2025/1001 London
2024/02、この月までは日記を書いていた。
翌月の途中から日記に飽きてやめた。
てかまじで、どうして俺は全てを言葉にしようとしてしまうのか、よく分からない、何も思い出せないし、全ての実感は消え去っていく、何かの瞬間、言葉は出てこない、いらないけど、いらないのに、意味不明だ、言葉にしたって意味がないのに、意味がないことを延々と繰り返している、まあでも、したいのだろうな、消えていくから、何とか定着させたいんだろう、全て吸収されていく、まあでもずっとあるんだろう、書き起こして、どっか行って欲しかったのかもしれない、実際に書かなくとも、眠っている時間以外ずっと頭の中にある文字や言葉たちは、外に追いやって静かにするためだったのかもしれない、分かんね。
ここ数ヶ月で、再生と覚醒、声や感情を取り戻す、いや、汲み取ってあげよう、みたいな気持ち、今回の日記は書きまくって、口語的に思考を書き置こうとするこの癖の決算としよう。
そうしてしばらく口を噤もう。
感情というものと向き合ってみるときがようやく来た、というか、覚悟や胆力が備わり始めていることが分かっている。
あるものをそのままでいさせること。
あらゆる感情を感じないために、言葉や声に逃げ過ぎていた、逃げ切れないんだ自分からは、絶対に。
打ち勝つことも出来ない、向き合う以外に術はない、やっと分かった。
やってやろう、って感じね。
負けず嫌いなのに根が王様だ。
必要以上に上品であろうとするのはやめよう。
誇り高くあろうとすることと開示することは両立するはずだ。
そういうわけで、ロンドン。
昼前に羽田へ、通り雨、雲が覆っているのに眩しい。
搭乗者の一割未満が日本人だった、なんの時期でもないから少ないのか。
しかし人は多くて、帰るのか向かうのか経由するのかを思うと、なんだか奇妙な気持ちになる、人数以上の人生を感じて少し重たく感じる。でもまあそうなんだよな。
人々はそういう重さをきちんと受け止めて、いや、受け止めるでもなく受け止めてしっかり生きているのだろう。
いや、そんなことどうでもいいのか?、そうかもな。
だからどうするわけでもないもんな。
隣の人が日本人だった。
そんなに遠くへ行かないのでは?という気持ちが湧く。
余ったパンとクラッカーをもらった。大満腹だ。
あざまーす!
学生に思われたのだろうか。
昔は年上に見られていたのに、実年齢より見た目が下回ってきている、奇妙な経験だけを積んで、みんながきちんとしていることをしてこなかったからだろう。恥ずかしい気持ちだ。でも、嬉しくもあった。
まだ数時間しか経っていないのにお尻が痛い。
三つ以上に割れていく気配がある。
てか飛行機乗るたび思うけど、イヤフォンしてないとうるさ過ぎる。
ダウンロードしておいたドランのドキュメンタリー観つつ、寝たり本読んだり、一人での長時間フライトは非常に暇。
かといって話したい気持ちとかも特に湧かない。
寝過ぎてやばいかも!、眠・・・zzz、を繰り返している。
予定よりかなり早く着いた。
そんなことあるんだ。
スーツケース受け取るところまで謎の電車に乗る、あぶね。
言語がばっちり身についていたら日本で感じるような分かりやすさ、分かりにくさ、を得られるのだろうか?
なんかそんなこともないような気もする案内図の配置に感じる。
みんなまわりをきょろきょろ見ているのがおもしろい、ほぼ誰も、よく分かってないのかよ。
市街地までのバスに乗るのも一苦労。
アクセントも込みで結構、何言ってるか分かんない。
なぜ案内と違ったところに?と思うよな。
疲れているからだろう、必要以上に、街に馴染んでいないことを感じる。
間違ったところへ来たような気分にさえなる、が、それが勘違いであることも同時に分かるくらいのわくわくの形をとった元気はある。
散歩してバナナとプロテイン、水とトルティーヤラップ的なのを手に入れた、10ポンド、計算してみたら2000円くらい、高。
そういえばハワイでもラップ食べてたな、コンビニで買えるものだとそれかフルーツになりがちなのかも。
割と寒いな。
よく分かんないままちょろっと辺りを歩く。
歩行距離4.4km。
2025/1002 London
やば早時間に目が覚めた。
しかし時差ボケは回避してるかも。
軽く運動。
近くのスーパーで水とチューイングキャンディ買った。
一旦帰って、近くのカフェ。
テラス席でノートに何やら書いてみる。
字が汚過ぎて読めねー!しかしそのスピード以外では言葉が全く出てこない。うぜー!
何を書いていいか全く分からない。
見えているものを書いてみる。
で?
寒い、とか、天気悪い、とかも書いてみる。
で?
なんだか少し恥ずかしい気持ち、とかも書いてみる。
で?
で?じゃねーよ。
一旦帰って、テートブリテン。
内容知らずに行って、ピーター・ドイグ、フランシス・ベーコンの絵が観れた、素晴らしい、しかし思いの外、キャンバスのサイズ以上の存在感は感じない、多分、展示の仕方だろう、実家かしら?ってな具合で、整ってはいるしルールも感じられるけど、空間に対して多くて息苦しい、一室数枚レベルで色んな絵を観てみたい。
ヘンリー・ムーアの彫像もかなり良かった、テーマがあり、それを全くそのまま表している訳ではないのに、そのものだ、と感じられる作品だった、それが表現物だろ、って思うけど、案外そういうものはないので嬉しい、し、そういうとき小躍りしても良さそうな雰囲気が美術館にあって良かった。
風通しの良さと静けさ。
人々が適当に歩き回っている。
構造的な要素もあるのだろうが、日本の大きなところでの展示を観に行くと一方通行感が強いような、うろうろしてるのって俺くらい、みたいなときが多々あってなんか悲しい、的なことがあんまり感じなかった。
地下鉄チャレンジ。
Apple Payでいけるの便利。
乗り換えてラッセルスクエア。
かなりいい公園だ。
リスも人も鳩もたくさん、好き好きに過ごしている。
やたら犬を見かけるし、みんな濡れたみたいな毛で、ぐしゃぐしゃしていて可愛い、なんかあんま見たこと犬種ばかりに感じる、濡れたみたいにぐしゃぐしゃなだけで意外と知ってるタイプの犬なのかな。
なんか好きな場所な気がする。
ベンチでノート。
明確に思い出せないくらい久々にぼんやりできた。
火や海を眺めたり、ハードな山登りの後に木漏れ日の下で煙草を吸ったり、そういうときと近いレベルで、人がたくさんいて、慣れない土地で、慣れないことをして、異人で、それでも出来た、不思議な感覚だ。
何年ぶり?ってスポーツをやってるときに近い移行がある、感覚が繋がる感じ、なるほど、俺はたくさん色んなことを感じたりリラックスしたりしていたこともあったのだ、というか、それで完結していたことか。
少し散歩して雑貨屋へ。
ピンバッジやタロットカードや置き物をゲット、ついでにコーヒーもゲット。
近辺のおすすめを聞くが絶妙に分からない、おもしろ。
自動的に頭の中で翻訳しようとしてしまい、その間に次のセンテンスが流れてくるからか、掴みきれない。
公園へ戻る。
いい感じの大樹のコブに座って幹にもたれる。
空も公園も眺められる完璧な角度。
楽しそうな人を見てふふふと思っていると、意識が空気に溶け出して気が楽になる。
かなり好きな公園だ、通り道にも憩いの場にもなっている、うるさ過ぎないけど流れがあって、あちこちに出来事がある。
こういった公園へ毎日来たい。
ノーリードの犬がうろうろしていて、誰が保護者か分かんない、ということはうんちが落ちていそうな草原に人々が寝転がっている。
本読んだりいちゃいちゃしたり煙草吸ったり、街のど真ん中にこういう場所があるのは奇妙にも思うけど、とても正しいとも思う。
日本でも、おーここは俺の場所って感じですねー、ってところ、たくさんあるけど、この公園のこのでかい木のこのコブもそうだな。
公園内のカフェでノート。
甘過ぎる筒状のお菓子も食べた。
目がちかちかするくらい甘い、イタリアの何からしい、食感のみの存在かも。
三種類のクリームなのに大体同じ味がする。
先輩と合流。
土地勘のないところで人と会うのが苦手だ、というか、同性でない年上の人にエスコートしてもらうのが苦手だ、というか、この世の中には俺が楽しいこと面白いこと興味深いことと感じるものが、分かりやすい形をとったものではないけれど溢れている、という感じだから、分かりやすい形をとったものが数えられる状態の場所を案内してもらうとあまり反応ができない気がしてしまう、そんなこともないけれど、大人の階段を上るのだ!、いつまで自動的に生きるのか、何かに対して受動的か能動的か振り分けられ、それに対して俺も受動的か能動的に働きかけている感覚がある、俺は俺の何に反応してんの?、てか、俺に先立って自動化された俺なに?
それに、今最も楽しいこと面白いこと興味深いことは、先輩後輩であった時には一切話したことがないに近いのに、こんな遠く離れたところで親切にしてもらえていることなので、全てが楽しいこと面白いこと興味深いことへ回収されていく、何をしていてもそれでいい感じ、もっともいい!、でもきっと、多くの人の目には俺は退屈そうな人間に映るのだろう、俺は地球が更地になった後でも楽しいこと面白いこと興味深いことへばかりセンサーが働いている気がする、そんなわけないけど、強く引き寄せられてはいる気がする。
ゲイのためのショップで下着を買った。
奇妙な配色。
銀座よりも一層、内装にフォーカスしちゃうドーバー。
これは?と、何かを買わせようとしてきて笑ける。
もうスーツケースを買う必要がある。
蠢いている感じがSOHOにはあった。
建物の雰囲気が近過ぎるし看板が埋め込まれている、その店の前まで行かないと何の店か分からない感じもいい、情報だけが溢れている東京よりも頭が疲れない、かと言って建物が極端に低いわけでもないから京都を思い出したりもしない、最早丸の内とかのが思い出す可能性がある、思い出さなかったけれども。
美味しいらしいカレー屋を覗きに行ったけれど、あり得てはいけない行列、近くの別のカレー屋。
ビリヤニもカレーもラムもどれもこれも美味い、ラムチャレンジは大成功、このくらい美味いラム以外出さないで欲しい、美味い、し、辛さを注意されたものより辛いのもおもろい、言えよな絶対。
個人的には、ほぼ初対面にしては信じられない量の文字数と深度の会話が数時間続いた、稀有だ、ありがたい、久々に人と会って緊張した。
ありがたいし稀有だから日記に残しておきたいが、そのようなことは出来ない、そのようなことを気にせず出来るようになるのも大人か?、違うか、むしろ、忘れてしまうくらいが大人なのか。
自分にとって特別なことって、なんとなく共有したくなるけれど、それはマウントに近いような心の働きなのだろうか?、いや、美味いもの食べて「これまいうーだよ!」ってくらいな気がするしそうなんだろうけど、何かスペシャルであればあるほど地下深いどこかに置いておきたくも、燦々とした空間に解き放ちたくもある。
いや、でも、分かんないな、普通のことなのか?、俺にとって特別なことが他でどうかなんてどうでもいいのに、俺が俺に「普通だしどうでもいいよ、気にしすぎです」と言ってくるのはなんなのか?、というか、相手にとってはよくあることであったり、まわりでもよくあることであったとして、一体それが俺の感じた特別さとなんの関係があるのか、俺はやっぱ言葉や声や話に重きを置き過ぎているのか?、言葉にすれば、そりゃ他と違ってなけりゃ特別であることは成り立たないが、言葉にしなけりゃ全く何も損なわれない、他の人に話したことがないことを話した時間、というのをとても大切に思ってしまう、てか、自動的だから、そのようになったことそれ自体だ。
非難されそうなくらいオープンマインドな気もするのに非常に自閉的な気もする、と改めて思う。
まあでも色んなことはかなりどうでもいいんだよな。
実際のところ。
瞬間に自動的に対応する、ということのみで構成されている。
閉店近くに出、どんどん宿寄りのところまで送ってくださった。
俺はそうやって、なるべく全ての人とハグしてから別れたい。
特に、楽しかった日。
夜のロンドンがかなり好きかもしれない、やっと街に馴染んだ感じがした。心地が好い。
しかしやはり割とちゃんと寒い。
テムズ川沿いをずんずん歩く、ずん、ずん、と音がしていた。
思いのほか川面まで遠く、川沿いを歩いている感覚はない。
歩行距離15.5km。
2025/1003 London
雨。
雨。
雨。
日本でおすすめしてもらったNando’sへ。
優しい店員、ありがとうを別の言葉でも色々伝えたいのに!この!俺の!馬鹿な脳!ポイント1、このポイントを貯めて、英語学習を完全に手段化、体のスイッチを押す旅、でもあるので幸先良い。
そんでチキン美味。
スーパー行って飲み水やら夜食やら痛み止めやら、あれこれ買っておく。
何かに備える、ということも、小さい頃は楽しんでしていたな、とふと思い出す、同時に、そうやって備えていたことの大半が無意味に終わっていったことも思い出す、それで良かったのにね、馬鹿なだけだと気が付く前にやめる必要なんてなかったし、何にしても、何かに対して準備したりするのは結局、それが必要な出来事を歓迎している自分や、その関係者、それが必要な場面を楽しみにしている自分や、その関係者、それが必要でなくなったら割と悲しいなって自分や、その関係者、諸々、丸ごと大事にしているということでもあった、まじで、全然それがいいな、弱過ぎたな過去の俺よ。
全ては有限なので、その全てに全身全霊で向かう以外ない、普通のことだ、それで壊れたらそれまでです!
