やはり日の出後しばらくまで話し込む。するしないは別としても秘密を共有できないような間柄以外どうでもいいよなと考えてしまう楽しい時間を過ごせた。あれだけ幸福な時間をどしんと感じると、当然というか、とても大きい恐怖も感じてしまう。
それでも努力次第でこういった日がこれから死ぬまで何度もあるのだと思うと、明日も生きるくっきりとした理由になってくれる。
今年に入って、嫌なものからはよく考えてから出来うる限り離れるというのを実行して、功を奏している。離れたことによる代償はどういうのだろう、どうして近付きたくないんだろう、触れ合った場合どうなるだろう、どうなってきただろう、これに類するまだ触れられるものは何があるだろう、離れ切った場合どうなるだろう、みたいなことをうだうだ考えてみる。当たり前なんだけど、やっぱり当たり前のことを実践するのは、前提を増やすのは、幾度自らに言い聞かせてみても、言うは易しを抜け出すのは難しい。
所詮〇〇されど〇〇に当てはまるものがあまりにも溢れ過ぎて、考えずとものらりくらりとしていられてしまう。考え過ぎるのも、過ぎているのだからもちろんよろしくない。
親しい人や親しくなりそうな人と関わるとき、その時間で何か、効率や合理性を無視して、その人が今まで考えていなかったことを考えるきっかけ、その人が今まで悩んでいたことの現段階での答え及びそれに至るような何か、単純に未体験の事柄、笑えたり泣けたりする何かを与えたい、また自分もそういったものを受け取りたい、と考えてしまう。何て傲慢なんだろうと思ってしまう。
昼過ぎに久々の食べ放題へ。驚くスピードで満腹。曇った天気と合わさってとにかく気怠い。苦味しかないコーヒーを飲んで帰宅。
ようやくみんなで『凶気の桜』を観れた。何年も一人か別の友人と観ていたけれど、このメンバーで観られて良かった。語ることなど何もあるまい。せっせとイデオロギーを磨くにかぎる。