2020.6/13 匠の宿 千家
煙草、お風呂。
隣の部屋の人がずっと電話していてもごもごうるさい。やめてー。
まだ寝てはいけない、YouTube聴きつつ絵。
ほんのちょっとだけ『〜夢の遠近法〜』、強く映像が浮かんで、ちょっぴり読むだけで疲れる。
かなり酷い犬アレルギーだから死ぬだろうけど、布団の両側に大きな雑種犬、混ざり交ざり混ざり交ざりきった犬がいてくれたらと思う。そうすればその三つの生命体はとても幸福に包まれるんじゃないだろうか。思い遣ることだけ、思い出すことだけ、思い返すことだけが、我々の生命をきゅらっと輝かせてくれるんじゃないか、その内に元々あった何かが、輝くことを躊躇わないんじゃないか。
お隣さんはやっと静かになった。
ずいぶんな長電話、拳骨でつむじを小突いてやりたいが、辺鄙なところで何かもわっと寂しいような、暇を持て余しているような、悲しいような、そんな感じだったのかなと思うと、分かるよとは思いつつ、そのような配慮ができない奴が遠いところに来て寂しくなったり悲しくなったりするの?とも思うし、二回か三回、もしくは八回か九回、小突かせて欲しい。
眠気は何処かへ去っていった模様。本読む気力はない模様。YouTubeを見るためにiPadにイヤフォンの端子をはめ込む気力はない模様。煙草を吸う気力と肺と喉はない模様。
それはそうと、会津若松だよ会津若松、明後日行く予定で、ちょっと前に書いた小説のような何かの旅先は会津若松を、aizuwakamatsuを、aiuaaauって感じでモデルにしたため、うわ!本とかと同じで繋がってる繋がってるー!と楽しみな心地が続いている。イウとアコって人が行ってた、Neo Aizuwakamatsuへは行けないけれど、その気配くらいは感じたい、が、Google Maps見て地形的にここ!って選んだから全く何も薫ってこない可能性の方が高いだろうね。
は?
めっちゃおっきい雑種の犬来ててーと思いながら寝よう。
これまでは昨日。
起きる、4:15、ぐっすり寝れた、雨が降っているからか、そこだけ嬉しい、でももう止んで欲しい。すぐ。
と思ったら一粒も降っていなかった。何の音?、雨が葉っぱに当たる音に聞こえるの。
お菓子と飲み物三種類と煙草を持って、本を読むために喫煙所へ、『重力と恩寵』、「真空と補償作用」、この章に救われた人どれだけいるんだろうか、この章の、ある言葉が支えになった人。
「恩寵は充すものである。だが、恩寵をむかえ入れる真空のあるところにしか、はいって行けない。そして、その真空をつくるのも、恩寵である。」
(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』、「真空を受け入れること」田辺保訳、筑摩書房、1995.7)
「自分自身の中に真空を受け入れることは、超自然的なことである。報いられることのない行為をするためのエネルギーは、どこで見つければいいのか。エネルギーは、どこか別なところからやってこなければならない。だが、しかし、そのまえに、すべてをもぎ取られることが必要である。何かしら絶望的なことが生じなければならない。まず、真空がつくりだされねばならない。真空、暗い夜。
人から賞賛されたり、同情されたりすると(とくにこの二つのことがいっしょに起こると)現実のエネルギーが与えられる。だが、そういうものは、なしですまさなければならない。
自然的なものであれ、超自然的なものであれ、なんの報いもなきひととときをすごす必要がある。」
(同上)
!
読むべき本を見つけ出す能力が増しているかもしれない。
これはもうまさに今読むべき本だった、本だ、やったー、嬉しいよ、本当に。
美味しすぎるワルガキの種とビスケットを食べながら思ったこととして。特定の人に会えない寂しさや、会えないこと以上に、遠く離れていること、互いに何かあったとき駆けつける、何をどのようにしてもある一定の長い時間、そういったものの存在感が常に肌に触れている。
やっぱり、やっぱり、ある人との関わりの中で満たされていたものが満たされなくなったとき、代わりとして別の人で満たそうとするのは、何もかも全部間違っている。それが叶うと思うことも、実行することも、実行して初めて諸々に気が付くことも。
そうして、ある人の代わりとして誰か別の人を「用いた」場合、もうその者にはある人との関わりの中で満たされていたものが満ちることはなくなる。
何となくでも、間違っていても名前をつけられるものは隠されていないから、何かそのものたらしめるものを掴んでいるから、混乱する必要もないし、混乱したふりをして誤った行動に移ることもない。
ある種類において自分の意思はものすごく強い、自分だったら耐えられないことを続けている人が耐えられなさそうなことを続けている気がするのと同じ種類で、つまり普通ってこと。
抽象的なものいいだけが具体的な物言いだと思ってることに、や、感じていることに気付いた。
誰かを非難したり批判したり否定したりするのは、気分が悪くなるのもあってしたくないししないようにしているが、自分自身に対しては人にしないようなことをしてしまえる、それはいつか誰かに向かわないか?と思い始めると、自分自身を肯定するほかない、肯定することができる地点まで自身を押し、推し進めるしかない。
なぜか眠たい6:14、どうすりゃ一日眠くない状態で過ごせる?
もう今日の分の適切な量の煙草を吸い終わった。ここから先は暇を覆うための煙を吐く作業へ移行する。
ねみー!
ピンチョン読み始める、おもろ。
広告からTrapdoor Socialの『Sunshine』を聴き始める、所々なぜか自分たちを思い出す、きもさとキャッチーさの塩梅?、これは歩きながら聴いたらひゅんひゅんなるやつだ。それからRemi Wolf『Photo ID』、昨日からこればっか、『Disco Man』から入って、こっちがよりお気に入り、こういうのいいよね。
めちゃくちゃシンプルなのにたまに「めちゃ叩いてる笑」ってドラム大好き、あぁあぁーーーぃゃと伸びる高い高い声も「めちゃ高い笑」って感じでしかも、もう一回!もう一回!ってところ全部にそれがあって「めちゃ叩いてる笑、泣」「めちゃ高い笑、泣」と変わっていく、すぐ泣き過ぎ!、涙腺埋めとけ!