近くの映画館、curzon victoriaでPTAの新作。
全く何言ってるの分からない、のに、おもろい、映画過ぎ、てかまじ分からなさもやばい。
てか、やってんなー、とか、映画だなー、って思うのって、ヘンリー・ムーアの作品に思ったこととも近い感じがある、まんまじゃないのに正しくて、すんなり入ってくるから深くまで届く可能性が高い。
車がびゅん、と通るとき、その運転手や車が感じているびゅんが、その運転手の視点ばかりで構成されていない感じ、だから俺らも正確にびゅんを感じることができる。
アナログ4DXこそ映画なのである!というような極端な気持ちも湧いてきそうな気配は、ない。
でも、あるカーチェイスシーンでその気配を感じかけた、それもうなんの視点?、で構成されているのに体感を伴う。
しかも、何にも分かんないのに話は全部分かる、やばすぎだろPTAさん、てことはある意味古典的なのかもしれない、なのでところどころでしっかりと他の観客たちとともに笑えたし、退屈でもある、ありがてー。
予報見てたのに、雨強まってんなよ、って感じ。
バッキングガムでも見ておくかー、と、常に街に感動しているので、ハリボテ含むバッキングガムは異様に何もこない。眠。
一旦帰ったつもりがそのまま眠ってしまった。
雨に弱。
歩行距離6.4km。
2025/1004 London
早起きが続けられているが、何かにつけて早起きを続けているとき毎回思うこととして、朝向いてねー胃気持ちわりー、が異国の地でもちゃんとある。
近くのカフェでスコーンとアメリカーノ。
そういえばこっち来てからコーヒー残してないな。
ハワイでは一杯飲み切れたコーヒーはなかったから、とても嬉しい。
でも香ばしさのみだな。
スコーンとノート。
ジャーナルでもアイディア帳でも日記でもないノート、ノートを書いているとしか言えないノート、でも何かいつかの俺が役立てるかもな。
や、役立てるとかじゃないな、何かしら、見つめたり、待ったり、そっとしておく練習だな、や、練習でもないな、それはしてあげた方がいいことなんだ、自分自身にとって、や、ノート書いてみよう!と思って、そうして、そう出来ている、はい、それでOK、だな、や、OKでもないな、ジャッジはいらないな。
何か脳が切り替わりつつある。
思考の癖や無意識下が変容しつつある。
おもしろい、多分年末年始から続いているものとも繋がっている。
犬多過ぎ。すべての犬を10分ずつ撫でたい。
喉の辺りをむにゃむにゃして、頭頂部あたりをこりこりして、背中をさすさすして、頬的なとこをぎゅむぎゅむしたい。
先輩の家の近所へ向かう。
地下鉄チャレンジ。
音楽最高!やべー!音楽!音楽!音楽!と思っていたら乗り過ごした、心が落ち着いているので焦らない、不思議なことだが単純なことだ。
かなり早く出ているために遅れもしない、ありがとう俺。
日本にいるよりもあらゆることに、仕方ねー、と感じられているからか、とても心が落ち着いている、何かちょっと違う気もするけど、どこでも、仕方ないことは仕方ないからな、ちゃんとそう思えてる。
不思議だけど、自然にそうだ、俺は元々はそうなのか?
駅前のカフェでぼんやり。
本当にぼんやり出来ている気がする。
暇な時間を持て余したまま、でいることが出来る瞬間がたくさんある。
というか、着いて一秒以下で好きな街だと分かる。
俺は一体いつまで、何の脈絡もない瞬間の中で生きているのか、何もかもが瞬間で分かる、みんな絶対そうだけど、俺は多分それを意識し過ぎている、し、意識し過ぎているが故に有り難がったり追従している。
過去も未来も選択もなく、瞬間のみがある、と体が思ってしまっている。
しかし、未来はある、と思うようにした方がさすがにいいのかもしれない。
死ぬのが怖過ぎるのも、今この瞬間しかなくて、未来を感じられていないから起こることかもしれない。
過去は何も思い出せない。
いい人の量と流れだった。
東京よりも、誰も誰のことも気にしていない感じがあるように思う、誰も誰のことも気にしていないし何故か気も張ってない感じ、多分こっちのが気張ってた方が良さそうなのにね。
来る前に盗難と差別について人々に心配されていたが、やっぱり、俺はそのときそれに対して、ね、ほんとそれ心配、とか返してだけど、多分心配してなかった、し、街の気配もそうだったから俺も気を抜いていられる。
当人が心配していないことを心配しない、というのも、誰かといる上で大切なことかもな、いや、そこまでいくとドライ過ぎるから、単純に、当人以上に心配し過ぎない、というだけだな。
合流し、フリマ的なものを物色。
何の役にも立たない牛の置物を買ってしまう、馬鹿邪魔、とってもかわいい。
しかし今日はストームらしい、全ての品物が吹き飛びそうになっている、またあちこち連れてってもらうので申し訳ない。でもにやにやしてしまう。困難なこと以外どうでもいい。品物たち乱れ過ぎ。
てか寒過ぎ。
トルコ料理チャレンジ。
フムス美味!レンティルスープさすがに豆過ぎ、もう豆を食え!salgamやば、調味料だろ!ファラフェル美味!って感じ。
食べたこともないのに作ったフムスの呪いから解き放たれた!
美味いフムスは美味いフムスだ!
会話のドライブの仕方が不思議だなと、二日目にして気が付く、いつまで気が付くとか、ふと思うことのみなのか、何かを考えようと思って考えられるようになった方が絶対いい、と昔にも思ったな。
完全に真逆の方向から同じところを見ていたり、全く同じ場所から違った場所を見ていたり、違った方法で同じところへ向かっていたり、おもしろい。
駅前のマーケットを物色。
果物の情報によってとってもスマイル。
人の笑顔の記憶が異様に残る、安心するのかな。
そういうシーンが記憶の中にいくつもある。
体幹を伴う過去、として、珍しいもの、として、俺の中にいくつかある。
駅で解散、電車と自転車で別の駅合流。
なんかおもろ。
うろうろしつつ、先輩の友達たちと合流。
ある誰かとの関わり方とは違った方法で、その本人を前に関係者とやり取りするのが苦手だ、それと同時にとてもうきうきする、俺は自分自身を観察するのが好きな人とか傍観者的だとは捉えていないけれど、多分まあ自動的にそうしていて、というか、気が付くこととか思い付くことの異常な多さからも恐らく観察しているのだろうし、自分自身の意識や肉体から離れてアトモスフィアと化すのが好きだから、傍観者的でもあるのだろう、なので、逆が苦手、苦手というより、上手くやろうとしたくないのに上手くやろうと自動操縦されている自分自身に戸惑う、で、戸惑っている間にテンポがずれていく、でもまあ、みんなちょこちょこ笑ってくれてたしいっか、でもそういうときって自動操縦でも上手くやろうとしてるでもない、やっぱりいつもの俺のときで、また、人間は全てよく出来ているよなと思う、結局、自分自分自分、から離れたら何も思い煩うことなんてない、というか、俺は人が笑っていればいい、とかなり思い過ぎている。
なんでだろう。
古着を見て回っていた。
人があれこれ物色しているのを見るのはおもしろい。
人の選択も自分の選択も等しく奇妙だ。
みなさんと解散。
イヤフォンを装着した途端にモードが切り替わり過ぎて笑う。颯爽と駆け抜けていった。クール過ぎて寂しさも感じなかった。
カフェで休憩。
どこかへ寄るたび話し過ぎている、みんなこんなもんなのか?、個人的な感覚では昼間にする話じゃない話をいつでもどこでもどれだけでも話せるのはありがたい。
スイッチが入ると9:1くらいの文字量なことが普段多いから口を閉じていることが多いけど、5:5とか、4:6になったりする人と話していると、抽象世界に溶け出して体が軽くなる気がする。
一瞬泣きそうになる場面があり、しかしセーフ。
しかし俺はきっと本当は、もっと簡単に泣いたり笑ったりちょっと踊ったりしていたいのだろうと、しょっちゅう思う、でも、絶対にそうしても問題がないことも分かる、逆の立場だったとして、誰かがそうしたとして、一瞬びっくりしても特に何も思わない、特に何も思わないのも問題なのかもしれないが、どうして自分のときだけ批判的な思いが浮かぶのか、いい加減に誰かの心の内を想像するのをやめたい、想像というかもうある種の決め付けに近い。
自分以外誰も、自分に文句を言う人はいない、悲しくもあり、ある意味ではラッキーだ。
近くのレコード屋。
今最もロンドンを感じるアルバム、をスタッフに訊ねてみる。
どのジャンル?って、馬鹿な質問したのは俺だけど、今最もロンドンを感じるアルバムだっつーの!って気分にもなる、自分だったら簡単に出来ることだとしても、出来ない人を見て一瞬でもイラッとするのをやめたいしやめるべきだ、いやしかし、お前が「こ・れ・はまーじでロンドンだね」って思うやつでいいんだよ、フランス語での落語めいたものでも、クラシックとテクノとサイケの混合物でも、oasis過ぎるのにメタルでも、何でもいい。
そういうわけで三枚買った、ら、アラームが鳴って店内へ戻される、またポイントが1貯まったし、事なきも得た。
パブチャレンジ。
そもそも久々過ぎるし耐性なさすぎるからハーフパイント、先輩はパイント、ちゃんと美味いと感じるビールって初めてかも、嬉し。
新旧問わず、基本的には古い曲が大音量で流れている、Frank Oceanで音楽になりたさを思い出す、最高過ぎるな。
とにもかくにも音楽になりたい、なりたいものランキングを作るとすれば、1に音楽2に音楽、34がなくて、5に音楽、と言えるだろう。
一昨日に引き続き、というか、この数年に引き続き、訊ねられたことについてなるべく正直に、正確に、何か答え以外に「なるほど」とか「ふーむ」と思えるような何かを提供しなくては、という思いから喉がさがさ、音は大きけりゃ大きいほどいいんだけどな、それで、俺だったらまだしない質問や話がどんどん出てくるから、答えつつ、応えるようにいつもの俺だったらまだしない質問や話もどんどんしていくので喉はさらにがさがさ。
しかしやはり不思議なドライブの仕方だ、どちらも質問外の話も割と多い感じがあってどんどん膨れ上がっていく。
人々の会話というのはそういうものなのかもしれない。
会話がドライブしているとき、そんなこともう俺に話していいの?、とか、こんなこと俺言っていいの?、とか、ずっと思うし、それでも楽しい、謎の安心感がある。
しかし、会話によってよく分からない地点に辿り着くことを至高に掲げ過ぎかもな俺は。
それはそれ、と思えれば、そうじゃない会話や雑談も、今以上に負担なく出来るのかもしれない。
あ、でもあれだな、俺が、自分の中で起こる何かに対しての特別さへの疑念は、何も考えないでピュアネスのみで人との時間を過ごしているから起こることなのかもしれない。
徹頭徹尾素直であろうしなくてもいいのかもしれない、いや、分かんない。
全ての思い付きや疑念は、バランスですよ〜、にしか行き着かないため、分かんない、で止めて、何度も考え直したい。
外が寒過ぎて酔いが一瞬で醒める。
ハーフパイント二杯でもまずいかと思ったけれど、一時間半ばかり感じる酔いを除いてかなり素面だった、不思議だ。
たまにある無限に飲めるような日でもない感じ。
パブの中はあまりにもうるさくて静かだ。
みんな何を話しているのだろうか。
盛り上がり方的に、もう今さら世間話でもないだろうが、分からないので全く分からない。
みんな何かと生きていくのに大変なのだろうか。
ストーム的な寒さがやばめ。
散歩。
ものすごい量の会話と完全な沈黙を行き来していて心地が好い。
悩んでいることとか話したいことがないために、何か訊ねられることがある限り永久に話していられる、俺は基本的には人に興味がなさ過ぎるのと無言に耐えられ過ぎるのがよくない、というか、動物園の静かな動物たちと同じだ。
言葉以外のことが表すものを感知して、それで満足しているようでは良くない、てか、こんなにああだこうだ書いたり言ったりしているのによく分からないことが多過ぎる。
あれこれ考えて動けばいい、ってわけでもない、とにかく動くだけでいいことの方が多分圧倒的に多い。
俺はとにかく、気を抜くとすぐに他人の領分へずかずか入って行ってしまうような気がするな、直接的にも間接的にも、意識的にも無意識的にも、だからあらゆる形態で、異様に気を遣っている気もするのに、その気を遣っているのも、きっと、侵略に近いのだろう、他者の中にその人が知覚していなかったり、しかけていたり、持て余していたり、逡巡したりしているところへ、鍵とかライトとか地図とかを持って、おーい!一緒に見にいってみようぜー!って、別に俺もその先のことを知らないのに、だから、開け方、照らし方、読み方、を知っているだけなのに?、そのすぐ側にただいることしかできないくせに?、無礼極まりない、そうしていつも俺は何を得ているのか、得ているような気がしているのかは全く分からない、みんな絶対そっとしておいて欲しいはずなのにな、ということに気が付いた、心配の話と同じだ、その人が本当に求めていること以外すべきじゃない、人に何かしよう、と思い過ぎているのは、そうして欲しかったいつかの俺がどこかにいるのだろう、もう混じりあってるから、一体どこからどこまでがそうかは分からないけれど、それでも取り扱いに気をつけるべきだ、でも、それを自覚したらなんとなく、何かを受け取ったりやったりしてもらうこと、何かを待ったりすることが、途端に楽になった、やば、俺は今回多分、いつものように束の間別の自分へなって、また同じ俺へ帰って、その中でああだこうだするんじゃなくて、これからのため、器ごと変えるつもりで旅をしていたのだろう、おもれー、俺の中にもちゃんと未来があったのだ。
公園にしばらくいた。
騒がしいところ以外では話が途切れない。
なんてことだ。
一時間半以上歩くにはあまりにも寒い。
どっかから地下鉄、パブやクラブの文化のおかげか?、割と遅い時間まであれこれ動いていて便利過ぎる。
歩行距離7.5km。
2025/1005 London
早起きは続く。
チューブトレーニングも続いている。
ハイドパークへ向かう。
お腹が空いたけれど何を食べたいか分からない。
近くのカフェは大抵閉まっている。
日曜か。
とりあえずひたすら歩いた。
目についたあらゆる通りを練り歩く。
公園内のベンチを転々と、ノートを書いたりぼんやりする練習したり、鳥や人々を眺めたり、かなり贅沢な旅行なのかもしれない。
俺もそうだけどなんか、今日お外で過ごす感じの天候かな?、って感じなのに人が多くていい。
何するにしても空気が循環してて広いっちゅうのはいいよな。
何か思考の流れが固まって、頭が重たいような感じがする。固くたって重くない場合もあるのにな、と思う。
こっち来てからデモ音源ばっかり聴いている、何かしっくりくる。
イタリアンの店でステーキ食べた。
最初は美味しかったけれど硬過ぎてやばくなった、ホームメイドブレッドも硬過ぎてやばくなった。
よく噛む食事が多過ぎて、普段の2.5倍満腹を感じるような。
一旦帰ってぼーっとする。
本何冊か持ってきたけど全然開かれないな。
普通に毎日結構歩いていて疲れているのかもしれない。
体の不調についてはまだ知覚できない傾向が強い。この辺もクリアにしていきたいよね。
ばーっと歩いて行って、コーヒー手に入れて先輩と合流。
コンビニ的なところでベイプ買って公園でディベートめいた会話、まあまあ寒いのに上裸でトレーニングしてる人や見覚えのあるタイプの犬や色んなタイプの二人組を見れておもしろい。
久々に日本でも見たことのある犬を見て違和感があった、割とこの土地に馴染んできたのかもしれない。
近くの中華料理屋。
かなり美味い謎のスープ、コムタン系な感じがあるけれどよく分からない、とにかく飲むたびに美味くてびっくりする。具も多いし最高。
沈黙があまりに苦にならない。
うるさ過ぎると静かなのと一緒?、話し過ぎることも黙っていられるのも同じことなのか?
