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 久々に、これが日本の小説!って感じのを読んで、楽しめつつもめちゃ疲れた。
 頭ん中で浮かばせながら読むと涙ぐみそうになるところも何箇所かあったけれど、こういうの絶対書きたくないし、書けない、というのはここ数年の話で、何か書いてみよーと始めたばかりの頃はきっとそんな感じも多分にあったように思う。恐らくそれは中高生の頃の弱々しい適当なアンテナに引っ掛かる本がほとんどそんなだからで、その頃から自分が確実に変わりゆくあることに気付いておもしろい。
 でも何となく、今みたいになったのはおおかた本以外の影響な気がする。大部分は映画、あと写真を撮ること。その二つが、というかその二つを思う時間で本の読み方や感じ方が変容していったような、そんなような、勘違いに近い気がしてる。
 ただ、その書けなさは、その方向の極致へ行けないって感じで、ぼーっと書けば、書くことに潜んでる推進力はそっちへ向いている感じがする。

 乱雑に映画を観ていると、案外、こんなもんなくてもいいってのが山ほどある、けどあってもいいが、本当に何の意味もないだろって気分になってしまう。
 で、やっぱ物語どうでもいい。語られるものと語り方、枠組みと人称・視点の関わり方。90%まで演技にしか注目してない、残りは半分ずつで映像と音楽。多分嘘、60%演技で残り半々で映像と音楽。そんなわけないけど。
 色んな場面の映像が浮かんで、声が聞こえて、会話に笑えて、それを通過したあと何かしたくなるもの、それだけでいい。あれ、これは本に関してか。そう、だから、映画と脚本の間みたいな本を読みたい。であって、こりゃあ小説・・・っすねえ、というようなもの。

 とにかく今は本読みたい欲と適当に映画観たい欲が湧いているから、それが失せないうちに色々摂取したい。
 色んなものに対しての好みの原点みたいなのを、記憶を探ってみて見つけようとしてるが、仮にあっても、それが理由にはなっていない感じがするし、俺は一人ではないから、あらかじめ定まっているのかもしらん。いつまで喧しいのか分からないけど、生活をイメージする生活に近付ければ近付けるほど騒音が酷くなっていく。

 というか俺は一体いつになれば物事に慣れるのか。これは結構ずっと考えていることの一つのような気が今したけど分からん。回数的には多いか。肉体的と精神的にも、あまりに色んな物事が新鮮で驚きに満ち過ぎている。心臓にすげー悪い気がするから、多分俺は早死ぬ。
 それはでも、一旦飽きるのが早過ぎるからか、そんで戻ってきたとき、またあらわれたとき、わ!のままなのかもな。まあいいか。なるべくスピーディーに死んでいこう。