今寝たら起きたとき確実に、決定事項的に、頭痛くなってるだろう、6:31、でも眠い、すごく、この日記はずっと眠いということを書いていくだろうね、だって眠いから、寝ないように書き続けているけど、それは眠さを減じないし、少しの滞りで眠たいことを思い出させるし、眠いもんねだって、しゃあない、眠いからね。
何かのための何かってあるかな、ネジとか接着剤とか以外で、思うことで、感じることで、何かのための何か、何かのために存在するもの、あるかな。
私ども、ってめっちゃ個別の集まりって感じしない?我々、僕ら、私たち、僕たち、私ら、俺たち、俺ら、とかよりも。
意外とライブで見聞きすると想像してた以上ではないな、って曲とても好きかも、聴いてる間は、これライブだったら何か昂り過ぎて死ぬ?、と思ってるんだけど、ライブ映像でもライブでもいいけど、そうすると案外そうでもなくて、そういう想像させるけど、それとは違って、でも元のを全く損なわない、自身の想像力の暴走であっただけ、勘違い、もしくはライブ等での感じ方の不足、そういうの楽しい。
シャッフルで音楽を聴く、ROTH BART BARON『JUMP』!、一時期ライブの登場時に流していたからイントロを聴くとわくわくする。荘厳で疲れるからあんまりROTH BART BARONの曲を聴けていないけど、この曲は自身の中でそのバランスが上手くキャッチされているのかずっと聴いてる、晴天の下歩きながら聴いてるとまじ召される、ライブ映像観てみると結構力んで歌っていて、その感じがまた堪らなくいい。
で、Fall Out Boy『This Ain’t a Scene,It’s an Arms Race』、いや、ほんと、FOBの曲のかっこよさって何か圧倒的で、毎回毎回「う、う、すごすぎる、う」と一瞬悲しくなりそうになるが、それをひっくり返して素直にかっこいい。ありがとうPatrick Stump、高校生の頃突き抜けたかっこよさと意味も分からないくせに涙が出てくるメロディに救われました、お元気ですか?
で、岡村靖幸『Vegetable』、たまらんね、そこそんなに力んで歌う?って感じがめっちゃいい、だんだん違和感が消えて聴いてると、ふと、そこそんなに力んで歌う?が蘇って笑けてきて、そしてお馴染み!、何故か泣きそうになってくる。しかもよく聴けば聴くほどオケのかっこよさ、ベースやギターのさらっと変なフレーズが隠れていて、うわ!と思う。そうすると一気に無数の岡村ちゃんが現れて、その時々聴いていただろう音楽や、音楽に導かれて歩んでいたかもしれない過去の岡村ちゃん、それは単純に、音楽や踊ることや楽器を演奏することにどこか救われていたかもしれない岡村ちゃんを思い起こさせる。
手巻きを吸ってると「美味いですか?」とおっちゃんが話かけてきた。色々説明。
新潟から除染作業のために来られているらしい、特別な手当てもないんだって、そっかあ、何か嫌になるな、色付ける程度でも、「頑張りがいってもんが、ねえ」、ねえ、本当に、「やだけど行くかあ」と出て行かれた。
そもそも給料が高いのかもしれないし、人のため土地のためとだけ思っている人がいたとしてその人と比べると高潔ではないのかもしれないが、そんなことは何一つ関係なく気高く見える。
最も好きなミュージシャン、みたいなことを考えると玉置浩二、さん、かもしれないな、と聴くたび思う。
雨。昨日の心地好さが残っているのか、案外大丈夫、ただ寒い。
雨。ヨークベニマル、名前好き。
六周まわって煙草美味い。
アイスコーヒー、ホットコーヒー飲み放題、何も我慢できないから良くない、体調を崩すまで飲んでしまう。しまうこたあないでしょー。
目玉の光への弱さはどうにかならないものか、すぐ頭痛くなるし、それより前に目の奥がキッと痛くなる、匂いも音も頭痛を呼んでくるし、全部好きなのに、何かをかいだり聴いたり見たり、全部好きなのに、あらかじめ設定したところで音や匂いや光を遮断するアイテムを開発するかゲットするかしなければ、このまま肉体的に衰えていけば頭痛そのものになるだろう。
そうして何かを聴いたり見たりかいだりするのが好きな奴のもとへ忍び寄って頭を痛くさせるだろう。
それが新しい仕事だろう。
事に仕えるという意味ではお金を稼げる稼げないは無関係なのか、なんだ、最高じゃん。
頭痛屋として第三の人生を歩むことになる。
何枚かのハードビスケットと煙草数本とアイスコーヒーの昼食、なんと贅沢なことか、嗜好品しかない!
ピンチョン挟みつつ。
往復二時間以上で、いらないけれどいる服を買いにユニクロへ。こんな買い物よくない。
歩いている人を見かけない。地下道でスケーターが二段組みのコーンを飛んでいた。お見事。耳がやられるけど、いい場所ね、と一年くらい乗ってないのに思う。
宿までのあいだにあるメヒコというシーフードレストランに寄る、が、ステーキピラフ。一応シーフードレストランだからとヒラツメガニの唐揚げ、生物を食べろよ。
食べる前から極度に眠い、食べ終えてから帰れるかな、眠たくて泣いてしまうかもしれない。
今日はもうちょっとだけピンチョン読んだりしたいのだけど、まだ宿まで17分ほど歩かねばならず、そうしたあと一体どれほど眠たくなっているんだろうか。
それよりも明日の会津若松ですよ、楽しみだ、二郎食べようかな、絶対にやめておいた方がいいのに食べたい、数日お腹の調子が悪くなるだろうに、ヒラツメガニの唐揚げは決して一人で食べる量ではない、満腹、意外と眠たくない、今のうちに!早く!帰れ!
涼しくて気持ちいい。『Photo ID』!!