また先輩の家辺りまで歩く。
よく分かんない集合住宅らしき建物の前の花壇に座って話す。
突如現れたジャンキーに煙草あげる。
影から生み出された。
生lovelyを聞けて嬉しい。
初lovelyがジャンキーからとは、何か嬉しさが増すような悲しいような。
俺にとっては特別な時間だ。
俺にとってだけそうであればいいと思える。まじで普通に。
野良キツネをたくさん見かけた。
かわいい、とっても。
月が非常に大きく美しい。
満月が近いのか。
寒いけれど、風はそれほど強くない。
バスで帰る。
まじで吐く数秒前の酔い、やばすぎ、二階だからかな、やべー。
あ、駄目だ。セーフ!を繰り返してる。
少し離れたところで降りて歩く。
かなり寒いが気持ちがいい。
歩行距離19.3km。
2025/1006 London/Nice
いつも通りの早起き。
荷物詰めてコーチ、フルーツとコーヒーの朝ご飯。
表示と全然違うところに停まったバスへ飛び乗る、なぜ!?
ヒースロー空港でこの前紛失したサングラスを買った。
物無くすの久々でなんかうきうきする。
コードも買ったのでこれで無事だろう。
念のため早く設定したけど何事もなく着いたので早過ぎた。
このようなことばかりしているな、念のためうんたらかんたらで何も起きない、つまらない人間だ。
グルテンフリーのカレー食べてのんびり。辛!!!
久々でもない気がするけど久々な気もする、一人での食事おもしろくなさすぎて逆におもしろかった。
てか一人の人全然見かけない。
見かけても、旅人!、バックパッカー!みたいな雰囲気の人が多い、冒険者というか、なんか同じタイプの人をあまり見かけない。
ニースの空港へ。
がらがら!
飛行機まだ楽しいけどやっぱりいつも怖過ぎる。死にたくない、絶対。
死にたくなさ過ぎる、あまりにも。
抵抗の余地がないってのが腹立たしいよな。
こっち来てから、一日の中でふと強烈な眠気がやってくる、普段感じることのない眠気で、ヒッチハイク中の数日まともに眠っていない時を思い出すが、強度としてはこっちのが高い、不思議な感じ、で、20分くらい寝てる内に着いた。
怖過ぎてシャットダウンしてんのかな。
小ぶりな空港。
職員がいなさ過ぎる。
表示される言語が変わっている。わくわくする。分かんな過ぎて楽しい。
よく分からないままLa carteを買った。
三日間のパスっぽい。
トラムでJean Medecin、宿まで歩いてチェックイン。
ロンドンより建物が低いからか、道が狭い割に圧迫感がない。
食べるとこが閉まり過ぎてる。
とりあえずでパッタイ食べに出て、ファスト系だけど美味かった、店も活気があっていい、今のところ日本人が全然いない、それはロンドンもだったけど、こっちのが少ない感じがする。
右側通行か。
危。
海まで散歩。
割と大きい通りなのに、フリスビーで遊んでたりサッカーしてたり、非常に自由に過ごしている、住んでないからうざくない。
いや、今の俺なら、毎日決まった時間に二時間、とかでないならうざく感じないかもな。
遠くからでも青緑なのが分かる海、ぼんやりしてたら若者が煙草くれと言ってきた、あげる。
お前は買えよ、とは思うがあげていこうどんどん。
またうろうろ散歩。
ジャンキーが煙草くれと言ってきた、あげる。
ロンドンよりも喫煙者が少なく感じる。
イメージだとばかすか吸ってるんだけど、パリの方なのかな。
無茶な横断者も少ないかも。
肌寒いけど、昨日までと比べたら温かい。
ハーフパンツでも夜いける。
大して移動してないのに変な感じ。
適当に歩いて宿へ帰り着く。
街が分かりやすい。
歩行距離12.1km。
2025/1007 Nice
早起き。
トラムに乗ってGrand Arenas、ちょっと歩いてバス。
本当にこれなのか?が多過ぎる、いつもなら不安になるのに、わくわくが勝って不安を感じない、失敗するのが怖くなくなっていることに気が付いた、おもれー。
失敗とかどうでもいいかもな、まじで。
てかそんなのないかもな、まじで。
バスは合っていて、Halte Routiere de I’Araに到着した。
お腹が空き過ぎているのでGoogle Mapsでレストラン検索、お腹が空き過ぎているので勘に切り替える。
すぐそこのSquare Cafe。
タルタル食べたかったけど朝だからかオムレツのみ、しかしこれが大正解だった。
チーズとハムとマッシュルーム、あまりにも美味い、サラダも嬉しいし、ブレッドも硬過ぎなくて嬉しいし、とにかく優しい、拙いフランス語を汲み取ってくれるし、日本人だろ?ということで日本語のメニューをくれたり、そのメニューは以前ここへ来た日本人が拵えたらしい、そりゃそうだと思うくらい優しい人だった、俺はやっぱり人に優しくありたい、エスプレッソも美味い、恐らく普通に手に入るのだろうブラックペッパーも美味い、ヴァンスに来るときは絶対に来ることにした。
心地の好い陽光、体が喜んでいるし、俺も脳も心も喜んだ。
内側から発光している気さえする。
今回の旅で唯一の目的地であるマティスの礼拝堂を目指す。
俺はずっとにこにこしていて、すれ違う人々もにこにこしている、たまに挨拶をする、細い道で俺が避けるとお礼を言われる、当然のことをしたまでなので、どういたしまして、と言える、なんて気持ちのいいコミュニケーションなんだ、独立している、ただそうしたい、そうする、というだけ。
あらかたの展示を見てから教会部へ。
俺は、ここへ来たかった、と思った。
思った、と思うより先に体が思っていた。
先に体が分かる、ってのは危険でもある。
何かがそれに追いつくまでに時間がかかる。
今は来れてるからいいけど、まだ来れない段階で思っていたとしたら、それを知る前と後では結構、魂的なレベルで変わってしまう。良かったセーフだった。
音の響き方が不思議だ。
何も考えずにぼんやりとしていたら、何かが流れ込んできて、涙がぼろぼろ、ぼろぼろぼろぼろ出て来た、初めての経験だ。
何かを受け取れた気がする、与えようとする側、与えようとしてしまう側、押し付けようとする側、押し付けようとしてしまう側、そのようなものから、本当に降りた気がした、俺はこれから、与え与えられ、受け取り受け取られ、受け入れ受け入れられ、そういった、当然のことを、当たり前に出来るだろうと思った。
なんということだ。
俺は誰かに必要とされたかったのだ、本当の意味で。
誰かに必要とされる俺でいたかったわけではなかった、ただ俺を必要として欲しかったのだ、俺は誰かを、いつもただ必要としていた、その人が何をしてようがしてなかろうが、何だって良かった、その人であればそれで良かった、俺もそうありたかったのだ、そしてそれは成されていた、そう成されていると気が付けていなかっただけだ、俺とお前も、あなたと俺も、僕と君も、そのように、ただそこにいて、ただそばにいた、そんな気がした、うーん、しかし、一体誰が俺を必要とするのか?とはやはり思う、俺は俺に必要な人や物事、全て分かってきた気がした、遅かったり早かったり、もちろんタイミングばっちりってこともあれど、何も見落とさなかった気がした、そんなことはないんだけど、この先、俺は誰か、何か、人や物事に必要とされる時がくるのだろうか?、分かんな過ぎる、死ぬことよりも怖いことかもしれない、気付きたくなかったが、気付けて良かった、でも本当に、死ぬことよりも怖いことだ、間に合うのだろうか、俺は。
というか、あらゆる記憶がなかったり、何も感じられないな、と思ったりしていたのも、何かを感じ過ぎるがゆえに閉じてしまっていたんだ、と思った。
多分俺は、異様にキャッチしてしまっている。
封印するか言葉にするか、の二択しか持ってなかったのだろう。
かわいそうに、とも思うが、よくやった、とも思う、そうとしか出来なかったことを出来ていたなら良かった、しかしこれからは生きていることを楽しもう、と思った、何かを食べるのが好きなのも、そこだけで完結する味わいだからかもしれない、これからは様々なものを味わうことが出来るはずだ。
かなり長い時間そこにいた。
ドラッグストア的な店へ行って爪切りを買った。
小さいシャンプーも買った。
みんな優しいなあ。
同じバスに乗ってGrand Arenas、なんかトラムに乗るのが面倒なので、歩くことにする。
ぎゅおーんと歩いて海岸へ。
ヨガ中の人、駄弁ってる人、泳いでる人、YouTubeか何か見てる人、煙草吸ってる人、眠っている人、ぼんやりしている人、なんと素晴らしいことか。
なんか初めて、自然の中でスマホいじってる人を愛らしく思えた、確かに、家の中でいじるより海沿いのがいいよな、リールとかな、と思えた、今までがおかしかったな。
そこからまたぎゅおーんと歩き、暑過ぎてトラムに飛び乗る。
一旦帰ってすぐにランドリーへ。
長期の旅行だと当たり前なのに、言語が違う場所というだけで変な気持ちになる、住んでるようでもあり旅行者でしかない気もする。
洗濯分だけ待って乾燥機、ちょいと歩いてハンバーガー食べて時間潰す、なんかニースやけにハンバーガー屋さんがある気がする、好きなの?
優しい人ばかりだ。というか、挨拶の文化が根付いてるということなのかもしれない、こっちがちゃんとしていれば、基本的には、温かな接客を受けることが出来ている。
あ、もうbon soirの時間なのね、と学んだ。
洗濯物を回収してからスーパーへ。
入るタイミングで、出ていく人がパインを食べながら歩いていた、俺もパインを手に取って、でかい水と一緒に買って帰る。
恥ずかしいよりも、パイン食いてー!を優先できた、よくやった。
くだらんことでもいい、やるしかない。
歩行距離9.6km。
2025/1008 Nice/Ventimiglia
アラームをかけずに眠って昼前。
回復系の睡眠を取れた気がする。
何しようかなー、と、TERでイタリアのVentimigliaへ。
ぎゅうぎゅうの電車。
まじで体温高いんだ、少し感動さえする。
モナコで降りる人が多かった。
ノート書いたり音楽聴いたり眠ったり、1時間ばかりの移動。
一応パスポート持ってたけどノーチェック、どういうことなんだろう?
お水など買いに小さな店、日本人?と聞かれる、イタリア語も好きな響きだ、フランス語もかなり好きだ、言葉が好きだ、言葉、とされている音が好きだ。
人によって、同じ単語でも違う音が入るなんて!素敵!
