2014字

『痛む尻たまに泣いてみせるのか 固まる顔が訳もなく涙 頭に』

『諭される贖う努める願われる生きた心地のない川辺だな』

『坂の上 町のみどりの丸い穴 ゆうべに触れた腐った鍋より』

『リリリリリンガチャンツーツーリリリリリン起きてたの、起きてたよ』

『夜の際まだ眠れない波の音 焼けた指先に残る塩の香』

『赤切れた指先のざらざらさえこれも次の冬には触れることなく』

『瞬かない目にうつってる望まれた私と同じ顔のあなたはだあれ』

『麻の尾に触れたくちばし切り傷と 確かに覚えたこの家の決まり』

『チーズリゾットもんじゃ焼きトニックウォーターねこまんま』

『術なく落とした機関車と知らぬ煙の来たるベランダ』

『船端より見遣る中央位置する小さき穴よ誰が為に水を運ぶ』

『長く合う目の時は二人より そばの俺が先に気付いた』

『けわしい顔で外を見る指輪のあとが白く目に付く軽く笑う』

『そばで寝るお前を起こさず滑り出る裸足で吸う明け方の煙草』

『柱の近く特等席 見上げる空の星の名を 教えてくれたっけそういえば』 

『燃えた障子と浮かぶ顔 せわしい息の弾む隣室 怖くて見ない』

『名無しの落涙揺れる視界は列車の振動 思い出されるのは横顔』

 短歌ってどんなのだろうと思って書いてみたら、短歌になっているのか分からない何かが十八個出てきた。短歌になってるのだろうか、なっている気もするし全くなっていない気もする、とにかく、書いていて楽しくはあって、書く前の意識だけで書かれるものがいつもと違っているのが単純に不思議でおもしろい。
 よく考えるまでもなく全然五七五七七になっていないのに、短歌になった気がしたり、ここで終わりって切り上げたり、いったい何を基準にそう決めて、そう感じているんだろうか。毎日のようにつらつら書いているこの文章も、思いつくまま書いていって突然、終わったと思うのはなぜなんだろう。

 映画を観に行く予定を立ててはしんどくなって取り消している。家で映画を観るのは気楽で良く、気楽なのが良くない気もする。前のめりに真剣に観るのが良いってわけではないけど、意識の持ちようとして、なんとなく気が抜け過ぎているようで、いいのかなと思い始める。でも好きに飲んだり食べたりできて、煙草も吸えることは掛け値無しに最高で、ただ音響と画面サイズが気になっているだけかもしれない。安いプロジェクターを手に入れて壁を白く塗れば解決するやもしれん。 
 予定を立てては取り消すのを繰り返しているのは、シネコンでない映画館がすこし遠いのが一番の要因で、行き帰りの電車や徒歩を想像するだけぐったりしてしまう。『愛しのアイリーン』『イマジン』『ムーンライティング』『ビューティフル・デイ』が今は観たい。

 この人に何か言われれば、大抵どんなことも断れないんじゃないかと予想してしまう、そのものに対して無条件に屈するような己の弱さみたいなのを、いくつかの顔を見ていると感じる。少し若い頃のホアキン・フェニックスとか『トレインスポッティング』のユアン・マクレガーとかケイト・ブランシェットとか、それだけで完結してるというか、何一つ差し挟む余地のない感じに屈してしまいそうな予感がする。それでも、その顔が好きかというと、好きなんだけど、好みだけで言えばライアン・ゴスリングとかジェイク・ギレンホールとかマーク・ラファロとかキャリー・マリガンとかの方が圧倒的に好きで、じゃあ無条件に屈してしまう予感があるかと考えると、それはなく、何の違いかと思う。本当に何の違いで思ったり思わなかったりするのか、その人に対してそうなりたいという願望みたいなのがあるのか、そんなら、ただただ好きな顔を見たときにこそ思うんじゃないかと思うが、そういうもんだよと言われたとしたら、そういうもんなのかーと納得してしまいそうでもある。

 夏の雲みたいに絶対触って千切れると思えるような質感の川を泳ぎたい。できれば裸で、ゴーグルは無しで、陸には焚き火を放置して、果物と何冊かの本とiPodとBluetooth対応のスピーカーを持って、コーヒーを淹れる器具一式も用意して、それで川を泳ぎたい。山の中腹にあるといい。震える体を暖めながら果物を齧りたい。甘い果実とみずみずしい果実がいい。読むことが楽しい本がいい。陽が落ちて、張っておいたテントの寝袋に潜り込み、軽くお酒を飲みながら本を読む。燃えた木の匂いがする。おそらく一つとして正式な名前を知らない動物の鳴き声が聞こえ、実際より近くで響く音に気を張り、ページを繰る速度が落ちる。 

『読書の日記』を読んでいて、読みたくなる本が次々出てきて、それらをいちいちAmazonの欲しいものリストに入れていって、どんどん増えている。

 

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