今日の一本目ということで煙草。う、美味い。
帰ってきた安心感、もうどこへも行く必要のない安堵でか、割と眠たくない。
さくっとお風呂に入ってピンチョンかヴェイユに時間を捧げるか。
どっかに何かが届く感じがある、処方される薬みたいに、効くか効かないか何で効くか何で効かないかちょっと曖昧な、そういう人と話している時間は、過去か、あるのかあったのか、この場に今以外あるのかあったのか、今もあるのかあったのか、というか薬そのものみたいな人、どのような配合でいるのか、同じ成分を含んでいても、作用の仕方、強度、時間、変化して、何と反応して働き出すのか、姿を変えるのか、なんかそういう人、好きっすね、ほんと。漢方的な人がいいよね、まじで効いてる?、まじで効いてる?、なあ、まじで効いてる?、まじで効いてる?、効いてました、みたいな人、慣れない味や香り、何度摂取しても、ほとんど感動するくらい慣れない、というか新しい発見、うわ!濡れたヨモギみたいな匂いする!あま!粉っぽ!、わ!粘土質の高い土の味する!まとわりついてくる!苦!ほのかに甘!、みたいな、で、効いてた、とそこから離れてしばらくして気付くみたいな、そういう人、なりたいし、好きっすね、ほんと。
のようなことをシャワー浴びつつ思っていると、同じところを何度も洗い流していた、乾燥乾燥。
自分で書いているから、モデルなく書いているから、存在しないことが分かっているが、書いてきた小説的なものの中に出てくる人たちに会いたい、街ですれ違って、あれ、誰だっけ、と思いたい、そのあと行った喫茶店やら本屋やらで、あ!と気付きたい。
そこにいる人より、その辺りにいる人を書きたい、いそうな人、こういう人いるよねじゃなくて、こういう人いたっけねという人を書きたい、かつていた人。
もう少し粘る必要がある、21:05、あと一時間から二時間は起きていないと、明日の会津若松を楽しむためにぐっすり眠らないと、きっとすぐに飽きる。
金属製の、腰と肩で支えるタイプの、歩いている最中に本を読めるようなものが欲しい、手元かどこかで操作して、しゃりっとページがめくられていくといい。『重力の虹』は歩きながら読むには厚い。そもそも手荷物うざいし。
煙草吸いに行くか、と考え始めて30分くらい経った、つまり吸う必要はない、が、本読みがてら吸いに行こう。
と、本を忘れて喫煙所へ。朝とは違うおっちゃんに「巻きたばこっすか?」、そうですよー、「うわ、初めてみた、いくらぐらいするっすか?」、諸々説明、「ほへー」、ははは、「お疲れ様っす」と出て行き、扉を閉め切る寸前に戻ってきて「バニラの匂いするっすねえ」と、怖ファニーって感じなのでめちゃくちゃ満面の笑みで見返す。
自分だったら自分みたいな人に話しかけないけど、色んな人が色んなことを話かけてくるのは何でだろうか、今日の二人は巻き煙草が呼び寄せたのだけど、それ以外のとき、もっといたくね?話しかけやすそうな人。面白いしいいけど、たまに怖くなるね。
でも、ヤンキー、というか暴力的に絡んでくる人はいなかったな、運良く?、金沢駅構内で絡まれかけたときは「あ、多分こいつリーダー、強そ、あいつとあいつはいけても、あいつは無理かあ」的な人が止めてくれた、そのヤンキーたちはナンパしてるサラリーマンに絡んでたっぽくて「その人は違う」とリーダー格の彼の言葉で助けられたし、納得するスピードからやっぱり一番強かったんだろう、他はドンキにて自転車を停めて鍵をかけている最中「おちんぽ好きそうなケツしてんな」とちょっと離れた場所から言われたくらいで、いや、怖いけど、優しいね。道とかは聞かれないのにな。なんでだろ。
てかまじで何でこんなに一日中眠たいのか分からない。眠くならないように寝ろよ。短いからだろ、足りてないからだろ。
めちゃ髪切りたい。短く。
2020.6/14 駅前フジグランドホテル
目が覚めた1:20、どうして?、Amazonとhontoで本やらを整理しつつカートに入れてみる、60000近く、分かってる、本はそもそも安過ぎる、分かってはいる、鞄もあるしね、でも、ひゃー。
一気に買おうとするな、非常にシンプルなそれ、選べないよーじゃなくて選んで買え!
ということに今気付くほどぼんやりしていた。半分くらいまで絞ろう、初めの量は結局持っていけないし、持っていくと体が壊れるしね、半分くらいでも歩く量によっては各関節を痛めるだろう、熱中症になったりね、でもまだ選べない、そこで生きていたらまだまだ時間あるから置いとこう、本当に、鈍くて、頭悪くて嫌になるね。
バータコ吸いにこ。
あ、あれしよ、あ、これしよ、と何度も部屋に戻りつつ喫煙所、本当に、もう。3:25、あー。
ここしばらくモグチューとともにはまっているセブンの『濃厚でスパイシーな堅揚げポテトチップス スパイシーな辛味とスモーキーな香りがくせになる。』、長、を食べつつ。
なんか久しぶりに水、結局のところ、コーヒーよりもペプシよりも水か炭酸水が美味い。
別もんじゃん、量を考えてお飲み。
前からリストに入っていたとはいえ、日記本が多くなっているのには笑える、でも彼ら、彼女らの一筆書き的なそれと自分のこれは全くレベルが違うから、そんなの読んだら旅先で元気なくなるよ、と言われた、誰に?、でも、読みたいしなあ、と答えた、誰が?
で、『重力と恩寵』、駄目だ、ちょっと読むだけで呼応するように書きたいこと、ってか書きたくなる、それと関係あってもなくても。
歯が痛い気がして病院へ行き、なんともなく、近くの口内炎の痛みがその痛みを、歯が痛いという勘違いを、自分にも歯にもさせていたらしい、そういう具合に。もっといい例えなかったか?
「人は、自分自身の中へとくだって行くと、自分が望んでいるとおりのものをそのまま所有していることを知る。
だれかある人(今はもう死んでいない人)を慕わしく思うとき、それは特定の、きまった人を慕わしく思っているのである。したがって、それはどうしても死すべき人間のひとりでなくてはならない。あの人はこうだったとか、ああだったとかいって慕わしく思うのだが、要するにそれは、ある日、ある時間に死んだ人なのである。こうして、その人を所有するのだー死んだものとして。
人がお金を欲しがるのは、貨幣(制度としての)を欲しがっているのである。なんらかのある条件においてしか得られないものを欲しがっているのである。つまり、それは、なんらかの範囲内においてのみ、欲しがっているということである。そこで、その範囲内で、それを所有することになる。
苦しみは真空も、こうしてみると、欲望の対象が示す在り方なのである。非現実性のヴェールをはぎとってみれば、これらの対象はそのような在り方においてわたしたちに与えられているのがわかるだろう。
このことがわかれば、まだ苦しんでいるとしても、幸福である。」
(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』、「対象なしに望むこと」田辺保訳、筑摩書房、1995.7)
「パリサイ人とは、自分の力だけに頼って、徳の高いりっぱな人間になろうとした人たちのことである。
謙遜とは、〈わたし〉と呼ばれるものの中には、自分を高めて行けるエネルギーの源泉なんてまるでないのを知ることである。
わたしの中にある貴重なものはすべて、ひとつの例外もなく、わたし自身とは別なところから来たのである。それも、賜物してではなく、たえず継続をねがい出なければならない貸与物として。わたしの中にあるすべてのものは、例外なく、まったくなんの価値もない。別なところから与えられる賜物でも、わたしがそれを自分のものにするとなんでもたちまち、無価値になる。」