小さい庭園を抜けて海へ。
日本と同じ匂いがする。
ニースの海は今のところまだ匂いを感じれていないから、何だか妙な気分、体が自動的に落ち着いている。
石ころだらけの浜がいい感じ。
適当に座って、寝転んだりノート書いたり、ふと思い立って足をつけてみる、冷た過ぎる、なぜ泳いでいるんだ?と腹立つくらい冷たい、とても気持ちがいい、これまでの俺から足を洗うということかもしれない、と思う、駄洒落めいたくだらんことを一人で出来るようになった。
誰かといて、演出めいた形で、複数人でいて、悪ノリみたいな形で、じゃなくて、くだらねーとも思いつつ、思い付いたんだしまあ、と実行できるようになった。
嬉しいことだ。
心底くだらんが、ちゃんと楽しくもあった。
かなりぼんやりして、近くのイタリアンでパスタとサラダ。
日本にいても食事が下手な俺には、海外での外食はかなりハード、多過ぎる、そんで美味!、観光地だからってのもあるけど、まじでみんな優しい、観光地だから優しくなくなってる場所も日本ではたくさんあるから、そうじゃないところ、しかも、こっちがちゃんとしていればそれに応じてくれるというのはとても嬉しい。
応じる、というのは不思議な行為だ。
応じるのも応じないのも、全く等価であることも不思議だ。
大満足大満腹。
また海岸に戻って、石ころや砂の上をがたがた歩く。
そんでその間中、ぶつぶつ独り言を話してみる。
で、俺は今、ここ最近、子どもの頃に「子どもっぽ」と思ってたことに真剣に向き合えている気がした、真剣なのに軽やかに向き合えている、とても前向きに、子どもでいることが辛かったのだろう、と初めて思った、そんなこときっとなくて、全部大人になってから後付けで感じているのだろうが、それでも確かに今、そのように思えた、てか、真剣って必ずしも深刻だったり重いわけじゃないな、てか、そうだったとしても別にいいな。
移動ってありがてー、と思う。
俺は移動、街、他者との間にしか存在しない。
人間ってそうだろう?
岩の突堤みたいなところをぐるぐる歩き回り、街を通って駅へ戻る。
またTERでNice Villeへ。
どんどん心が軽くなる。
体もどんだん軽くなっているが、今年の7月からある謎の腫れを感じるため、多分疲れている。
水買って帰って、ストレッチなどして即寝。
歩行距離5.7km。
2025/1009 Nice
何かが功を奏し、腫れを感じない目覚め。
四つ病院に行っても分からないので怖い、全然まじで死にたくない、死ぬ系では決してないのだろうが、何も分からないというのは恐ろしい。
体温めて、外。
フランスにいるからか、フランス的なリールが溢れる。
フランスの人は繋がりを保つ努力をするらしい、自分自身がこれまでしてきたことは別の国では無駄なことではなくて当たり前のことなんだ、と嬉しい気持ち、でもSNSでそれを知った悔しさに挟まれた。
しかし、便りがないのは云々もあるもんな、まあいいか。
うーん、と、近くのカフェ。
オムレツとエスプレッソ。
美味いし、やっぱりとても優しい。何か特別な施しがあるわけではないのだけど、とにかく柔らかく温かな雰囲気が感じられる。
俺がにこにこしているからだろうか。
気持ちが良い朝だ。
ニースは今のところ、女性の優しさをとても感じている、男たちは特に何も嫌ではないけれど無愛想だ、男!という感じがする、俺が男で、朗らかにしているからだろうか?
老婆に煙草をあげる。代わりにライターくれた。あんたもいるだろライター!
明日は朝早くにここを出るから、最後に歩きまくるかー、と散歩開始。
とにかく旅行中ずっと、音楽を聴いているのが最高、街の音を聴いている時間も多いけれど、音楽に戻るたびにも最高。
日本で歩いているときよりも踊りに近い形で歩いている、少し旅に甘んじているな、とも思う、まあいいか。
歩き出してすぐ、む、と思ったアンティークショップへ。
やっぱりなー、関わりのある紋章の書かれた灰皿を発見、ありがとう脳。
それと、置物を二つ買った、あまりにも馬鹿な買い物だ、こっちへ来て置物を三つも買っている、というか、置物を一つ持ってきているのも馬鹿過ぎる、今日からずっと置物を四つ持って移動するのだ、馬鹿過ぎ。
しかし嬉しいとっても。
すぐそこのスーパーで飲み水、とスパイス買った、まじなんで?、あと変な形状のハリボー。
楽器屋を見、ギター弾きたいことを思い出した、やばい、思い出したくなかった。
しばらくギターのことで頭がいっぱいになる。
そのまま適当に歩いて行って、海のそば、マーケットや小さな店が所狭しとあるゾーンへ辿り着いた。
わー、と思いながら、スパイスをいっぱい手に入れていた、なんでだろう。
俺は俺が何を買いたくなるのかいつも分からないし、分からないからか、気が付いたらいっぱい買ってる。
通りを練り歩く。
Cathedrale Sainte-Reparate de Niceに辿り着いた。
蝋燭が売っていて、献灯してみる、観光地の楽しみ方が出来るようになっている、嬉しいことだ、とりあえず蝋燭が全然ない空間へ置いた、十字架も切ってみる、何か正しいことをしている気持ちになる。
俺がどう思おうが、たくさんの人の思いが満ちた空間だ、重いはずなのに、物事に真剣に向かうと、重さというよりも心のありそうなところへ風が流れて、気持ちが軽くなる、発見だ、なるほどな。
おじさんに煙草をあげる。朝もらったライターもあげる。
アジア人だから、というか、とりあえずってことで、なめられてはいるんだろうけれど、何か特に気にならないので気持ちのいいコミュニケーションだと思う、今はまだ、105本目にはムキー!と思うのかもしれないが、まだまだ先だ。
そのまま海へ出て、またちょっとつかってみる。
こちらはギリギリ泳げそうだ、しかし浜に焚き火を用意しておく必要はある。
のんびり。
帰りつつドラッグストア的な店で化粧水とクリームを買った、そんでまたシャンプー、一昨日買ったやつのでかい版、きしょいとさえ思う買い物の仕方だ。
荷物置いて、少し休憩してから散歩再開。
シミエ通りをひたすら歩いてマティス美術館へ。
めちゃくちゃ気持ちいい通りだ。
延々と坂道が続き、薄手のセーターを着ていられなくなる。
タンクトップ、嫌だ、それでも元気なままでいられる気持ちのいい通りだった。
スーパーに寄って飲み水確保。
それだけ?それじゃあ先にどうぞ、とマダム、優しいし、俺もそうするよマダム、という顔でお礼を言って出る。とても良いコミュニケーションだ。
とにかく暑過ぎる。
ロンドンから2時間ちょっとなのに訳が分からない。
美術館の警備員も受付のスタッフも優しい。
優しいというか、俺があなたならそうする、という扱いをずっと受けている、有難いし嬉しいし、そのような反応、お礼も伝えるけれど、当たり前のことがしっかり成されてる感じがあって、とても心地好い。
ずばばっと観て、庭園を歩く。
犬と子どもと老人。みんな気持ちのいい庭園にいるぜって表情で、見ていて嬉しい、俺もその顔をして歩く。
すぐそこのMonastere de Cimiezへ、入るのかと思って入った場所が墓地だった、全然着かないなーと思っていたら行き止まり、お邪魔しました。
しかし見晴らしもいいし、墓石も多種多様過ぎていいな、と思えたのでラッキーだった、死者たちも、その関係する生者も、このようなことでは気分を害さないだろうと思う。
少なくとも俺が死者でも生者でも、勝手にしてくれ、と思う。
静まり返った教会や修道院は、心にかなりの安らぎをもたらしてくれる。
一体化するのだろうか?、ここが静かだから、心も静かになるのだろうか?、思えば神社や寺では外にいることが圧倒的に多いような、確かに、高校の頃の友達の家のお堂に入ったとき最高だったような。
また献灯して、しばらくぼーっとする。
庭園へ戻り、案内に従ってトイレへ。
何だか公的な場所かと思っていたけれど、とても私的な気配の漂う人が受付にいて、5セント払ってトイレを借りた。
どのような雇用形態なのだろうか。
トイレには1ユーロのコインで払った、お釣りは渡されず、まあじゃあ、とコーヒーも頼んだ、淹れ始める前に、コーヒー代として5ユーロ札を渡そうとした、お釣りがないとのことだ、それでも渡そうとしていると、とにかくトイレへまず行けよ、と言われる、有り難くトイレを借りる、その間にコーヒーが淹れられている、わ!やべー!別にいいけどうぜー!と思っていたらコーヒーは何故かくれた、そのあと来た若者はクレジットで払っていた、俺も踵を返してカードを出す、いいからいいから、という反応、何故だ?、かなりお礼を言って、離れたところにあるベンチスペースへ、あ!と思って戻る、煙草何本かいるか?と訊ねる、あはは!大丈夫大丈夫!俺は煙草吸わねーから、といった感じ、めんどくさいのもあるんだろうけど、謎の優しさ。
そのあと、その人は前を通り過ぎる老人や子どもたちとグータッチみたいな感じで肘で挨拶していた、謎だ、Marshallのヘッドフォンで何を聴いているのか気になるよ俺は。
ベンチでぼーっとしてから街へ戻り始める。
小さな声で歌いながら坂道をずんずん下っていく。
異様な心地好さが俺を、ひいては街を包んでいるように思われた。
この時期のニースは特別なのかもな。
意味や特別さばかり追い求めているな、意味も特別さもこの世に存在しないからからもな。
感じられてしまったときに抱き締める、みたいなことばっかしてるな。
死んでいることに気が付いてなかったのかな?ってくらいの空腹。
パスタが食べたくて街を散策するが、何故かなかなか見つからない。
テラス席のあるレストランを見つけてそこへ。
サラダとパスタを頼む。
同じだぜ?シーフード好きなの?と聞かれる。
同じ?と思いつつ、好きだよと答える。
まじでかなり同じものが提供される。
美味いけどやばい。かなりのシーフード状態だ。
エスプレッソで浄化して帰る。
帰り道ふと、自己肯定感的なものは限りなくゼロなのに自信に満ち溢れている、ということに気が付いた、どういうことなのだろうか。
同時に、様々な人や物事に対して、俺には勿体ないのに、とも、ごめんなさい、とも、よく分からない。
元気過ぎて普通におかしい状態だ。
しかし、これ以上ある種強くなってしまって、みんなとの乖離はいよいよ一生埋まらないものになりそうだ、と確かに思う。
どんどん孤独に強くなっていく、しかし少し孤立方面へ行き過ぎている気もする、ゆるく繋がり続けておくことは人間には多分必要だ。
明日のために早く眠る。
歩行距離12km。
2025/1010 Nice/Paris
なんだかあまり眠れないまま早起き。
とりあえず体動かして荷造り。
なんとなく夜と朝にシャワー浴びるようになっていて、気分がいい。
トラムに乗り込む。
間違えていることに気が付く。
一駅で良かった。
無事到着。
諸々済ませる。
ポキ丼のチキンバージョン食べたりして待つ。
小さめの空港いいな。
いい感じのSAと全く同じ雰囲気、国が違っても同じで不思議だ。
統計的にはそうじゃないのかもしれないが、体感では人々は大体同じだ。言葉と信条が違うだけだろう、もしくは片方。
毎飛行機がとにかく怖い。
全く、こんなことでは死にたくない、抗えないなんてごめんだ。
待っててねヴェイユ、みたいな気持ちがほんの少し湧く。
と、思ったらまた強烈な眠気がやってきて、次に意識が繋がったときにはオルリーに着陸していた。
離陸直前から着陸直後まで、最も眠っていてはいけないな、やっぱ怖いから眠ったのだろうか?、変な感じ。
メトロに乗り込むために歩く。
ニースで使っていたLa Carteの方がなんとなく使いやすい。
宿の最寄り駅で降車。
曇天にもほどがあり、なんとなく気後れしている。
荷物だけ預けようとホテルへ。
かなり時間があったけれどチェックイン出来たのでしばらく休憩し、着替えたりなんなり、街へ。
イメージがそうさせるのか、やはりお洒落な人が多い、東京にいるよりも、より個人的なお洒落に見える、人の目を意識している感じもあるけれど、もう少し自然に楽しんでいるように見える、とくとご覧なさい!、みたいな方向っていうか。
予約の時間までかなりあるために何をしようか分からなくなる。
違うにせよとりあえずということでポン・ヌフの辺りへ。
遠隔でカラックスに「来たよ」と伝える。
そういう、そんなに好きじゃないのに例えば「すげー映画を撮る人は?」とか「すげー漫画を描く人は?」とかそういったときに出てきやすい人というのがいて、カラックスは完全にそれで、しかも『ポンヌフの恋人』はかなり映画だったために来れて嬉しい、確かに、なにがしか感じ入る場所だった、往来がありホームレスがおり芸人がおり造り付けのスペースに人々が座って何やらしており、生き生きとした空間だ。
渡ってうろつき、袂でコーヒー売ってる人がいたのでアメリカーノを買った。
やはり建物が低くく、閉塞感がない。
で、ルーヴル美術館。
そもそもの宮殿がやばい。
かなり抱かれている感覚があるし、気持ちがしゃんとする。
行列も意外とスムースで良かった。
てかあれだ、俺、でかい岩とか樹木とか、触れたりもたれたり囲まれたりしているとリラックス出来るから、ロンドンからここまでずっとリラックスしているのだろう、とふと思った、ずっとでかい岩に囲まれているのとほとんど同じだ。
ニースは特にそうだったな。
目当てはないからとりあえず見て回るかー、と、荷物をロッカーに入れてから適当にエスカレーターに乗る。
ちょろちょろっと歩いて、長い廊下があって、その先に階段、その踊り場的な空間にサモトラケのニケ、もう大満足です帰ります、という気持ち。
全く興味もなければ関心もなかったのに、半端じゃなかった、なんだこれは?
