夏になれば、このベランダとの親密な時間もなくなるだろうと思うと悲しいが、また次の寒い時期にはここに座って何かしているだろうと思って、今から楽しい。ここで山ほど本を読んで池ほどコーヒーを飲む。ベランダとキッチンですべて済ませたい。シャワーとトイレを設置したい。
十月五日に『寝ても覚めても』を観て、煙草を吸いながら電車を待っているとき、失って初めて気が付く、ということ有り得ないんじゃないかと思い始めた。気が付くというのは、その最中では見つけられなかったものごとを、それを過ぎて改めて発見するということで、元々なにがしかがあった、隠れていたということで、失って初めて気が付くという状態、態度は、実のところ、元々ないものを、隠れてもいないものを、さもあったかのように思い込むことではないか、と思った。そのように再確認するのは、している体裁をとるのは、失ったものへ対する無礼ではないかとも思った。あって然るべきものを知っているから、そういったものが大切だと、かけがえのないものだと、尊いものだとされていることを知っているから、なかったものを、あったこととして、感傷的な懐かしさに耽っているだけじゃないのかと思い始めた。それは失って初めて何かに気が付いたことがない、そのような記憶がないから思うだけなのかもしれないし、どうしてそんなことを考え始めたのかも分からない。というところで、もう一度『寝ても覚めても』が観たい。
『神を見た犬』を読み終わった。
『時あたかも、一九四五年六月四日、午前三時。乗組員全員が後甲板に集結すると、艦長が訓辞を述べた。「士官、下士官、水平諸君。これから諸君に告げることは、多くはないが、緊要である。おそらく諸君もすでに想像しているとおり、ドイツ陸・海・空軍は、戦いを放棄しつつある。今晩中にも、休戦協定が結ばれるだろう。休戦協定には、第三帝国の全軍人が従わねばなるまい」
ここまで述べると、艦長は言葉を切り、自分の前に整列している兵士たちを、澄んだ瞳でしばらく見つめた。
「だが、われわれの運命はこの類にあてはまらない。最高司令部の命令により、戦艦《フリードリヒ二世号》は、いかなる休戦協定に従う義務をもまぬかれている。同命令を記した文章は、かなり以前に私のもとに届けられていた。のちほど艦内に掲示するので、諸君の目で確認してもらいたい。
したがって当艦《フリードリヒ二世号》は、今宵、出港する。目的海域は口外できない。祖国ドイツは、全土を敵に踏みにじられることになるが、われわれは自由かつ独立したドイツを象徴する存在として残るのだ。もはや、われわれから敵を攻撃するようなことはないが、自衛のための戦いなら辞さない覚悟である。当艦こそが、祖国ドイツ最後の、無傷の砦となるのだ。
あらかじめ告げておくが、諸君を待ち受けているのは、幾日、幾週間、幾月、いや幾年に及ぶかもしれない苦しい犠牲であり、その先にあるものは死かもしれない。だが、心してほしい。千々に引きちぎられたドイツ国旗の最後のひと片が、ほかでもない、われわれの手に託されたのだ。最後の、そしてもっとも厳しい戦いこそが、われわれの任務なのである。戦いから得るものがあるとすれば、それは栄誉のみ。もはや、勝利の見込みはいっさいない。
同時に言っておく。諸君を強制する権限は、私にはない。諸君は完全に自由であり、どうするかは、ひとえに諸君の選択に任されている。
祖国の運命はもはや断たれたものと考え、ドイツ国民と運命を共にすることを希望する者は、今晩ただちに下艦してかまわない。下艦後は、軍務を解かれたものとする。個人としての感情や家族への思いなど、下艦を正当化する理由は多々あろう。それを、こちらで詮索するつもりは毛頭ない。
いっぽう、自らの自由意志で当艦にとどまる者は、この先、喜びなどいっさいないことを覚悟してもらいたい。任務はきわめて長期にわたるものと思われ、終わりが、いつ、どのような形で訪れるかは予測できない。諸君を待っているのは、不安や孤独、家族との完全なる別離であり、自らの運命もまったくわからない生活なのである。
自由を手に入れるために、これほどの犠牲を払う価値があるのだろうか。決めるのは、諸君ひとりひとりだ。自分の本心に、しっかり耳を傾けてほしい。私の心は、ずっと以前から決まっている。
この至高の善である自由を、いったいいつまで保持できるのか。われわれが最終的に目指すところは果たしてなんなのか。今後、決戦に臨むことはあるのか・・・・・・。私にもわからないことばかりである。だが、たとえ知っていたとしても、教えることはできないだろう。
ゆえに、艦内にとどまる者は、未知にむかって出港するさい、あとに残す祖国の地を見つめ、別れを告げるがよい。おそらく、ふたたび目にすることはないのだから」』という長い引用は『戦艦《死》』からで、この文を読んでぐらっとした。
じゃあ『漂流船』に取り掛かろうかと思って、『遠い触覚』を読み終えた。あとがきが良かった。なぜか『漂流船』に手が伸びない。