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 きっと思ってるより長くかかるから、今のうちからきりきり締めてるのを緩める術を見つけておきたい。きりきりきりきりきりきりってのをきりきりきりきりぼーきりきりきりきりくらいにしたい。とは考えつつ、結局他のことと同じだなーって気分でもある。
 あ!今いつもより(何にもないのに)沈んでるな/動いてるなって、あ!を増やすだけでどちらにも行き過ぎないようにするってのは、同じことをし続けると減り込んでいくタイプとしてはいつもと対処の仕方も変わらないけど、家族(特に母、祖母)を見ていると、いつもより元気過ぎて、多分保たないよーと思う。
 意外と本人も気が付いてる部分もあると思うけど、気付かない人もいて、そういう人は今かなりきついだろうし、脳か何かが出してるもんが切れたとき更にきついだろうな、と思う。自殺する人増えるんじゃないかなとすら思う。シンプルに経営、生活の面で立ち行かなくなって死を選ぶ人も当然どんどん出てくるだろうし、そこまでの、もう全く手段がなくなった人でない人も、この精神状態が続くと死にたくなっていくんじゃないか、何があってもなくても何故か定期的に死にたくなる身としては、そのときはそう思えないけど、そのときの死にたいって、変形に変形を重ねた結局何か分からないくらい別のものってことが多いから、あ!を意識して生き延びる人が増えるといい。

 書きたい景色があると書けることが分かった。書きたくないことと書けないことはちょびっと分かって、好きなものは何回でも書くべきなんだと理解した。礼賛するくらいの気持ちで、好きなものを別の形でもそのままでも繰り返し書くことが自分にとっても広い意味でも大切な気がする。それでいて普段考えていないことを書いて、書いている間、書き終わってから、書かれたものから考えることを始めるというのが、読書を合わせたみたいで心地好く、発展があり、それが小説の存在理由だとも思い始める。
 書いたものが自分にとってすら、善いのか悪いのか、良いのか悪いのかも分からないけれど、これだけ優れた小説がある中で、まだ書く手段が残されているんだから書くしかないし、書かれたものは色んな意味で、日常を過ごす時間に変化をもたらすものでなくてはいけない。が、もちろんそれは言うのは簡単なことで、それを志向するってだけなんだけど、分かんないな。
 まあでもずっとかりこりやってるしかないな。とにかくめちゃくちゃ体動かしたいね。