(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』、「〈われ〉」田辺保訳、筑摩書房、1995.7)
ほとんどずっと、ヴェイユ、と思いながら読んでる。確認ではない、そうだよね、ではない、そう!がずっとある。年齢的な意味ではなくてもっと若い頃に読んでいたらすっかりくらくらしてたろうな、そうすっと、今あるこの感じはどこから来たんだろうか。
引用で埋め尽くされる。
少し眠い、この眠気は布団に入って体勢を整えたあと消える、4:51、もうそれをしてみることもない。腹立たしいかぎり。
もう眠くなったら我慢せずに寝よう。結局、きっとうざい時間に起きるからな、かなしい。
やっとこさ、Amazonは30419円まで下がった、hontoは3740円、いいね!、もうちょっと減らせるような、あ、既に四冊買ってんじゃん、あ、しかもそのあと一冊買ってるし、忘れんなよ、一回の旅に17冊も本持ってく?、持ってく、漫画込みでもっと持ってったこともあった、どうなった?、肩と足首がやられた、というか家にあるやつ読みなさい。
数冊、積まれたなかから候補があるが、何となく最近読みたくなって今買った本を読みたい、が、絶対に全部を持っていくことを選んではいけない。
寝ようかと二時間くらい布団に入っていたが、諦めて煙草。お腹が空いた、二郎食べるとしたら朝も昼もめちゃくちゃ軽くするか抜いておきたい、でもそうすると一食目にそれは体が驚き過ぎる、何してもびっくりするけど、コンビニ遠いな。
思い返すと、人と話しているとき、長い時間であれば後半、短い時間であれば何回目か、相手と同じ構造で話している、思い返すまでもなくそうしようと思ってしているけど、思い返してみても気付く。
そこはそう否定するんだとか、あれはああでそこはそうなるのかとか、そういうことを掴んでくると、同じようにする、が、それは多分その人と話すことがつまらないからで、していいことではない。
その人と話しているのが楽しい場合、心地好い場合、同じ言葉を使ったり、同じ響きで別のことを言ったり、ジャーゴンみたいなもんで、それを作っていく過程のようで、とってもいい、し、それは、やっぱりと言いたい、やっぱり自然になっていく。思い返して気付くことの多さがかなり変わってくる。
つまらないけど何か話したいような、もしかしたら今回はおもしろいかもしれない、そういうことで人と関わるのは良くない。
幸いなことに沈黙や静けさを好むため、しないでおこうと思えばしないでおけるし、何も思い煩うことはない。
万事おっけー。
またおっちゃん、キセルの話をして退室。
またおっちゃん、今日は休みとのことで我がことのように嬉しい、長い長い明日からに備えてお休みくださいって気分。
自分は特別なのかもしれないと三日に一回くらい思ってしまう、それは全ての人がそれぞれ特別なのと同じ意味に少し足された形で、かといって真に特別な人では決してなく、そのなさの確実さと、その発想自体の平凡さのおかげで勘違いしたままにはならず、いろいろありがたい。
とにかく健やか者でいたいね。
眠たくて眠たくてしょうがない。塩の効いたおにぎりと淡白な刺身二切れと生姜焼き二枚と濃い赤だしを取り込みたい。よだれが。
こんな状態で二郎食べたら病院へ行くことになるんじゃないかと心配になってきた。今日は喜多方ラーメンにしようかな。どういうのか知らないからもしかしたら危険なものかもしれない。
明日休みだ二郎、今日行くしかないか、仮眠取ってから行くか、15時に閉まる、間に合うかな。
小説的なのを書いたとき。ずっと書いた気がしなくて、読み返してみてもしなくて、でもさっき、書いたのは自分だけど書かれたことを感じたり思ったりしたのは自分じゃない、と思い直すとちょっとしっくりきた。それはそこに出てくる人が書いているのとはもっと違った意味で。
何か書いたり考えたりするたびにややこしさが増す、別の違和感が生まれる。
映画観る気にならないな。観たい気はするんだけどな。
今日も雨か。毎日三時間か四時間寝て、全く足りていないと切実に感じ思っていてもそれでも三時間か四時間に落ち着くのはなんだ、どこかは慣れたのかそれに、超眠い。
通りかかった田んぼの畔に茶色のカモが一羽、一匹?、まったりしててかわいい。めちゃぼーっとしてるように見えた。
結構雨降るなー、宿の喫煙所には椅子一脚でも欲しいね。
長い散歩、コインランドリーから漂う匂いって最低な部類だと思うんだけど、意外と好きな人多いんだ、と驚く、人それぞれ過ぎだろ!と当然のことを毎日のように思い直す、あんなにくさいのにね。
白目になったり首がかくんとなったり、一秒以下睡眠で元気元気、会津若松は今のところ、駅前のみ・雨降り・一歩も歩いていない、が別府?って感じでしんどい。
明日は晴れるらしいから歩きまくろう。
と雨が止んで若干涼しいので岩瀬書店へ。サイダー、ノート、ラスク、リップクリームを買って、小川洋子『密やかな結晶』が気になりつつも退店。
同い年かもう少し若い人がまあまあ表を歩いていて不思議。
商店街まで歩き、商店街を歩き、なんだこれ、琥珀に寄ってコンビニ寄って、宿の一階にあるラーメン金ちゃんで夕食。ネギチャーシューメンと半ライス。
うま!、食べ進めていって体調不良だと気付いた、あぶな、二郎食べてたら本当に大変なことになってたかもしれない。
明日はもう宿に籠ろう。歩かなくていいや。
煙草吸いに降りて本読んで、煙草吸いに降りて本読んで、映画観ようとしてみたり、煙草吸いに降りて本読んで、という感じで。
二種アメスピを交互に吸い続けてヴェイユ、まったく頭が働かない。
毎日何かしら楽しい。
というより、お!と思うものを探し続けているからそうなる、し、そうしないといけない。
多分こうなる。
アナイス・ニン『インセスト:アナイス・ニンの愛の日記【無削除版】1932〜1934』
リチャード・ブローティガン『ブローティガン 東京日記』
ガルシア・マルケス『愛その他の悪霊について』
J.W.V.ゲーテ『色彩論』
山尾三省『火を焚きなさいー山尾三省の詩のことば』
滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』
平岡あみ『ともだちは実はひとりだけなんです』
山崎聡子『手のひらの花火ー山崎聡子歌集』
千葉雅也『アメリカ紀行』
伊藤悠子『傘の眠り』
井坂洋子『嵐の前』
だんだん訛ってきておもしろい、いつもより店員と話すからかな。
色んな方言を混ぜて話せるようになりたい。
2020.6/15 駅前フジグランドホテル
日を跨いで寝始めるが2:43、何か気持ち悪い夢を見つつ起きてはいるって時間がしばらく続き、喉の途中に小さな箱が詰まってて、それを出すために咳が出る。降りるの面倒で寝る前に吸い過ぎたからかな。
運良くそのあとすぐに眠れ7:00、旅中、初めてのアラーム起床!、やったー!
めちゃ元気、寝れるってのは素晴らしいねほんと!、近辺の人に言ってまわりたい、交流を図りたくなる。
降りてヴェイユ。
「同様に、わたしたちも、自分にしばりつけておいたエネルギーを解き放って、ものごとの真の関係にあずかりうるような自由なエネルギーを所有するために、死ななければならない。」
(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』、「脱創造」田辺保訳、筑摩書房、1995.7)
陽を浴びたホオノキのなんと美しいことか。届いた光を芯の辺りから、目の細かい表面を通って反射している。
晴れていると会津若松駅前は、台風の時に訪れた福大前西福井駅の辺りを思い出す。
海まで結構あるのに、海が近くにある雰囲気。反対側の駅前から歩いて20分以内にありそうなのに。
息を吸うとむせる。旅に出てから始まった、ストレス?