俺には、飛び立つ直前、そのまた直前、飛び立つ意志や力が満ちた状態、本来なら横溢していてもおかしくないエネルギーが、その体の内側にぴったりと収まっているように見えた、もっともエネルギーと内圧が高まっている状態、解き放たれる寸前の、唯一コントロール出来る瞬間、そういうふうに見えた。
舞い降りてきた姿らしいけどな、知ったこっちゃない。
かなりの時間、あらゆる角度から眺めた。
なんてものを造ったんだ、と思う。
造ることができるものなんだ、とも思う。
ルーヴル美術館が国内にあり、それがどんな秘境でももう帰っていただろう。
さすがにさすがにな、とそのまま館内を巡る。
さすがにだよな。
『洗礼者ヨハネ』の黒に塗り込まれている部分の深さと、その目、全く理解が及ばないし言葉も出てこない。
なんでこんな状態にあるんだ、不安ではなくて、純粋な恐ろしさと心安らぐ何かが併存している。
イエスに洗礼を授けた人らしい、まじかよ!そんなやついるのかよ!、くらい知識がないためびっくりするし、納得もする。
昔大学の講義で、結局イエスはものすごーく口が上手く、大衆が求めていることを分かっていたんですねぇ、ある種、密教と大乗仏教のようなもので、おーくの人が求めるものを差し出せたんですねぇ、というような話を聞いたことを思い出す。
ルーヴル最高!って感じと、ぱっと見7割以上の人が写真を撮る瞬間と寸前だけ絵を見て、あとはささっと過ぎ去って自撮りに勤しんでいるために、早くここから出たい、がせめぎ合っている。
ある特定の誰かを観察しているわけではないから、概念的な、ルーヴル美術館鑑賞者、に括って勝手に気怠くなっているだけで、感じ入っている人も一定数いた、しかし、あまりみんな何も好きじゃないんだ、とも飛躍する。
人がつくったよく分かんないものを人は、何も好きじゃないのかも。
映画も音楽も絵画も、まあ本当は公園とか何かの施設とかだってそうなんだけど、まあ一旦、どれもこれもあってもなくてもいいのにあって、でも実は誰も全然興味ないっぽい。
人はもうよく分からなくなった概念、みたいなものが好き、というか、それに守られているのが好きなだけなのかもしれない。
自分自身が変容していくのがそんなに怖いんだろうか。
フランチェスコ・サルビアーティ『聖トマスの不信』とピエール=ポール・プリュードン『プシュケの誘拐』の、プシュケとキリストの肌の色も半端じゃなかった、常人とは完全にかけ離れた者の色だ。
そりゃ歴史に残るよな。
納得する、というのはちょっと奇妙な感覚だ。
バゲットサンドとダイエットコーラでお腹を満たす。
チーズとハムとガッチガチのバゲット、結構好きだな。
そしたら興味が失せた。
早々に出る。
『モナ・リザ』は、もう少し暗い、もう少し小さい部屋で観たいね、仕方がなさ過ぎなんだけど、やっぱり色んな絵の前のガラスかアクリルか何か、反射が気になって全然入ってこない。
それでとにかく歩く。
音楽を聴きながら歩きまわる。
街のあらゆる箇所、人々、気温、風、歩調、声や騒音、全てを吸収していく。
またポン・ヌフの方へ行ってノートルダム大聖堂、そのままぐるっとまわってあちこちの通りを過ぎていく。
足が怠過ぎるため一旦帰る。
休憩してから近くのBrasserie Flottesへ。
食べてみたかった牛肉のタルタル。
言っているとき、タハタハドゥブゥッフ、という感じがある、あとソワソン(ト)キャッ(ト)ブロンシュ、1664ビール、フランス語、言っててとても楽しいし、もちろん、通じるととっても嬉しい。汲み取ってくれてありがとうみんな。
タルタル美味過ぎ。
次回はタルタルツアーを敢行したい。
タルタル食べて、たっぷりバター塗ったバゲット食べて、ビール飲んで、ポテト食べて、サラダ食べて、バゲット食べて、タルタル食べて、ビール飲んで、としていたら爆裂に酔った。
宇宙空間とブラッスリーを行き来。
会計のとき、「俺はかなりアルコール耐性低いんです、でもちょっと飲めて嬉しかった!味はもちろんばっちりです」と伝えてみたところ、拳を突き合わせて退店することになった、いい奴だ。
ふわふわでパリの夜道を歩き回る。
ウディ・アレンのなんかの映画で歩き回ってるやつなかったっけ?歩き回ってはなかったっけ。
今回とにかく音楽が聴ける聴ける、とてもありがたいことだ。
音楽も街の音も最高だ。
そして、踊りながら、泣きながら、歩き過ぎている。
それに関しては日本だろうがどこだろうが関係なく浮いている。
仕方のないことだ。
充電がやばすぎるため、近場、と認識できる範囲を適当に歩きまくった。
湯船に浸かって就寝。
お湯に包まれるって最高!!
お湯さん!
歩行距離15.2km。
2025/1011 Paris/Barcelona
朝、快晴過ぎます!
昨日は丸一日嘘だったのかもしれない、と思う、曇天と快晴の街ってあまりに違う。
とてもいい。
テラスでぼーっとしてたら、俺が幸福になることを阻んでいたのは俺だけだったかもしれない、と思い付いた。
幸福は変化を伴うことで、生き物としての恒常性が阻止していたのかもしれない。
ありがとうなこれまでの俺よ、という気持ちが湧いた。
荷造りしてチェックアウト。
近くのROYAL OPERA。
ペンネとシュウェップス。
普通に美味い、なんかまだ小麦粉に対して拒絶感がない。
注文考えてたら、最初受けもってくれた店員と、さらに別の店員が出てきて、そのスーツケースどこの?国は?どこで買える?、と訊ねてきた、そんなに!?と思いつつ、知らないけど〇〇か〇〇かなぁ、Amazonで買ったよ、と伝える。
日本ではあまりないコミュニケーションで、正しく感じる、そこ以外は徹していたし、なんだか楽しそうに、しかし馴れ馴れしくない接客だった、最高じゃんと思った。
そんで、昨日のパリ着後、昼ごはんを食べるまでに感じていたことが、ペンネを食べて分かった。
街を移動して初め大体どこでも、疲れもあるんだろうけど元気が湧かなくて、なんか俺間違ってるかもな、この街に対して無礼な存在かもしれない、旅行者ってうぜーもんなぁ、そぐわないなぁ、と感じていて、それはただ空腹なだけだった。
俺は割と常態が、よく分からない自信と楽観的な思考で満ち満ちていて、空腹時、それが欠乏して自信喪失していただけだった。
だから、よく歩いて息を吸ったり吐いたりしているうちに街に馴染んだ、と思っていたけれど、その土地で、適当に選んだ店でご飯を食べたから馴染んだ、というか、本来の俺でいられるようになって、すっと馴染んだ気がしていたのだった。
それもきっといつも、その土地で生まれその土地で育った、みたいな過ごし方を旅行先でしたいなーと思って、そうしている、その勘違いにも近い、今回は特に結局は観光都市を巡っているに過ぎないから、でもその勘違いに近い思いと隣接はしているだろう。
でも、それでいい。
背伸びして、普段しないようなことをすることもあれば、背伸びしようとすることが間違っているときも、そりゃ生きていれば当然あって、だから、やっぱり、俺が俺としてそこで生まれ育ったとしたら、その日々で選択するものを、俺も選べばいいだけだ。
だからやっぱり、だから?、自己肯定感みたいなものは人々にとって、たいした問題ではない気がした、そんな条件付きの自己への認識は、本来的には意味を為さない、その都度その都度で役に立つこともあるし、長期的にいい感じになることもあるけど、基本的にはまず、存在自体を寿ぐほかない、何をしようがしまいが、人はそれ自体でその時の完璧な状態にある、と思えること。
歪なまま完成してしまうことが、完璧であること、そしてそれは簡単ではあって、歪さにも型があり、その型から外れた歪さを受け止めることだ、なんてこった、あなたも俺も完璧だった。
そういうわけで、とても気持ちの良い昼前の時間を過ごせた。
またメトロ、しばらく全然違うホームで待っていた、あぶね、移動して乗車。
まじで次来るまでにApple Payに対応していて欲しい、もしくはIUの優れたアプリで、簡単にWalletに追加させて欲しい。
よろける、後ろにいた女性が手を添えようとしてくれる、ヘッドフォンをしている、口パクに近いmerci、ずっとリズムを取りながら半ば踊っている、Gare de Lyonで降りるとき振り返る、声に出してmerci、目が合って、互いににっこり。
とーっても正しい。とーっても嬉しい。
うねうね歩きつつ、水買ったりスタバで時間潰したり。
今のところ全てが定刻通り、ありがたい、TGV inOui、席選ぶの忘れていた、四人席にロシアの親子と一緒になった、二人はぐっすり、俺の膀胱は破裂寸前!
延々と畑や草原が続く。
所々の白一色の牛がいる。シャロレーという牛らしい、なんかかわい。
まじで今のところ全ての人が優しかったり、普通だったり、親切だったりしている、ただやる気ない奴は除いて、何も嫌な目に遭っていない、基本的に運が良いのと、今は素敵な勘違いが出来ているのだろう、しかしまあ、実は馬鹿にされていたとして、アジア人だから、とか、全然言語が話せないから、とか、そんなくだらないことでどうこうって奴のことなんて有り得ないくらいどうでもいい、結局のところ、生きている間中、俺は素敵な勘違いをしていていいかもな、対人に能動性を発揮するときにはしっかり見極めた方がいいけれど、受容しながら心を育むときは素直に見ていたい。
イメージする京都、みたいなところで暮らすとして、俺のピュアネスはずたずたになるだろうな、しかし文脈を無視し続ける度量は増すだろうが、やっぱり基本的には俺は俺の中の素直さを守ってあげたい、馬鹿と紙一重でも。
チャンスが訪れてトイレへ。
ついでに売店でサンドイッチなどを買っておく。
早過ぎる乗り物全般、本読んだりするの難しい。
駅、Barcelona-sants、表へ出た瞬間に治安の不安定さを感じる。
地下鉄に乗ってDiagonalまで。
日本の地下鉄って分かりにくいと思ってたけど、そんなことかなり無さそう、パリとバルセロナに比べればと思うような。
カバンのチャック開いてるぜ、お!あざます!、というようなやり取りがあった。あざす。
気を抜き過ぎている。
別にまじでいらないものしか入っていないところなのが、自分の精密さと抜けているところの表れみたいで、何となく恥ずかしく、そしてつまらない。
絶対にないとやばいもの、しか入ってないところ全開になっとけよな。
すぐそこのホテル、チェックイン。
スペイン語分からな過ぎておもれー。
その俺の反応の割に、結構みんな長いセンテンスをスペイン語のまま話しかけてくる、当然なんだけど、とりあえず英語って感じじゃないのがとてもいい、し、全く分かんないなりに分かるのもおもろい。
自分のためじゃなく、その国の人のために言葉をある程度覚えるのはいいことかもな。
誇りを持っていたらそれもうざいのかもしれないが、それはうーんって感じもするし基本は。
着替えて外へ。
かなり人がいる。
こっち来てから大体どこでもテラス席にしているが、日本へ戻ってから一番寂しく思いそうだ、と思う。
お腹が減り過ぎている。
一軒振られて、そこで教えてもらった店へ。
クラブ音量で音楽がかかっている。
良いことだ。
イカのフリットと謎の形のトリュフ的なパスタ、うますぎる。
引き続き散策。
お腹も満たされて音楽が最高に入ってくる。
途中でジェラート屋さんに寄って、そのまま海まで歩く。
既にかなり気に入った。
海の上に木製の歩道があって、そこのベンチでみな好きに過ごしている。
よく分かんないオブジェが海に浮いている、とっても良い。
そりゃ来るよね。
治安の不安定さは相変わらず感じ続けているが、半ば踊りながら、かなり速く歩いているからか、ひやっとするようなこともなかったし、バルセロナでもやはりない。
泣きながら踊ってる奴からはさすがに、何も盗まないし売らないし絡まないのかもしれない。
適当に歩き回りながら帰る。
宿に一番近いコンビニで水など。
旅行?、旅行っすね、日本人?、日本人す、I like you、はははありがとう、いい夜を!、あんたもな!、というようなやり取りがあった。
とてもねっとりとしたI like youだった。奇妙でいい。
ジャンキーだったのかもな。
歩行距離4.5km。
2025/1012 Barcelona
昼前までぐっすり。
すぐ前のANXOITAでタパスをつまむ。
通りがやけに騒がしい。
ロブスター飯、みたいなのめちゃくちゃ美味い。
あれなに?、あー、わっかんね、ねーあれなにー?、あー、あれナショナルデーの、あー、ナショナルデー?、そうそう、ヒスパニック系の、あー、らしいぜ、へー!ありがとう!みたいなやり取り。
通りが騒がしいのはナショナルデーの催しで、ヒスパニック系の方たちが各国の国旗を掲げつつ踊っていた。
バルセロナは危ないからスマホとか鞄とか気をつけて、と、適当に置いた鞄を指差してた、あざます!って感じで移動させ、通りの様子を見ながら食事。
ちょっとずつ色んなもの食べられるなんて、なんて最高なんだ!
