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 今思えば、読んでも読まなくてもいい本をいっぱい読んでいた中学生、高校生時代と同じような速さで、読んだ方がいい、読むべき本を読めるようになりたい。今思えば、読んでも読まなくてもいい本ってのがあるかは分からない、が、読んだ方がいい本、読むべき本っていうのは様々な範囲である気がする。
 俺だから、俺たちだから、今だから、もう少し先に備えて、もっともっと先に備えて、過去にあれがあるから、未来にあれがあるから、とか何とか。

 そういうわけで、時間もないからなるべくそういった本ばかり発見したいし発見されたいが、難易度は高め、俺も早く8760冊を優に超えた時間へ飛び込みたい。1年に1000冊読んでも8年ちょっと掛かって、しかも2920冊足される、1日3冊読んでも1095冊にしかならない、1日24冊読めば一年で8760冊に到達する!すごい!無理かも!
 23年ちょっと生きていて、1000冊も読んでないからこんな人間になってしまったのだろうと思うと、先が思いやられ、何の関係があるんだ?とも思いつつ、どんなことかのために本を読むなとも思い、読みたいと強く思う本だけでも何度も何度も読め!といった気分。

 滝口悠生『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』に収録されている「犬の尻のあたり」も『高架線』と同じく、とてもいい、書かれ方で笑える本がここ数年好きだなと思っているようで、一人称で変な距離感なのが心地好い、自動的に集中できる、し、長い時間たのしさの中にいられるような。
 続けて読んだ『アルピニズムと死』は『垂直の記憶』と比べるとさらに淡白で、順に読んだこともあって印象が薄い、というか比べるとそうで、単体であれば、先に読んでいれば、写真も多いし、いい!って感じだったろう、でもそうではないから『垂直の記憶』が印象強い。

 絵がまた少し変わって、どんどん描きたいのだけど紙がなくなってきた、月末に頼んで短い期間にまたまとめて描くか、そのときどう変わっているのか、先月はちょっと飽きて、23枚しか描いていなかった、その前の月は18枚、月0.なんちゃらというペース、飽きたら潔く止めるとこうなるから良くない、が、それでも続けると他も全部止まる、あ!これ!ってのを見つけて40〜50枚描いて、あ!これ!をまた見つけるってのを繰り返すのが良いみたい。

 本読みたい!が強まって色んなことに気が向かないが、無理矢理にでも向けないと頭痛等で動けなくなる。読みたいのに!
 何とかそれを脱したように思う。とにかく今は十メートルないくらいの岩を登りたい。数年ぶりにボルダリングジムにでも行ってみるか。怪我したくないけど、怪我したい、スケボーとかも同じ気持ちになるが、やはり体一つで何かしたい。
 結局すべて自分のせいなんだけど、スケボーやら自転車やらで怪我をすると、路面状況などのせいにしてしまったりする、あの石ころで急ブレーキがかかったからとか、それをよく見て避けろ!、そのあとの体の動きを取れ!としか言えないが、ボルダリングジムでの失敗はすなわち己のせいでしかないから、楽、怪我するっ!!!、セーーーーフってのを味わいたい。

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