煙草、これだけ規制されるとやめるわけにはいかないし、煙を吐く別の行為がない、本読みつつ吸うと、いらないものは煙になって、求めているものは体の中にめぐる、そんなわけあるかな。
元気がないと、まわりのせいではないかと考え始めてしまう、こんな体に生まれたから、絶対にストレスだ!、町の空気が悪い!とかなんとか、完全に自分の生活習慣。
てことは今とっても元気なんだろう。ありとあらゆる責任や原因が自分自身にあり、自分自身から発生し、それをどうするもこうするも意志に委ねられていると感じ、思うことができ、そうとしか感じ、思うことができない。
予定通り今日は歩く気がない、ホテルで自転車を借りすぐそこのドラッグストア。帰り、また岩瀬書店。南部せんべいラスクと小川洋子『密やかな結晶』を買う、やっ、やっぱさ、本屋だから、ほらさ、買わなきゃ?、本をさ、最近親友も読んでたしさ小川洋子さんのなんかのやつ、表紙の木彫も素敵だしさ、だから、もちろん早稲田だしさ、やっ、やっぱさ。
誰かに何か借りると、これどこで手に入る!?ってのと何じゃこれって二つしかないような気になる、ばあちゃんに借りた消しゴムと隣の席の子に借りた消しゴム、適当なフロントで借りたチャリと部屋とか廊下とかかび臭いし全体的にぼろぼろだけどめちゃ丁寧なフロントで借りたチャリ、その他等々、諸々。
やー、Remi Wolf『Guy』、0:00〜0:16、1:35〜2:04、泣いちゃうね。
何か受けたものみんな涙か笑いに出てくるね。
この癖は直した方がいいのかもしれない。初対面の人との会話で感じ入って泣いてしまったりしたら迷惑だろうし、実際そういうことって、そうなりかけることって多々あるし、感極まんの早!、閾値低!
大人っぽいね、とか、落ち着いてるね、とか、年上かと思った、とか言われ過ぎて、それは別に騒ぐ場面でも騒ぎたいこともないし静かにしてるだけで、もちろんそれだけでなくて、受け答えや仕草や、感じ、雰囲気、気配でそう言ってるんだろうし、それだけがまずは大切だけど、言われ過ぎての続きは、言われ過ぎてそういうことが大人なのかー!と素直に思い込んで、少しそこから離れたことをすると、一体いつまで子どもなんだろう、とか、あ!意外と子どもっぽいと思われるのかな、そしたらこの人の感じ方を傷付けることにならないかな、あ!意外と子どもっぽいねって言われた、ごめんなさい、あれ、何かちょっと嬉しそう、何で?、静かにしよう、静かに静かに、言葉遣いに気をつけて、気にしなくてもいいと分かってることにも気を配ろう、と。
年上かと思った、がこの中にあるってのが恥ずかしいよね、自分自身、年上の人ってもっと、意味を含んだ形で、大きな人で落ち着いていて、それによってそんなのがこれだけ蓄積されているのだから、きっと生きてきた量も自身より多いのだろう、と。
そんなわけねーよって知ってるし思ってるし。
で、こんな心配は傲慢でしかなくて、いつまで子どもなんだろうとか思う前に、何様?と自身に思うような考え方や接し方を改めよ、と思っていると、何か、自分にも他の人にも、ひとごとみたいに接しているからそうなるんじゃないかと思い始めた、自分にはAとして、他の人には、三人目としてBが登場してくるような、だからなに?
てか、わ!、『密やかな結晶』の解説を井坂洋子さんが書いてる!、冴えてるねー!、これで、なんとなく読みたいな程度の自分の選定のせいでくすんだ、これと『嵐の前』が、自身にとって本来の輝きを取り戻すことができた、かもしれない。
やっぱあれだね、元気なときはさ、分かっちゃうよね、必要なもんが、全部さ、あはははは、煙草吸う?、やめとくか、吸ってくるわ。
ホテルの部屋で踊っていると、小窓から姿か影かで知られるんじゃないかと恥ずかしくなる、住んでるところよりもさらに知らない人ばかりだし、それによって関わることのない可能性が高まりそうだけど、恥ずかしいことはどこでもあんまり変わらないね。
あるのは恥ずかしいけど続けるか止めるか、恥ずかしいままでもその行為を続けるのは、自身にとってとても大事で、自信と称されるものの有無で何かに取り掛かるとか離れるとかいったことに、けっ、と思っているから余計に、何かをし続けなくてはならない、どれだけ恥ずかしくても。
ってことでしばらくRemi Wolfとともに踊り、下に降りて煙草、ヴェイユ。
旧約、新約ともに聖書をまったく知らないのだけど、神の似姿として人間が造られたのなら、その時点で、神がどのような試練や苦難を与えたとしても、それによってどのような状況、状態、世界になったとして、その残酷さや意味の不明瞭さで、神の存在を否定することはできなくない?、と神なんていないだろ、と思っていながら思った、誰か何かが生き物を造ることが最も残酷で意味も分からなくない?、だから、神はいるのかもしれない、いないと思っているのに、何かに祈ったりするのは元から機能としてあるのかな、後から概念として組み込まれた?