通りの方へ行って、しばらく色んな踊りや音楽を浴びる。
なんかふるふるしてきて、涙が出てきた、踊りを見て泣くなんて初めてだ。
日本人が外へ出て帰ってきたら愛国心が芽生えたりその逆、どちらも過度に起こったりするイメージだけど確かに、自分の国を、というか仕方なしにでも属しているものをプラウドするというのは、それがなんであれ力を宿すものだな、いいな、というルートで少しだけ、日本、良いところもたくさんあるよなあ、としみじみ力が漲った。
適当なところでコーヒー手に入れて、サグラダ・ファミリアまで歩く。
いくつもの通りを挟んで上部が見えているのでテンション上がる、でかすぎるものっておもろくていいな。
しかし全く興味をそそられず、中に入る気も起きなかった、実際は前日にチケット買っとかないと系かも知れないが、結構ガウディ建築好きそうだな俺、とか思ってたのにな、もう少し大人になったらはまるのかもしれない。
街のがいい、と思う。
ベンチで休憩しながらノート。
録音したりぼんやりしたり。
頭の中の言葉や、自動的な判断みたいなのが止まっている。素晴らしいことだ。
適当に歩く。
良さげなコーヒー屋さんでアーモンドラテ。
美味い。
今のところ、どこも犬だらけでとても朗らかな気持ちだ。
方向感覚を失うと、街並みが似通い過ぎていて迷子になる。
普段出先で地図を見ない分、というか、家を出る前にちらっと見た地図と感覚で十分なせいで、地図を見て街を歩く方が難しい、感覚に蓋されてよく分からなくなる。
む、と思った道全てを歩く。
一旦帰って休憩。
毎日歩き過ぎかもな。
びゅーんと歩いてハンバーガー。
なんか美味い、まだ小麦粉を拒絶していない。
むしろ硬いパン食べたい感じもあるしな。
海風にぎり感じない柔らかい風が街を過ぎていく。
気持ちがとても楽だ。
歩行距離13.4km。
2025/1013 Barcelona
早起き。
小雨が気にならなくなっている。
濡れてもいい、とまでは思えないが、濡れんのはうざいしな、でもなんかいいや、で終われる。
ずーんと歩いて朝ごはん。
スペイン来てから出てくるブレッド、トマト塗られてることが多い。なんかよく分からないけど、美味いのかもしれない。
じゃがいもがたくさん入ったオムレツ。
卵・・・、と思いつつも食べる、美味い。
みんな卵と小麦食べ過ぎですよ、とは思う。
エスプレッソとクレームブリュレを頼んだ。
でかすぎるが美味いクレームブリュレだ、やばい胸焼け。
うねうね適当に歩き回る。
細めの道にわーっと商店が並んでいる。
店の外側の窪みに席があり、そこに座りたいがためにアメリカーノとクロワッサンを頼んだ。
ノート。
アイディアが一気に湧いたのでそれも書き留めておく。
活発な雰囲気のある街だ。
何が起きてるでもないが、流れている感じがする。
よくしてくれた人に抹茶あげたら喜んでた、何よりです。
二度目の洗濯。
洗濯中ノート。
乾燥に移す。
コーヒー買ってちょっと散歩。
これまで未分化だった感情がはっきり何か分かるようになってきている。おもしろい。
いや、見ないようにしていただけだな。
整理整頓してなかっただけか。
それは元々ちゃんとそこにあった。
なんのかんのと言って、俺は開かれているのかもしれないな、なんかみんな優しいし、幼く見えて子どもだと思われている可能性も全然あるけど、まあ結果的にはいい。
取り込んで一旦帰宅。
バルセロナ現代美術館まで歩く。
ニースもパリもここも、ロンドンより岩の中にいる感じが強い。
故にやっぱり落ち着くし、岩好き過ぎて背筋も伸びる、いいバランスだ。
ただかっけーものを観たい。
ショップが充実していて嬉しい。
先輩に教えてもらったバルまで歩く。
遠い昔に知ってる人が行ったところに行くのっておもしろい。
うーわ、過去ってまじあんのかよ、って気にもなるけど、いや、しかし、未来なのかも。
少し街の雰囲気が変わった。
強引な歩行者が、ロンドン、ニース、パリ、バルセロナの順で減っている、し、喫煙者も同じ順で減っている。
まあでも確かに、赤信号でも行けるなら行けばいいよな、それはまじでそう思うから、こっち来てからの散歩は気が楽だ。
一応駄目ではあるんだっけ。
英語がほとんど通じない。
よく分からないままいくつか頼み、スペイン語でおすすめを聞いてそれも頼む。
頬をつまんでいたから何かの頬肉だろう。
快活なおじいさんだ。見ているだけでエネルギーが湧く。
全てが美味かった。
チーズ盛り合わせの一つだけチーズ初心者の俺には半端じゃなかったけど、おもしろかった。
おすすめの、何かを煮込んだのがダントツで美味い。
それ食べてブレッド食べて、だけでいい、美味すぎた。
それを薦めてくれた人を呼び止め、スペイン語でまじ美味いっすと伝える、拳を突き合わせてはっはっはっ、と笑い合う。
こういうとき毎回、こういうのなんだよね、と思う。
隣のカップルが注文を迷っている。
店員が僕のテーブルの謎の煮込みを指差す。
めちゃくちゃ美味いよ、と俺は二人に言って、カップルはそれを頼む。
店員が俺にウィンクしてくる、俺は力強く頷く。
ふくふくとした気持ちで歩く。
音楽と街が心地好く、ぼろぼろ泣きながら帰る。
でもやっぱり、まだまだ未分化のものがあり、それらは音や詩で照らされる、まばゆい光が涙として流れている。
そういえば、俺は一体この前いつ、嫌な涙を流しただろうか?全く思い出せない。
非常によく泣いている気がするが、ほとんど音楽によってだった。
嫌なことで泣くようなことはもう泣き尽くしたのかもしれない、それに匹敵するようなことってもう俺の人生にはないのかもな、誰か死ぬくらいじゃないと。
嬉しく、ありがてー。
歩き過ぎて足が痛い。
良くない。
歩行距離13.8km。
2025/1014 Barcelona/Andorra
せっかくだから、とAndorraへ行ってみることに。
バスターミナルまで歩く。
途中でサンドとコーヒーを手に入れて、また途中のベンチで朝食。
誰も特に見てこない、それだけで心地好い。
どうして俺は日本のどこにいてもじろじろ見られるのだろう、歩きながらフルーツ食べてたり、それ以前にそこで誰も見かけたことないなってところに座っていたり、音楽を聴きながら半ば踊って歩いていたり、その他の諸々も、理由は分かるけど、一瞥でいいし、みんなもそうしたらいいのに、弁えるべきポイントはそんなところじゃないのにな、と少し悲しくなる。
史上最悪?って感じのトイレ、初めて、海外旅行の悪いイメージと重なってげんなりする。
バスに乗る前にパスポートチェック。
やっぱするよね?
三時間くらいの行程。
新譜!JOJI!嬉し過ぎる。
え!D’ANGELO?まじで?
新譜とディアンジェロをひたすら聴く。
境界を超える日だ。
バスも飛行機くらい怖い。
着いてすぐにmuakaboで牛のタルタル。
まだ何もあたってない。
美味い、チョコケーキも美味い。
山に囲まれている街。
かなり日本を感じる風景だ。
温泉街っぽくもある。
秩父を思い出す。
ざっくり散歩。
卓球台のある広場でノート。
ノートに何かを書いている人がいる。
そういえばこっち来てからよく見かける、脳が働いてるわけじゃなくて、ただ単に日本よりそういうふうにしている人が多いだけな気がする。
ぱらぱらめくってみるが全く読めない。
カップルがラケットと球を買ってきて試合を始めた。
風吹き過ぎてるから全然駄目、かわいい。
チェックインして散歩。
街が静かだ。店も大抵閉まってる。
モールのスーパーでスパイスや洗剤や歯ブラシを買う。
邪魔だ、とっても。
街が起き出す時間が遅いようで、さっきまで閉まってた店が全部開かれていた。
遊歩道、Rec del sola trailを歩く。
初めて野良猫を見かけた!
思いのほか嬉しい気持ちが湧いてくる。
高い位置から見るとより一層日本っぽい。
感覚が捻れる。
すれ違う人に挨拶しておく。
カタルーニャ語らしい。
気持ちが勝手に登山になっていて、日本っぽさも相俟って挨拶してしまっていたけど、どうなんだろう。
俺はまあ安全な人っすよ、ってことなんだけど、うざ!って感じかもしれない。まあいいか。
とりあえずSaint Peter the Martyr de les Escaldasまで歩く。
そこへ至るまでの街は東京過ぎて最悪な気分だった。
建物を建て替えるっていうのは本当に良くないって感じ。
しかし地元の高校生とかは嬉しかっただろうか?
分からない。
なんか日本にいる人の方が演技がかっているのではないか?とふと思う。
奇妙なオブジェが街のあちこちに建っている。
そぐわな過ぎていいとかも超えて、もうここまでのは良くなくね?ってのもあって、逆にいい。
一旦帰って休憩。
夜ご飯食べに出て、適当にうろつく。
英語が通じない。
あまりに分からない、Si Si Si と答えていたらとんでもない量の夕食になった。
ボサノヴァとジャズの中間みたいなアレンジのポップスがずっと流れている、うざおもろい。
街をぐるんと歩いて帰る。
また湯につかる。
全ての疲れが飛んでった。
歩行距離12.6km。
2025/1015 Andorra/Barcelona
目が覚めた瞬間に歌詞が一曲分降ってきた。
忘れないうちにメモを取っておく。一応ありがとうD’ANGELOと思っておく。
バス停近くのカフェでパンケーキとコーヒー。
三段重ねはやばい。
何かよく分からないままかけてもらったソースはカラメルだったようでやばい。
ちかちかする。
馬をたくさん見かけた。
まじで馬ってなんなんだろう、見かけるだけで嬉しい。
草食んでたりちょっと歩いてたり、そこに何が?ってとこに立ってたり、馬が馬のするようなことをしているのを見るだけで幸福な気持ちになる。
ターミナルからすぐそこのところで牛のタルタル。
どこで食べても大体美味いが、パリで食べたのが何故か頭抜けている、何が違うのかもよく分からないから不思議。
シウタデリャ公園でノート。
首の後ろが焦げそう。
ゆっくりするスペースが入り口付近には少ない気がして、日本の大きな公園を思い出す。
ピカソ美術館でも行くかー、と歩き出す。
そういえば、死にかけた商店街、みたいなところに出会ってない。
やけに細い通りに、やけに賑やかで滞りを感じない店々が並んでいる。
途中のギャラリーで紙情報を手に入れた。
ピカソはやっぱりまだ何も思えなかった。
何がしか、心が凍った人には届くのだろうか。
そして、美術館とか空港とか駅とか、そういったところにいるスタッフがどの国も感じが悪い、というか、イメージする海外のスタッフだ、そりゃ、街や小さな店で出会う人よりも圧倒的に「し・ら・べ・ろ!」ってこととか「し・ら・ねー・よ!」ってことばかり質問されるのだろうけど、やっぱり、普通に、どっちもでけー顔しないのが普通だろ、とは思う、ピカソの孫だったら多少いいけどさ、それも駄目な気がするけど、やはり重み付けは当然あるとも思うしな。
文房具屋さんでノートや紙などを買う。
とっても優しい。
一旦帰って休憩。さすがに歩き過ぎている。
一昨日行ったバルにもう一度行ってみる。
被らないように勘で頼む。
どれもこれも美味い。
こういう店ばかりならいいのに、と思うけど、どれもこれも美味いのって不思議なことでもある。
一昨日よりも賑やかで、カウンターで食事を摂る、かなり好きかもそれ。
足がやばくなってきてるが、距離というよりもスピードのせいだ。
歩行距離12.1km。
2025/1016 Barcelona/Praha
なんとなく早めに空港へ。
訳が分からない電車まわり。
無駄にチケットを買ったような気がする。
調べたら負けだと思い過ぎだな。
空港のカフェでぼんやり。
頭が働かない日だ。
パプリカとパンとチーズとハム、をそれぞれ別々に食べているおばあさんがいた、確かに、それでいいのか、真似しよう。
と思っていたら、スペイン語で話しかけられる。
何故か意味が分かる。
ペンを貸して、荷物を見張って、バイバイ。
チェックインカウンターが開くのが遅れるらしい。
早く着いていて良かった。
どんどん遅くなっていく。
しかし何故なのか?
説明は特になされなかった。ま、間に合えば謝る必要もないもんな。
むきー!とは思うけどな!
本読んだりノート書いたり、特に何もせずぼんやりしたり、一人で、その空間全体をただ感じていることが出来る、まだ短い時間だけれど出来るようにはなってきている。
機内で山盛り色んなものを食べる。
ディストピアのご飯ぽくておもろい。
プラハ。
最も字からの情報が得られない。
マークがないと全く分からない単語が多過ぎた。
わくわくする。
定額Uberで宿まで。
まさにThe Offspringの『All I Want』が似合う運転だ。
タンクトップに短パンのスタッフが出てくる。
こんなに寒いのに??
しかし宿はかなりいい感じだった。ありがたい。セーフ。
すぐに着替えて街へ。
寒い。
かなり治安が不安定に感じられる。
薄暗いのにカラフルだ。
三軒振られる。
キッチン閉めないで!
