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 今までに気になっていた人やもの、好きだった、好きな人やものと繋がっていく本に出会えたとき、泣くのを我慢するときの、喉の奥がくっくっくっとなる感じの喜びと、その本を書いた人の出入り口の広さと奥行き、その道の先の狭まり方や脇道の消え方、非常にちんけな己のちんけさ、その姿、俯瞰的な視座が基本的にはいっぺんにやってくる。
 引用の多いものだと、引用された文が流れている、に流れている時間が混じって、日記やエッセイの体裁でもやけに自由な感じ、それでいて果てしなく続くわけではない、そういった、あれ、これもあれか。

 映像が浮かんでこないと理解できない自身の頭の悪さに困るが、ほんの少しずつ、ほんと微々たるもんだけど、読める本の幅が拡がっている。
 少しでも、あらゆる変化がないと、途端に息苦しさが増していく、そうか、引用の多い本は、その本に対しての自身を絶えず変更していく必要がある、から好き、とは言い切れないか、言い切ることに対しての異様なまでの畏れ、山に落ちてる何かを持って帰ることの怖さと似ているが、少し違っていて、このように、どのような違和感があって、それはこういったものの近くにいるんですが、それらの相違点を説明することができないんですってことがあまりに多い。
 何かわかんねーでっかいものに対しての恐怖なんだろうが、それも定かでない。

 いつぶりか、読み終わる前から「これ読んだあと何読めばいい?」って本で嬉しいし、割と早い段階で、20か30ページで思う、終わらないで欲しいし、終わったらすっからかん消えて、初めから読めるといい。
 潤沢に膨らんでいく本があれば、しばらく映画を観ずに済む。そういえば自然に「今日はいっかな」というように離れていっている。
 短いのに喚起するものの多い文章は、ピカソのエピソードを思い出しつつ、そこに至ったその人のああだこうだに想いを馳せさせ、自身のあちこちと繋がっていって、知らないうちに迷子みたいに、悲しいのに、視界は狭くなっているのに、幼稚園とか低学年だった頃にした大きな布をみんなで膨らませたり中に入ったりするように辺りがぼわぼわ伸縮して、それが楽しい、そんな感じ。

 趣味嗜好、おおまかな名称で言えば同じところにそれはあって、でもその奥とか横とか斜め向かいとか、そういう違い方をしていると、一気に動きが速くなって、あっちに行ってこっちに行って、戻って行ってを繰り返して、それで元いた場所から見える景色がすっかり変わっている。
 大切に思うものは、それに対して抱く諸々は、生きているうちの基本方針の別の体で、だからそれ自体を自身の一部だと思わないようにしなくちゃ。とにもかくにも、思う前に思いそうなことを書き起こしておかないと。本当にここは狭いから、すぐにそれらが酸素を使い果たしてしまう。
 なるべく優しい気持ちで過ごしていたい。