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 言語化されていなかった頃のことをいくつか思い出した。
 それが例えば、音楽だったとして。そのメロディや歌詞、声や音、音像、そのものに覚えがあるわけではなかった。
 思い出されたのは、それらを過ぎて起こったものに懐かしさを感じたからだった。辿っていくと記憶されていた場所へ行くことができる。

 何もかも全部覚えていることへの盲信に近い思いが増す。
 本当にそうだったとして。服や背格好は変わっているだろうに見覚えのある後ろ姿や、初めてとは思えないほど安らげる店や、どこかで導かれたようなその声や。
 それらは一体、何として頭の中に残っているのだろう。

 いつか見た景色は、いつ見たのだろう。
 何を見た?
 何を後生大事に抱えたのだろう。

 それらを過ぎて起こったものは、起こったものではなくて与えられたもののようにも、今となっては思う。
 誰に何を与えられた?
 何を聞いた?
 思い出せないのではない。

 で、誤字から次に書きたいものが出てきた。初めて登場する人の名前が漢字になりそう!やったー!
 誤字から同時にタイトルも出てきた。景色と書いてる自分の姿と、漢字の名前になりそうな人を誰かが呼ぶ声も、やったー!
 嬉しい嬉しい。書かなくていいくらい嬉しいし、実際書く必要は一切ない、それが嬉しい、でも書けるということも嬉しい。
 嬉しい嬉しい。きっと来月中か再来月中に書くのだろう。今進行しているものを書く前に、要素として、というか練習の意識が強い、いくつかの単語を書き出していて、それが出てきそう。嬉しい。
 ということは、というのか、今進行しているものの前から、次の光景がうっすら見えていたのかな。今のと次のは連関しているのだろうか。

 今日は二つのことを思い出して、それが頭のどっかをむにゃむにゃにしてくれたのかもしれないな、だから誤字って、ありがとう!って感じの事態に、やっぱり俺は必要なものを与えられることの多い種類の人間なんだろうな、本当に欲しいかどうかはさておき。
 うん、多分その傾向が強いんだろうと、薄々、三年前くらいから気付き始めていたか、俺自身が押しつけるみたいに人に何かあげたりするのが好きだから、巡って、そのまま、本当に欲しいのかどうかはさておいたものがやってくるんだろう。ありがとうみんな!

 ああ、きっと来月だ、めちゃ見える。小さい机で、ねんむっ、と思いながらiPadをたくたくしている姿、めちゃ見える。手首怠痛そうになあ。
 どのくらいの量になるか、結構大変そうな、遅々としているような、朝早くか帰ってきて、もしくは分けて、それでも3000くらいか。嬉しい。