空腹過ぎるためブリトー。
美味いし優し。
うろうろ練り歩く。
カラフルだから薄暗いのに情報量が多く、でも人は少ないからか、夢の中っぽさが強い、ここどこだろう?が何故か湧いてくる。
小箱に包まれ、音楽の粒になった。
歩くというよりも、風に吹かれ、流れ込む形で宿に辿り着いた。
歩行距離7.7km。
2025/1017 Praha
早起き。
ホテルの朝食。
とりあえずKARLINの方向へ。
途中のZizkov Tunnelかっこいいのにほとんど尿の中にいるのと変わりなかった。
馬鹿でかいホースで洗浄したい。
公園を抜け、真っ白の素敵な橋を渡る。
妙に落ち着くな、と思っていたら、頭の中と近いからだと気が付いた。
晴れ間も所々あって、そこには燦々と太陽が降り注いでいるが、全体は青空ではなく、カラフルで奇妙な街並みが続いてる。
VINTORO BLOCKのカフェで休憩。
浅煎りのアメリカーノ、美味すぎる、17日目にしてトップだ。
しばらくぼーっと、ノートなど。
気持ちが凪で特に何もする気が起きない。
歩き出す。
すぐそこのDOX。
おや、ここ好きかも、と思っていたらデヴィッド・リンチの展示だった。
おうけい、そういう日か、と納得。
やっぱり今も、映像よりも絵が好きだ。
写真もかなり良い。
なんとなく理解できる、というか、抵抗感なく入ってくる。
しかしやはり映像作品のブースではげらげら笑いたくなるほど分からない。
てことは、俺も映像で何か作ろう、と思い立ったらこんなふうになるのかもしれない。
これまで行った中でもかなり好きな美術館だ。
横須賀の美術館へもまた行きたい。
全く似ていないのに、ちゃんと同じフォルダに入っているもんだ。
カフェでシナモロールとコーヒー休憩を挟んでGulliver内部へ。
クッションがいくつも置かれている。
また休憩。
地図を見てみるが特にどこへ行こうとかは思い付かない。
どこに行こうが同じだ、と認識されている、絶対違うのに。
どこの美術館も、学芸員が本を読んでいたりiPhone触ったりしていていい。
こっちもそのような意識で作品の前まで歩ける。
とりあえずレトナ公園まで歩く。
曇ったり晴れたり雨降ったり、天候も俺かよ、とかなんとか思いながら歩き続けた。
プラハ城のショップでまたスタチューめいたものを買ってしまった。
物の3倍くらいの箱に入っている、まずい。
すぐそこの文房具屋さんで鉛筆などを買う。
カレル橋を渡る。
これまでの国で見なかった色の像がたくさん建っているし、金の部分と組み合わされていてなんだかいい感じ。
しかしやはりこう、ぶち上がる感じはない、脳が勝手に既知のものとして認識している。
かなり歩いている気がするし、街並みもこれまでと結構違うのに、そういう疲れが全然ない。
雨が降って来たため逃げ込み、パスタとカルパッチョを食べる。
まじで窓際かテラスでしか食事摂りたくないかも。
かなり急ぎ足で一旦帰宅。
しばし休憩し、ハンバーガー買って部屋で食べる。
やべー。
歩行距離16.7km。
2025/1018 Praha/London
ロンドンに戻る。
この前のことがあるから、と少し早めに空港。
しかしやはり何もなくやばい。
カフェとバーガーキングとあらゆる内外のベンチで時間を潰す。
読書、ノート。
手慣れたものだ、というか、すぐに全てに慣れてしまう。つまらない。
そしてあらゆるアプリケーションありがとう。
ヒースロー着いてからバス停まで歩きながらチケット買って、そのまま乗車、基本的な都市では俺はもうどこでも行ける気がする、そして多分そうだ、ありがとうiPhone!ありがとう通信網!
チェックインして着替え。お決まりだ。飽きてきた。
というか、ただ移動疲れが抜けていないだけだ。
結構お腹が空いている割には元気だ。
近くのタイ料理屋。
ジャスミンライスでも、頭を抱えるほど美味い、帰って白ご飯食べたらどうなっちゃうんだろう。
一旦戻ってまた身支度など。
てくてくとfabric。
誰も一人じゃない。
つまらない音楽ばかりだ。
スイッチを入れるためにも無理矢理踊っておく。ごめんな踊り、という気持ちもあった。めんどくさ。
別のフロアのユニットが最高だった。
みんなも、最高だ!と思って踊っているのがはたから見ても分かる。
緩急が非常にちょうどいいし、しっかりハードな局面もある、踊れるし揺られるし泣けさえする。
没頭して踊っていたら女の子に声をかけられる。
顔が好き、とのことだった、あざす!、綺麗な髪だね、と返しておく、しばらく轟音の中で話す。
くっつかないと何も聞こえない空間で話すのは馬鹿すぎておもろい、間違え過ぎてるのに合ってもいる。
俺はしっかり大人になっているな、と思うが、29歳だから当たり前だった、笑けるよな。
フロアを行き来するが急にめちゃくちゃ退屈になった。
ピザとコーラ買ってぼーっとする。ワンホールは多過ぎた。
ピザじゃねーか!、どこで買える?、と声をかけてくる連中に、いるか?、と差し出しても誰も食べない、みんな大人だ、俺なら食っちゃうけど、確かに絶対食べない方が良くはあるよね。おもんな。
またしばらくフロアを行き来し、完全に飽きたので帰る。
帰り道で聴く『Voodoo』に、泣きながら歩く。
一体なにがこんなに違うんだろう。
鮮やかで誠実な感情が、優しく、色っぽく広がっている。
悔しさで腹立つくらいだ、なんて素晴らしいんだろう。
歩行距離7.6km。
2025/1019 London
早起き。
近隣にランドリーがないために下着類を少し買い足しに出る。
雨だ。
予報では雨が続くようだ。
雨男でもあり晴男でもあるところの男であるため、ぐったり。
しかしずっとうっすら曇っているからか頭痛などは誘発されない。
近くの美術館へ。
描きかけの状態の絵がいくつかあり、それらが頭抜けて良かった。
描き終える必要なんてないんだ、というか、その描きかけに見える絵で描き終わってるんだ、余剰だ、余剰は滲んでるだけだ、ぱんぱんな状態じゃなきゃな。
しかし本当に俺は、全然美術館好きじゃないな。
美術館ってか、そこにあるもの、何も心まで届かない。
意味や意義なんてどうでもいい。
だからむしろ美術館自体が好きであちこち行ってるだけか。
視界に入って一秒以下で感動したいだけだ、完成されているもの、元からそうだったとしか思えないもの、完璧なのに不完全なもの。
その空間くらいの強度のものを見たいだけなんだ。
部屋に戻って少し休憩。
体と脳が浮腫んで重い。
すぐそこのステーキ屋さんでステーキ。
感じ良くしているとちゃんと感じ良く接される、当然で、有り難く、嬉しいことだ、何度経験しても嬉しいもんは嬉しい。
雨雲の隙間を縫って少し散歩。
歩くのが早過ぎて、すぐに見知らぬ場所へ辿り着いて帰りが怠い。
歩いているときの音楽と思考がずっとクリアだ。
歩行距離8.6km。
2025/1020 London
朝からまたステーキ。
寒くてもテラス席はいいな。
伸び伸びと食事ができる。
意識は鬱陶しい、無意識がそのfeelingを選ぶかだけで、俺は振り回されながらもしっかりとつかまっているだけだ。
雨、Embakmentまで歩く、短い道中も歩けないほどの雨、本屋に逃げ込み傘を手に入れた、持ち手が鴨の頭の形になっている、日本じゃ絶対に買わない可愛らしさだ。
買って歩く。
諦めずに歩きたい気持ちを優先することが出来た、よくやった。
そのままEmbakmentからBarbicanへ。
なんだか気になっていたBarbican centre、何かのセレモニーが催されている、見たことある帽子、卒業式?、やべ、と思っていたらそんなことより月曜だった。
てかジャコメッティの展示あんじゃん、でも月曜じゃん、朧げなまま来るとこんなことになるのか、といつもと違った動きで失敗するとしょげる、が、どうでも良くもある。
建物自体も、開かれた空間も心地が好い。
ショップで鉛筆などを買った。
併設のカフェでしばし雨をやり過ごす。
頭が重い。しゃぼん玉が割れる感じで思考が弾けていく。
同じ路線で戻って少し歩く。
雨過ぎる。
昨日買い忘れていた靴下を買いに行く。
なんだか疲れているな、と感じる。
宿近くの店で炒飯とスパイスまみれの牛串を食べた。
少し回復。
また少し歩く。
音楽がこの世になければ、一体どうなっていたことやら、とさえ思う。
ロンドンで聴く宇多田ヒカルと小袋成彬は、東京で聴くよりも危険なほど入ってくる、確かに、何かしらの喪失以外で歌っておくことはないな、とか思う、てか、今は目の前にないものへ歌う以外、一体何をすべきなのか?、とか思う。
歩行距離8.3km。
2025/1021 London
また隣のステーキ屋さん、しかし今日はフルのイングリッシュブレックファースト。
もちろん不味くはないんだけど、全部三分の一くらいでいい、すぐに味が突き当たって、まあ朝はそのくらいでいいのかもだけど、色々あるのに全ての味の総量と簡素さが同じで退屈だった。
しかしナイフとフォークが完全に指に馴染んだ感じもした、俺なりの取り扱い方がしっくりきた。
あの豆あめーのかよ、って感じ、まじで5〜10粒でいい。
宿を移動する。
俺は俺の馬鹿さを可愛らしいとさえ思えている。
いいことだ。
序盤に行った雑貨屋さんでまたタロットカードやシールなどを買った。
がらっと品物の配置が変わっていてとても嬉しい、内容はそれほど変わっていないけど、なんとなく信頼度が増すような。
今度はてくてく歩いてバービカンセンターへ。
なんだか今日はとても心地好い。
とある道の判断を誤らなかったことで、嬉しい出来事が起きた。
日本にいるときよりも、俺の開かれ具合からすると、俺がお前でもそうするぜ、ってことがどこでも当たり前に行われていることがやっぱり多い、てかそう感じることがかなり多い。
とてもちょうどいいし、そのおかげで朗らかで、俺はまた別の誰かへも自然と親切に接するようになる。
そうしたい、から、そうする、ということが自然に行えるというのはいい。
同時に、誰かのペースに合わせる、ということが出来るようにもなってきた。
自分のペースが守られていれば、誰かのペースに合わせる、っていうのは過剰さがなくて負担もない。難しいことだけど、不可能ではない。
いつもみんなことを遅過ぎる、速過ぎる9:1くらいで感じていたのに、やはりまだただそこにいて待っていること、は難しいが、音楽に集中する時間ゲット!、みたいな、なんか別のことに意識を逸らすことが出来る。
そんなこと出来るようになるって、最早俺が一番遅い。
ジャコメッティ、作品もそうだけど展示の方法も素晴らしかった。
もう一人別の作家との展示だったようで、それぞれが別々にあるのに響き合って、時折、組み合わされてもいた。
なるほど、俺も人とこのようにして存在できたら、とも思う、完全に独立、自立しているのに響き合い、時折混じり合う、普通のことだ、素晴らしいことだ、とても難しいことだ。
そのタイトルでこれ?って感じで笑ったら、カップルも笑って、アイコンタクト、いいね。
さすがにふざけてそうなくらいの感じだもんな。
カフェでコーヒー買う、テラスでただぼーっとしていた。
鴨やオオバンの様子を見るともなく見ていた。
鳥を見ているといつもシンパシーを感じる。
絶対餌じゃないものにもとにかく反応してるアホさも、はたから見てると急に、飛んだり動いたり、何考えてるのか全く分からないし、なのに分かりやすくもある。
やばい、襟のある服着た過ぎる!!、となったためにあちこちをうろうろ。
結局folkでエクリュのボタンダウンを買って帰った。
着替えてから散歩。
襟付いてんの嬉しい、というシンプルな気持ちで満ちていた。
適当にパスタ食べて散歩。
何も考えずに歩くことが出来る。
散歩って何も考えずにするとこんなに楽しいんだな、と思う。
元々好きだけど、結構修練の側面が強かった。
歩くリズム、移り変わる風景、風が吹いて、思考が沈澱していかないまま考えられる。
街の気配や、歩いている人の気配や、遠い自分の願いや気持ちや、色んなものが流れ込んできて、鈍く色鮮やかで美しい。
歩行距離11.9km。
2025/1022 London
あまりにも嬉しい展開になりそうな夢、無理矢理起きた。
夢は夢、現実は現実、夢で嬉しいならそれはそれで別にいいんじゃん、ってことにはまだ思えない。
強引に起きたためにしばらく頭痛。
久々の頭痛はもはや面白い、一体どこの何がどう痛いのか、実際のところ意味不明。
とにかく外へ、と、目の前の通りを歩き始める。
お腹が減り過ぎている。
看板のThaiの文字を見て飛び込み、一つ手前だったことに気が付く。
まあいい。
コーヒー頼んでテラス席。
お腹が空いたままでも街に溶け込む術を学んだ。
ノートなど。ただ辺りを眺める。
通りがかりの男に煙草をあげた。
胃痛レベルの空腹のため歩き出す。
しばらく行ったところでベーグルサンドとチップスを食べる。
お米と煮物が食べたい、と強烈に思った。
やばいな、ギターの弾きたさと白ご飯と茶色のおかず一品を食べたい欲求が膨らみきっている。
ひたすら歩いてハムステッドヒースに到着した。
カムデンを突っ切ってきた。
一瞬賑やかな通りが密集していた。
竹下通りを少し思い出す、雑多さとチープさ、いる人の多様さ、その型。
そういうところで買い物をするにはまだ修行が必要だ。
巨大な公園、歩いたりベンチでぼんやりしたり、頭を空っぽにしておくことが、意識的にできるようになってきている、とても有難いことだ。あざす俺。
これまで作ってきて、うむ、これは、と思えた曲の歌詞が今になって意味が分かるし、リンクしている、やはり俺は、や、俺の一部は、俺自身にとってさえ速過ぎる、そりゃ他者と歩調が合うはずがないし、俺も置いていかれる。
その速過ぎる俺の判断に則っていたら、俺も俺の中でバランスを崩すし、他の人も実体を掴みにくいのだろう。
しかしそれじゃあ、速さは普遍的でもあるのかもしれない、深さも普遍的なものと繋がっている、俺の、何かを感じる部分は異常な深さの場所にあって、だから何も届かないのかもしれない、とも思う、俺はそこへ速さでもってたまにアクセスできる、みたいな、だから、絵や映画も速さのあるものが届きやすいのかもしれない、分かんね。
凍えてきたために歩く。
しばらく犬だけが歩いている。
みんなノーリードで離れ過ぎて、どっちが散歩に連れてっているのか微妙なところだ。
また画材屋へ寄る。
紙など、試したことのないものを買い集めておく。
地下鉄で帰る。
風が吹き込み過ぎて息ができない。
カップやら缶やらを持った酒気帯びの集団が乗車、同じイベントが別会場である、みたいな?
