れる。
 乗り込んだ場所から二十分もすれば、車のライト以外は暗黒に近い明度しかなく、目がどんどん奥にめり込んで痛んでくる。パンフォーカスの写真みたいに前を見つめながら、時折なんらかのスナック菓子をつまんでいることそれは、ファミレスや家で朝まで駄弁ることとたいした差もなく、同じことが繰り返されている感覚を抱く。
 二時間運転してから小さめのサービスエリアで休憩を取る。お菓子を食べたせいで胃と胸が気持ち悪い、でも何かもっと塊を食べたい。
 足をばたばたしながら煙草を吸って、車に戻る。戻る前に水溜りに浮いているカマキリの死骸を見つけた。
 湖に着いてから、上から見ないとまんまるかどうか分からないことに苛立って、小石を投げ込み続けた。丸いのから平たいのまで、軽いのから重たいのまで、歪なのから端正なのまで、厚いのから薄いのまで、とにかく小石を投げ込んだ。
 どこにも誰もいないのに、怒られるかもしれない、と思いながら肩が熱くなるまで続けて、見張り小屋みたいな建物を覗きに行った。
 カビか埃か蜘蛛の巣か、何かで濁った窓を葉っぱで拭うと、四足歩行だろう小動物が何匹かうずくまっているのが見えて、駐車場から汀までのあいだに何度かつまずいたことと死んだカマキリを思い出した。
 それで扉の方にまわって、気持ち悪い形のノブを掴んだのだけど、気持ち悪い形に相応しい質感で、ざらついているのに、そのざらつきが細かいせいか手のひらに吸い付く感じがある、ぼぐっみたいな音を立てて外れたそれを湖に投げ入れてから戸を押した。
 中にうずくまっていたのはおっさんで、伸びに伸びた髭と髪で表情がよく見えなかったけれど、確実に瞼を上げてこっちを見ていて、すみません、みたいなことを、何も言ってないけれど、言ってから走って駐車場に戻った。

 車に乗ってから、石を投げているとき、あのおっさんはこっちを見ていたのかもしれない、と思った。
 帰り道はすべてのサービスエリアに寄って、煙草を二本ずつ吸った。おっさんの毛糸みたいな質感の髭と髪と怯えてもない驚いてもない目のことをずっと考えてしまっていて、向かう道の数倍気分が悪かった。
 ただそこにあるだけの目、見ているだけの目というのは非常に不気味で、よく分からないけれど無性に腹が立つ。

 というようなことを書いて一体なんになるのか、久々にドライブがしたい。