ヴェイユを読んでいると聖書を読んでみたくなる、一端でも分かりたい、神の存在を信じられる状態を分かりたい。
旅先で足りないものは、愛するものとの肉体的な連関以外、もう何もないような気がしてくる、他のものは何だってどこだって手に入る、努力してもしなくても手に入る、なんでも、不足感はその連なり以外からはもたらされないね。
眠たい。眠りに関してだけ機械化したい。
死にたいから、意識をアップロードするとか肉体を捨てるとか、そんなのはいい、今のところ、でも眠ることに関してだけは設定させて欲しい。眠気まじうざい、それなら寝れろよ。
煙草と水とコーヒーとFANTAの過剰摂取で全然お腹が空かない、たぶん空っぽなのに、コンビニ遠いし、そういう系食べたくないし、金ちゃん行きたいけど全然食べたくない、きっと食べられるがいらない、絶対あとでお腹空く、18:15、金ちゃんは19:30に閉まる、あー。
はんてんさんの『九丁目』、小さい頃みんなのうたで聴いたことあったっけ?ってくらい温かく、映像がたくさん浮かぶ。『ほんのひとつ』もたまらなくいい、歌い出し「手の甲 浮き出た 血管ひと撫で」からどんどん出力される、うー!もさいこー!、好きで聴いてるどの曲も、あったかなかったか定かじゃないけど、小さい頃にずっと抱えてあった、あったかい寂しさを思い出す、だから多分、調子悪いときに聴くと「あ、あ、子どもの頃に戻りたい、あ、あ、でも今もいい、とってもいい、あ、あ」といった気分になりそう、『うるさい台本』、「編みかけの文字に 目を凝らしてるみたい 何色なのかあてるから 隣で待っていて」って、駄目だ駄目だと思いながら天才だと思ってしまう、正しくは持って生まれたものを練り、練り、練った果て、まだまだ代を残したそれが総動員された結果で、とてもいいー。
簡単に言えるから言葉は、よく考えないとな、とずっと思うよね、どういう意味でその言葉を使うのか、使ってるのか、それも言葉で説明するから終着はないんだけど、だけど、それでも。
玉置浩二『愛されたいだけさ』、久々、二回目と三回目のサビ、何回聴いてもどこで聴いてもくつくつ泣く、それはCメロがあるからなんだけど、いやー、ほんと、今喫煙所で泣いている人がいたら「『愛されたいだけさ』?」と訊ねてみましょう、怖がって無視します。
何考えても何思っても最後は、愛っしょ!、死っしょ!となっていく、その二つあればいいっしょ。
「どうか、わたしは消えて行けますように。今わたしに見られているものが、もはやわたしに見られるものではなくなることによって、完全に美しくなれますように。」
(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』、「消え去ること」田辺保訳、筑摩書房、1995.7)
ぎゃー。アイドル視する人もいるんじゃ、いたんじゃないか。
突然お腹が空いた、ほらー、やっぱ空いてんじゃーん、Lamp『さち子』、久々、前よりも染みるし入っていける、素敵だー。
「もし 君が魚でも
見つけられると
何度も読んだ名前
今はどこで歌ってるの」
素敵だー、歌詞カードでは知らないけれど、?がないのも素敵だ、ラーメン金ちゃん入り口から三歩の席で泣いちゃう、るいせーん、アウトロの演奏の優しく押す力で『さち子』から離れる。
今日は塩タンチャーシューメンと餃子と半ライス、塩タンは塩タンメン。
宇多田ヒカル『Time』を聴きつつ食べ始め、Bluetoothのイヤフォンは咀嚼音が頭に響くので仕舞う、店のスピーカーから『Time』が流れてくる、やったー。
大半の時間喫煙所に立っていて足が痛い。
どこでも、椅子的なものでも置いて欲しい。
喫煙所にて『密やかな結晶』を読み始める。
寝る寸前まで。
2020.6/16 美加登屋
暑いと変な夢を見る。最近見た夢と昔のがところどころ混ざって、昔見た夢が少しだけ進んだり変わったり、2:35、おーい!昨日寝れたろー!
煙草の吸い過ぎ、というか、こういった状態にしては、吸い過ぎから咳が続いてるんだろうが、全国各地の宿にはもっともっと、もっともっときちんと清掃して欲しい。
一箱前後でやられる軟弱な喉や体を鍛えねばならない。
喫煙所、『密やかな結晶』、けっこう楽しい、まだ序盤も序盤だけど、島の大きさが広がったり縮んだりする、すぐ涙ぐむ。
あ、すぐ涙ぐむようなタイプだから帯とかの、泣ける!、系に興味ないのか、というか、勝手にします、という感じなのか。
久しぶりに物語を読む気がする、いいなあ、小説家の書く小説家、の書く小説が差し込まれてて、ぐりんとして気持ちいい。
やっぱ小説好きなんだなーとその他のものを読んで思うのじゃなくて、小説を読んで思えるのはいい、認識と再認識しかない。
筋トレを続けているからか肩まわりが丸みを帯びてきた。Tシャツが張る。
昨日は券をなくしたために行けなかった朝食を食べに降りる。一食で食べたことのない量のゼンマイ。
確かに眠い。何とかならないもんかな。
頭の中だけで、中学生の頃から続いてる話があって、空想があって、それは小学生のときには友人と演じたりしていて、で、その話を進めていると眠れると気付いたのはここ数年、多分、三年くらいのことで、それが最近あまり効かなくなってきた、もう孫の代の話になってるからね、関係あるかな、とにかく、新しい眠り方というか、眠りへの入っていきかたを探さないと。
その日触れる物事に全力を傾けると気絶したみたいに眠りに落ちられるが、それは生活を不規則にさせる、眠るためにその日の起きてからの力を使い果たすには翌日か翌々日までかかる気がする、たいていは翌日の昼過ぎ、夕方前に意識を失って、うざい時間に目が覚める。
そうじゃなくて眠りたい、眠る寸前の、もう夢かどうか、ああ今から寝るんだと分かる時間があると嬉しいけれど、それはこの際贅沢なものとして望まないでおこう。ただ寝たい。
今年はヒッチハイクができなかったから、この後もしない方がいいだろう、それでも長旅は基本的にずっと退屈、何もないなら何もない住んでる町にいる方がいいし、何かあるなら何かある中で好きなものがある街へピンポイントで行く方がいい。
それにしても、9日間2946字ペースで書いているこれは日記になってるだろうか、このままいけば70000字を超える、でもこれは0字と同じ気もする、小説らしきものを書くときとはまた違った何も考えてなさがある、これなら無限に書けるのに、書き始めた小説的なのは初日に640字書かれたきり開かれもしない、まあいいや。
一円にもなっていない、それだけをしていると餓死にいたるものだけに、仕事、とか、しなきゃな、とか思ってるのは何でだろうか。仕事さぼって日記書いてる気分になってる、書けば書くほどさぼってる気になる。
有難いなとか申し訳ないとか思い過ぎてるような、用意されたものとかしてもらったこととか、もちろん、ありがとうと思うし、言うけれど、有難いとは思わない、というか、まあ思うけど、頭に文字で有難い、とかそれに類する何かが浮かんでるときは、自分の働きとか、存在と無関係にあるものに対して思うことの方が圧倒的に多いのは、何かに祈ったりする機能的なのと似たようなもんのせいかな。
成長した欅の樹皮を触っていたら、冒頭の一文と景色が見えた、楽しい楽しい。
畳を焦がすような奴は部屋で吸うな!、せっかく煙草が吸える宿なのに!、と思っていたら鍵をなくしていた、15分くらい広くはない部屋を探しまわっている、本当に消えてしまったんだろうかと思うほどどこにもない。
絶対にないところを探す、ない。ありそうなところを探す、ある。よかったー!