ちょっと不思議な光景だ。
近くのレストランでペンネと鶏肉。
味短ーーーい!
ただエネルギーを補給してる感じは少し楽しい。
流石に本当に足がたがた。
変な靴で歩き過ぎた。ありがとうUGGよ、ほとんど一ヶ月履いていても飽きなかったよ、と伝えたい。
歩行距離9.3km。
2025/1023 London
雨も風も警報出てる割に大したことない。
先輩の家近くのカフェで合流。
美味いアメリカーノだ、そういやロンドンでハズレのコーヒーなかったかも。
しばらく旅中の話をして、ちょろちょろと歩く。
最早晴れている。さすが、と思うが、晴男とか雨男とか絶対ないのに何で結構真剣に思うんだろう。
頭が自動的に初めましての状態になっている。
直近の時間に乗っからないって意味では真っ当なのかもしれないけれど、長年の友達にも起こりがちだからよく分からない癖だ、人との全てに対して、誠実に真剣に向き合い過ぎなのか?、いやだからそうなるのもよく分かんないな、や、いちいち全存在をかけているのかもしれない、それなら納得できるな色々。
絶対にそんなことしなくていいのにな。
迷惑過ぎる。
というか、俺には何かを統合する感覚があまりに少ないかもしれない、あらゆることが単独で存在している。
第三者に俺の友達を、こういう人だ、と言えない。
その瞬間にならないと、それに類する体感や思い出を引き出してくることができない。
例えば友人Aが涙ながらに何か秘密を明かしてきたとして、俺はその時間が終わった瞬間にそれを忘れてしまう。
だから、何かそれを下敷きにして、友人Aは(あぁ、そういえば涙ながらに秘密を明かしてきていたな、なんて素直で熱い奴なんだ)素直で熱い奴です、と言えない、その出来事を思い出せない。
友人Aが再び俺に、涙ながらに秘密を明かす的な行動を起こさない限り、対面していても素直で熱い奴だとは思えない。
何とも思っていない。
再びそれに類似する言動があった瞬間に、過去のそれに類似した言動が丸ごと蘇って、今のその瞬間で友人Aに対する俺の中で素直で熱い奴だ、と認識されるだけだ。
それが知らない間に積み上がっていって、そうしてそれに類する出来事が友人Aとの間にある瞬間にだけ、前回より増えた状態で思われるだけだ。
そういうもんなのか?
分かんないな。
ステーキ食べる。
焼いた肉ってのはいいよなあ、と毎回思う。
基本的な食事は焼肉かステーキでいいもんな全部。
朝ブリートー、昼ブリートー、夜焼き肉、でいいもんな数年くらいは。
天候的にぼんやりしてた割に話し過ぎていた。
おかしな文字数だ。
しばし歩く。
人が何かに怒り過ぎていたり嫌い過ぎている話は、聞いてるとげらげら笑ける。
二人とも具合が悪くなってくる。
食べ合わせ及び、おおよそポップコーンのせいな気がする。
謎のベンチに座って休憩。
雨。
歩く。
降ったり止んだり過ぎ。
人の、昔にどこかで感じた何か、の話を聞くのはおもしろい。
やっぱりまだ過去と切り離され過ぎているから、一旦過去をこっちに召喚して、今、それに対して思うこと、以外は俺にはなくて、きちんと過去に記憶や感情が保存、紐付けされている人と話すのは興味深い。
俺は俺が、マルチバースを生きてるみたいな感覚になる。怠。
小さい公園のベンチに座る。
話すと話し過ぎるために静かだった。
くだらん天候の話などで時間を潰す。
てか、くだらん天候の話でさえももうOKって感じの状態でもあった。
並の対人関係は、自然発生するものと、旅や創作物から得られるもので全く十分な気がした。
代替不可能なものにだけ関わるべきか、有限ならなおさら選べないし、それだったら全てに毎回没頭する方がいいのかもしれない。
豪雨ちっく。
解散してしばらく歩いてみる。
雨は弱まるはずだ。
しかしあまりにみんなフードに任せている。
絶対もう傘いるよ。
一旦雨宿り。
適当に歩き出す。
ピアノの演奏があるらしいイタリアンでパスタ。
ちょろちょろしか弾かないのかよ。
こういうときのために、スタンダードを数曲弾けるようになってるとおもろいかも、と思い付く、無礼なのか?
歩行距離7.2km。
2025/1024 London
時間を間違えていて、早過ぎる時間にコーチのターミナルに着いてしまった。
バゲットサンドとチップスとコーラの朝食、相変わらず一体俺は何を食ってるんだ?って気持ちにはなる。
ちょっと歩いて近くの公園。
昨日より全然暴風的な、寒い。
光が燦々と、美しい公園だった。
帰ってからも、無理矢理にでも公園行こう。
バスは謎の遅延。
失神系の眠りへ落ち、ぎりぎり寝過ごしを回避した、まじあぶね。
今回である一定の規模の空港の手続きに完全に慣れたのは嬉しい。
言葉がどうでも、やば小さいところ以外はもう大丈夫だ。
適当にパスタとコーヒーなどを摂取しておく。
なんだか意外と食事困らなかったな。
渇望するかと思ったけど、三週間ちょっとじゃいけるもんだ。
帰りたくなさと飛行機への恐怖でものすごく暗い気分。
とにかく、どうして俺はこんなに死にたくないのか。
まあ死にたかないよなみんな。
だから、どうしてこんなに死ぬことが身近に感じるのか、だな。
強くなろっと。
どうせ全員遅かれ早かれ死ぬからな。
全く差別を受けず、みんなかなり親切だった。
この旅中に起きたあらゆる出来事が、全て俺の勘違いだったとしても、ま、それでもいいやって感じ。
瞬間と永遠を同じものと認識していることが分かった。
色んな人の中に瞬間の真実があって、それは過ぎ去っていくことの方が多いけれど、俺は瞬間に成立したものは永続可能なものだと認識しているようだった、努力や運次第でというところは多分にあるにせよ、極度に嘘や建前が苦手なのも恐らくそれのせいだ、そこでそう答えてしまったら、成立してしまったら、その後もそうしなくちゃいけなくなるから、そして、それは言葉でのみ成立させられているためにぐらぐらで、後に崩壊する、だって成立してないんだもんな、だから、ある瞬間に本当に成立したものを特別視するのだろうな、でも、それがいいや、まだちょこちょこ濁したり嘘をついてしまう瞬間がある、ゼロにしてみよう、永久に傷付いて生きている方がましだ。
俺は広く深く世界と関われるのかもしれない。
というか、元々そのような性質があったのかもしれない。
のんびりして搭乗。
本当に良い旅だった。
体感を伴う、あ!、が非常に多くていい。
生まれ直しちゃった。
楽しかったね。
歩行距離6.5km。
2025/1025-1031
全てが気の持ちようで、しかし、帰ってくると自動的に、徐々に心が閉ざされていく。
誰とも話したくないし、どこにも行きたくない。
想像していたよりも遥かに、暗い心が深く続く、それでも足腰はしっかりしている。
もう、何者かの死以外に、俺の心が折れることはないのかもしれない。
それはそれで悲しいことだ。
部屋の掃除や、環境を整えながらも動く時間、久々に会う人たち。
様々な記憶が混濁していて、何が今の俺が思ったことで、どれがそのときの俺が思ったことなのか、どちらでもいい。
このような記述もしばらく飛んでいって、真正面から感情とかいうものと対峙してみよう。
感じたものを感じてみるってことだ、なんだそれは。
強い変容はいつも、俺を訳の分かんないところへ連れて行く。
前に行った似たような雰囲気ところ、で得たものは何の役にも立たない、もはや愉快かも!
またすぐに日本を、東京を離れたい。
非言語の空間にちゃんと沈んでみよう。
存在を祝福したいだけだ。
足したり引いたりせず、今のその状態を肯定でも否定でもなく、寿ぎたいだけだ。
俺が他者へ持つ明確な欲求はそれだけなのかもしれない、祝福させてくれ!、ということ、奇妙だ。
だから、俺が俺を祝福出来れば、一度でもそれが出来れば、感覚を掴めば、その道を歩み始められるのかもしれない。
というか、何かに没頭したり没入したり、そういうことって、その空間や事物、俺や関係者を、直接的にも間接的にも祝福するということか?
それでいい、ということ?
それ「が」いい、だと意思や選択が挟まれてしまう?
それ「でも」いい、ということ?
分かんねー、言語の世界では全く理解することが出来ない。
何かを誰かに伝えたい、と思ったとき、なぜ伝えたいのか、てか、その中にも、その誰かのためにも伝えなくっちゃ!とか、俺がとにかく伝えたい!とか、必要は感じないけど伝えておくかーとか、細かく分かれているのも意味不明だ。
俺が疑問に思うこと全て、俺が乗り越えるべき課題なのか?本当に?
てかその疑問が解決されたからってなんだ?
真空みたいな孤独がある。
置いていかれるんじゃなくて、置いていってるんだ、俺のことも他人のことも、全てがあまりに遅く、無駄に思える、しかしそれは一部だ、「人として」みたいな部分は先に行った俺になかなか追いつけない、人々はそれらと共に進んでいる、結果的に俺も誰も遅くもなければ早くもない。
俺が、置いていかないでー!、と感じていたのは、俺自身に対してだった、かわいそうに、すまんな。
人として、みたいな部分が一気に追い付いて俺の速度を落とすとき、それが俺の元気がないときなのかもしれない。
もう先に行っていて、一方通行で、そのまま止まって考えるか、止まっているところで出会した他者と間に交流があるか、そうしなくちゃ追い付いてきたものをどうすることも出来ない。
それでまた、それを終えると俺は遠くへ飛んでいって、また色んなものを置いて、手に入れず、どんどん一人になっていく。
俺が、もう終えた、と感じていること、もう知ってる、と感じていること、もう分かってる、と感じてること、それら全ては本当にそうで、本当に勘違いで、しかし大抵は本当にそうだから再トライしないけど、駄目だ、面倒なことを避けるな。
何度でも同じことをすればいい。
たまには俺が、俺の片方に合わせる必要がある。
何をどれだけ飲み込んでも、何をどれだけ書いても、何一つとして誰とも共有することができない、いや、出来ているのかもしれない。
何を隠しても、何を言い切っても、何一つとして理解することさえ出来ない、いや、出来ているのかもしれない。
誰か俺にタッチしてくれ、と、この透明な孤独をただ遠くから見ていてくれ、が、全く等価で、同じ分量ある。
誰か俺を助けてくれ、と、気配さえ感じないでくれ、が、全く等価で、同じ分量ある。
誰か俺の声を聞いてくれ、と、視線すら掠めないほど遠く行ってくれ、が、全く等価で、同じ分量ある。
しかし俺は現実に肉体と心を持っていて、その狭間、裂けた空間として存在している感覚がある。
感情や欲求を抑制するのも解放するのも嫌だ。
その感情や欲求の強度や深度やフォルムに相応しい反応をしてあげたい。
難しいことだ。足さないし引かない。
与えながら受け取り、受け取りながら与える。
というか、具体的な行動なきところに、それが成立しているといい。
とても寂しいことだけれど、誰にも誰も必要ではなく、基本的に人は一人で、勝手に生きていける、それなのに離れがたい何かを見過ごしたくはない、まったく、何で生まれちゃったんだ?
循環。
めちゃくちゃ風邪引いてる、うざ。
喉いてー。
まったき自由であり、それでいて秩序がある。
秩序が自由を支えて、自由が秩序を育てる。
鳥卵、同時に生まれ、成長速度が異なる、しかし、それらは同時に生まれたんだ、どちらかが先ではない、どちらが先かの問題は、同時に生まれた鳥卵たちのどちらが先に、次の卵を産むかだけだ。
おーい!天空や海原や大地ー!俺を通路にしておくれー!って気分。
すべて意味不明。
口語的で映像的、緻密さと巨大さ、言語的操作と感覚の言語化。
黙っていることだ。
夢や記憶や幻想や幻の取り扱い方。
現実とそれらの中間地点に立つ。
最終的には謎の空間に辿りついてな、サルタヒコみたいな感じでな、そこで待って、何かと邂逅する、案内する、貝に挟まれて溺死する、そんな感じでな。
ぐらぐら沸騰しているのに気味が悪いくらいに冷静でもあった。
内側がずっと痛い。
しかし全ては声だ。
音によってしか伝達出来ない。
あるいは目だ。
視線によってしか伝達出来ない。
あるいは手だ。
温もりや振動でしか伝達出来ない。
誰か、何か、に出会うこと以外、今の自分からの変化はない。
全てについて、嘆いたり、憤ったり、悲しんだり、悩んだり、思いをただ馳せたり、そう出来たらいいのにな。
ただそれとして、ただそこにある、ずっと、昔からずっと。
何か言うとすれば、きょえー!、くらいしかない。
いや、しかし、みんなそうだよな。
一抜けしようなんてずるだよな。
何一つ理解できないまま孤独に死んでいく、ということだけが共有されている。
引き続き、うんうん考えながら動き、あちこちに頭やら肩やらをぶつけながら進むしかない。
あらゆるものが現実とそうでないものの間にしか成立しない。
非現実も現実の中にしかない。
つまらん。いろよな神様。
人間に思い付かれ、記述なんてされんなよ。
つーわけで、言語の欠片もない空間へ沈もーーー!