光文社古典新訳文庫の『神を見た犬』は短編集だったようで一つめの『天地創造』からすでにおもしろい。『いずれにしても、延々と続いた審査の詳細をひとつ残らず語るのは不可能である。注目を集めた生物をいくつかあげると、色鮮やかな大型の蝶、大蛇ボア、巨木のセコイア、始祖鳥、孔雀、そして、犬と薔薇と蚤。とりわけ最後の三つの生物には、輝ける長い未来を与える事が、満場一致で可決された。』というのが何とも言いがたくいい。犬と薔薇と蚤、いい。
軽く酔って歩く気持ち良さと立ち眩みの中で歩く気持ち良さが近い。どちらも体が先に前へ前へと進んで、意識が遅れて追いつく。ここ数日ウィスキーの水割りか炭酸水で割ったのを飲みながら、机の上に並べた本を順繰りみたいに読んで行って、そのままソファで眠っている。ソファで眠るのは、狭い場所にいるようで心地よい。実際寝返りをうてるスペースは狭いのだけど、仰向けに寝て上方を除く三方から柔らかいもので包まれている感覚がある。地下や廃屋につくった秘密基地を思い出す。
せっせっと土を掘った。何日もかけて掘り進めた。ゴミ置場か何処かから拾ってきた茣蓙を完成した穴に被せ、薄く土をかけた。柱として鼠色のブロックを組み合わせて、その上に茣蓙を乗せた。それから土をかけた。薄く。入り口として二つ穴を掘って、おおよそ円形の穴と繋いだ。その上には、また、拾ってきたホイール付きのタイヤを寝かして置いた。出入りするたびに服が土で汚れる。それでも誰ひとりそんなことは気にもとめず、穴の中で寝転がって笑っていた。誰かが持ってきたスナック菓子を回して食べながら、真ん中にいくつかある柱の隙間や、それを通して日が暮れるまでくだらない話をした。同じクラスではない、かろうじて見知っている程度の同級生も、噂を聞きつけて、穴ぼこへやってきた。何人もやってきた。俺たちも穴をぼこも彼らを歓迎した。なんとなく、種屋で買った玉ねぎを植えたり、今では思い出せない何かの種を植えたりした。来る日も来る日もその穴の中で友情を深めあった。何袋もスナック菓子を空にして、つまらない文句や家族の話や、別の秘密基地の話や穴ぼこのこれからを話した。今は穴ぼこもその友人たちもいない。
『神を見た犬』(短編集そのもの)がとにかくおもしろい。アルコールでまどろみかけた頭にちょうど良い長さと分かりやすさ。いまのところ毎度オチのようなものがあって、ほんのり落語を感じて、それもおもしろく良い気分でいられる。ただ、もう慣れてしまったのか連日同じ摂取量のウィスキーの酔いが簡単に醒めてしまう。一応は眠るための飲酒であるのに、ただ本を読むのがおもしろい。空気も冷ややかで気持ちがいい。風の強い草原で寝転んでいる気持ちになる。メルヴィルもブッツァーティも、訳文ではあるが、色んな文体を使っていて、読んでいると、その登場人物が書いているように、三人称のものでも、思える。考え込んでその文体でいるのか、人部や風景や出来事なりがその文体を要請しているのか、どちらもそうで、きっと後者に寄っているだろうと思いつつ、単純におもしろい。
『天地創造』に続いて『コロンブレ』も『アインシュタインとの約束』もおもしろい。分かり易いおもしろさで、きっといつでもどこでも読めるだろうものが続いている。五つめの短編『七階』が、それまでと少し違っていて、それこそカフカっぽさもあり、カフカより相当に読み易く、わりに素直に「おもしろいなー」と思い、読み終わった。
久々に、以前よくカレーピラフを食べていた喫茶店でPodcastを聴きながら、それでも聴こえてくる店内のラジオ、古いスナックか喫茶店でしか見たことのない調度品を見ながら、鍋焼きうどんを食べる白シャツの男、初めて頼んだオムライスを作る音も聴きながら、『神を見た犬』や『コロンブレ』を思い出している男。
壁にかかっている時計が、巨大な腕時計型で、見ていると、他の調度品とのそぐわなさと、年を経て色褪せただろう表面の色だけは全体に合っているのとで、異様なものを目にしている気がしてくる。腕時計型でなくて本当に巨大な腕時計がかかっているように見えてくる、 思えてくる。
ひっそりとしていて、店主とあまり話さないけれど、たぶん常連の客が何人かいて、料理が美味しくて、煙草が吸えて、空調が適度で、店主やその奥さんが暇な時間に一服していて、珈琲が意外に美味いので、以前に何度か行っていた理由があらためて分かったような気がする。
どうも先週から気分が落ち込み気味で、すこし困っている。ようよう生きてこうぜ、と自分に言い聞かせて、言い聞かせるその行為の感傷的な雰囲気に気持ち悪くなって、言い聞かせるその行為の感傷的な雰囲気に気持ち悪くなってと書くことの感傷的な手触りに気分が悪くなって、同じところをぐるぐる回り続けてる気がしてきて、横目に写る景色は刻々変わっていっていることにも気が付いていて、同じところをうろうろしていることの何が悪いのかと思って、悪くはないけど決して良くはないと分かって、同じところをぐるぐるしてる理由を考えて、分からず、昨日と違うことを今日はしようと思って、それで、してみて、やっぱりまだ晴れた気分にはならなくて、季節の変わり目だからだろうとか考えて、かなり眠たい。
ブッツァーティの短編集は、すでに読み疲れてきた。こういう示唆に富んだ物語!というのは、読んでいるうちに「読まなくてよくね?」「書かなくてよくね?」と思い始めてしまう。ただ『コロンブレ』や『七階』や『神を見た犬』を読んでいるあいだの、きっとこの先も折にふれて思い出すかもしれないって感触や、どうしてこんなに少ない書き込みで機微の細かなグラデーションを表せるんだろうという小さくはない感動なんかは、ブッツァーティが書いて、関口英子が訳して、それを読んだからで、今から先の、今の「読まなくてよくね?」すら成り立たなくなってしまうような気がしてくる。なのでたぶん読み通して、遠い先に、ぱらぱらめくる程度に落ち着くだろうと今のところは思っている。