ようやく散歩、カメラ、SHISHAMO『第3ボタン』、もう7年聴いてるのかと考えるとちょっとぞっとする、その7年で宮崎朝子さんより好きな声はなかったかもしれない、そんなことはないけど、そんな気がするくらいには、サウンドとしては苦手な曲が多いけれど、メロディと声で聴かず嫌い、ちょび聴き嫌いをせずにいたった、感謝感激、初めからずっと聴き続けててライブも行ったことあるミュージシャンって本当に数えるほどしかないし、『さち子』、元温泉街というのか、廃れた、宿はたたんでお風呂だけ提供してくれているような店々、湯野上温泉駅付近で泣いてる人がいたらそっとしてあげてください。
夫婦岩のある川岸まで降りたかったが、可能なのか分からず、探索する元気もなかった。
風がすこぶる心地好いが陽光で具合が悪くなってくる。
遠く、雲や空やその奥に溶けていく稜線を見つつ、高く大きな山に囲まれた幹線道路を歩く、その『グライド』で暗闇に落ちかける、が、やっぱり、そういう曲じゃない、じわじわと何か、気力のようなものが滲み出てくる。
コンビニ、きっと何の意味もない『ネレナイト』とかいうのを買った。
いっぱい煙草を吸うためにアメスピの赤箱追加、手元に緑の12と黄色の6と赤の10、美味さは12と6が同じくらいで10が低め、ターコイズが一番好きだけど何故か売ってたり売ってなかったり、今のところ売ってないところのが多い。
本読みつつ夕食を待つが、あまりの眠気にアラームを設定して仮眠をとる。
たまにある、豪華すぎて心配になる献立。馬肉の刺身、天ぷら、煮魚、蒸し焼き肉、ワラビのお浸し、煮物二種、うまーい!
朝ちょっとこわいな、食べられるかな。
筋トレ。腕重。
布団で『密やかな結晶』。
おじいさん。おじいさん。
2020.6/17 美加登屋
何度か目が覚めつつ2:30、『ネレナイト』頑張って!、埃等すくないからか咳はまし、煙草はもう美味しくない、丸一日でも抜いてうまみを取り戻すか。
まあでも、一週間で9時間以下くらいの時と比べると毎日4時間前後は寝れているから御の字かもしれない。
寝れて起きれたことにサンキュー!って感じで過ごそう、うざすぎるからな。
〜〜と比べると良い悪いとか、〇〇じゃあ□□だよとか、どのくらい意味のある言い方か分からなくなるときがあるよね。
比べると、ってこの今抱えている問題を不当に扱っているような気になる、それを言うときもう意識はその問題Aに向いていなくて、それから高低、ものすごく距離のあるものしか現れてこないような、そうじゃないBやらCを出してくれる人に出会ってないだけか。良い方向に転ぶ「それ比べてる?」を求めてしまっている。
その言い方、言説の当たり前の部分、前提にこそ違和感が残る、〇〇じゃあ□□だよとかも、いやそんなん分かってるよ、としか言われないしそれも分かってんだけど、や〇〇じゃねーから言ってんだよなー、とまず強く思う、相手もじゃねーところを見繕ってきてるから当然なんだけど、何というか、デリケートではないけれど説明しづらいな、じゃねーことを言うのが目的になってるのがむずむずする。
この説明のしづらさ、確かにある体の違和感とそりゃそうなんだけどと諦めに近い思いは、何か辛いことを乗り越えるとその次の辛いことにも耐えられる、というか「あれを乗り越えたんだから」と思える、言ってくる人に対してのものに結構似ている。
それはでも色んなことに慣れないのがあるからかもしれないが、それだってそう気付いているだけで、「あれを乗り超えたんだから」と思える、言ってくる人も何にも慣れていないのかもしれない、し、確かに言ってることの意味はうっすらではあるけれど分かる。
過去から鼓舞する励ます、それは基本的に今の困難を過去にあったものよりも低い位置にあるとして話が進んでいく気が、いやでも。
それまでの間に培った、直接には関係ないもの、過去の困難と今の困難に通じるものがある、間の困難の乗り越え方とか、発想して、応用して、「あれを乗り越えた(今の成長した自分ならきっと!)んだから」、により近いんだろうな、でもやっぱり違和は残る。
発想して応用するなんて生きる上で普通のことというか、それが生きていくことなんだろうけど、辛いことや悲しいことや寂しいことにそういった動きを取れるのか体感のレベルでは分からない。
応用、だからこう言うのは間違っているけど、だって別のものじゃん!と思ってしまう。
朝からなーにいってんだ、本読め、勉強せえ。
当たり前のこととか勝手に行われる自分の中の様々とか、そんなことばっかり気にしてたらどんどんもっと馬鹿みたいな人になって馬鹿になるよ!
現実的に生きなさい!そのつもりです、いやいや。
まだ朝食に怯えている。お腹壊しちゃう!
小さい音、SoundCloud、わがつまさんの曲。あんまりにも自分の中で特別だから何も書けない、いや、あんまりにも自分の中で特別だから何か書きたいこともあるだろうよ。一年ちょっとの間にどれだけ楽しんで、どれだけ救難されたか、利用してるようで申し訳なくなったりする。音楽って本当に素敵だなーと聴くたびに思う。思いが届く限りしたいようにしたいだけ続けて欲しいと願ってしまう。
折坂悠太さん、坂口恭平さん、まつきよしほさん、わがつまさん、はんてんさんを聴くために、この順で聴き増えた、SoundCloudは五人を聴くために入れられている。
折坂悠太『睫毛からつま先(デモ)』、『つーかー』、『あけぼの』
坂口恭平『shakutorimushi』、『春のせい』、『カレー屋』、『休みの日』、『春の亡霊 FU ver』、『白夜 FU Ver』、『空き缶』、『西港』
まつきよしほ『わかりにくい日々』、『ふたりぐらし』、『くるり スロウダンス』
わがつま『スローダウン』、『触れる』、『まっしろ』、『転々』、『ずれた話』、『フィルター』、『街』、『犬が通る』、『それはそれで』
はんてん『飛んだ日 アコースティックver.』、『飛んだ日』、『九丁目 アコースティックver.』、『九丁目』、『ほんのひとつ』、『うるさい台本』
それぞれ短い期間に、思い返すと怖くなるくらい聴いて、しばらく離れ、また怖いくらい聴く、というのを繰り返している。
この宿の唯一の改善点はカーテンがないこと!
焼き払われてしまう!
久々にマック食べたい。もりもり食べたい。
ダブチのLL、ナゲット追加、バニラシェイク追加。
読み終わった。
良いものを読んだ。今の静けさにも合った、今読むべき本。どうしてか寓話のように感じる。
久々に、かどうか定かじゃないけど物語小説!ってのを読んで悲しい気持ちになってきた。
起きて三時間くらいの間にチョコオールドファッションを食べて、コーヒーと煙草を過剰に取ったからかもしれないし、単純に結構ちゃんと眠たいからかもしれない。
何かと何かが絡み合って、作用して、駆動して、綺麗に収束していって、ってそういうのを読むのがもう苦しいことの一つになってきたのかな。
旅館に泊まって改めて、ビジネスホテル、ホテルが好きだなーとしみじみ思う。出入り口がいくつかあったりするのも、内廊下の独特な密閉された感じも、自販機のある階やランドリーのある階と分かれていたりするのも、人が流れていくロビーでぼんやりするのも、夜中や明け方でもフロントに起きている人がいるのも、何か色んなところが何故か分かんないけど好きだ。
朝食夕食付きの小綺麗で小さいホテルに住みたい。壁が厚くて、ある程度なら楽器が弾けるといい。
かなり眠い6:24、目が覚めるならせめて昼くらいまでは元気元気であって欲しい、それなら全然いいよーって感じなのに、四時間くらいでもうこんなに眠いのは一日が終わったのとほとんど同じ。
この旅中、眠過ぎるし泣き過ぎているが、それは完全にいつも通りだから何にも関係ない。
朝陽が部屋にどんどん差してくる。
どこを歩いていても、サングラスをかけている人の少なさに驚く。目やべーっしょ。
朝食は質素で安心した。
そうなるとやおら今晩が気になってくる、夜はたくさん食べられると嬉しいからね。
納豆と海苔を残して、「ご馳走様でした」と台所にいらっしゃる二人に声をかける、昨晩と同じく気持ちのいいやり取り、「納豆と海苔を残しました」と言うと「あら、駄目なん?」、「はい、すみません」、爆笑されてから「ごめんね」と仰った。
言う必要もあるのか分かんないけど、言いたいから言って、なんとなく何も言わずにいるよりはいい気はしている。少なくとも片付けに入って、パックだけど、個包装だけど、「あ、残してる」とか「残ってる」とか思わせてしまうようなことはなくなった。
誰にでも、正直に、真面目に接して、よく思われたいのかもしれない、結果的にどうなってもいいけど、出来ることはしとこう、みたいな感じかもしれん、よく思ってる人によく思われたいから、誰にでもというのは全然間違っていた。
何度も意識を失い、目醒めるたびに元気になっていく。これのせいなのかな、どうやって耐えたらいいんだろうか。
朝あった悲しい気持ちは消え去った、あれはそう勘違いする眠気であった。あっぱれの馬鹿具合である。
眠過ぎたり頭痛過ぎたりすると、そのとき言葉が文字になって浮かんできたものが本当にそうなのか怪しむことはできでも、ほどいていけなくて、違うんじゃね?も飲み込んで、それになっていってしまう。鍛錬が足りない、旅先か家で死ぬ気がしてたけど、何にもない寂しい旅先で死ぬことはない、それはまるっきり勘違いで死ぬ必要がない、というかどうせなら、よしっ!死ぬか!って感じで死にたいから、やっぱり、どれだけ落ち込んでも生きとこう、家で死ぬ際に予定していた、体にブルーシートを巻き付けてドアノブにロープをかけて死ぬというのも無しにしよう。
死ぬ必要なし!
食べかけのチョコオールドファッションと灰皿の中身は処分されてしまったよう、バスタオルは昨日のが洗われずに干されて置いてある、元気なかったらしくしく泣いてしまいそうな、そんなことで泣く必要なし!
それはそうと一回濡れたものを乾いたからといって使う意味が分からないな、なんで?
部屋を冷やしてるあいだに、なんで?、なんで?、なんで?、なんで?、なんで?、と言いに行くべきかもしれない。
筋トレ。
運動は基本的に悲しさに繋がってよろしくないが、やっと体が筋トレを始める前の、その前の体に戻ってきた、このまま続けて、その前の体以上にしていこう。何となく、女だったとして、男だったとして、セックスまたはそれに類した行為の際に嬉しくなってしまうかもなって体をを目指している、がそれは具体性に欠ける。
でも自分が思う自分であって欲しい体にするっていうだけのことで、でもとても疲れてだんだんと悲しくなってくる、本当に、これからいつまでも疲れずに生きときたい。
軽い喘息のようなものがずっと続いている。咳が出るとお腹が絞られていくので良い、が胸のあたりと喉に色んなものが滲みて痛む、水さえも。
「必然への服従に同意し、ただ必然をうまく扱いながら、動いて行くこと。」
(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』、「必然と服従」田辺保訳、筑摩書房、1995.7)
「りっぱな行いをするに当たっては、やむにやまれぬこと、すなわち、しないではいられないことだけをするように。しかし、たえず注意力を正しく働かせてる、しないではいられないことの数をふやして行くように。」
(同上)
「行動の結果にとらわれないこと。この宿命的なものからまぬがれていること。どうすればよいか。
或る目標のためにではなく、必然によって、行動すること。これ以外のことはできないのだ。それは行動ではなく、一種の受動性である。能動的に行動しない行動である。
〜中略〜
自分の行動の動機を、自分の外部へもって行くこと。押し迫られること。まったく純粋な動機(あるいは、まったく下劣な動機、いずれにせよ、同じ法則)は、外側にあるものと思われる。」
(同上)
ヴェッ、ヴェイユー!
宿の部屋を一旦、このまま寝たら凍死したりするんだろうか、と思うくらい冷やすのも楽しい、体が熱くなるとか冷えるとかするとろくな考え方ができないけれど、一回はうんざりするくらい冷やしたい。
今、とんでもなく寒い、体の表面と芯のあいだが小刻みに震えている、鳥肌がずっとある。寒い。
散歩しようか迷っているが、散歩するような道でもないし、何にも出会わない気だけがある、昨日見た何かの死骸を撮りに行こうかとも思うが、撮り切れないだろうと思う、し、多分においで吐く。
本当に寒い。お腹が痛いような。
何かまでの時間、もうほとんどそっちに行ってて何ができるか分からなくなるね。
コンビニくらい行くか。
アイスコーヒーが飲みたくてアイスコーヒーを買ったつもりがアイスカフェラテを買っていた、が、アイスコーヒーを淹れて、外、ベンチ。
山を見上げつつSHISHAMO、鎖骨の下から鳩尾くらいまでぎーっとなる、それからS.L.A.C.K『Hot Cake』、いつぶりかに聴く、腕含む首から下、腰から上がざわざわ、小さく震える、名曲は一聴目で分かるのと何百回か聴いてから分かるのがあって、そんな勘違いがあって、『Hot Cake』は一聴目、それから大森靖子『ノスタルジックJ-pop』、頬骨から下、胸あたりまでこそばゆいほどの鳥肌、こんなところで聴いたらいけない、何か死んじゃう、何か生き生きしちゃう、100回聴く前に名曲と気付いた、それで、スピッツ『子グマ!子グマ!』、これは何故か、夜に聴く曲だ、でも危ない危ない、わんわん声出して泣くとこだった、あぶないあぶない、C.O.S.A×KID FRESINO『Swing at somewhere feat.コトリンゴ』、あぶなすぎる、「仲間以外に回す愛は持ち合わせない」だって、「勤勉で出来る限り善良で 気遣いのある人たちは踊ってくれ peace」だって!、「ハハ 笑えるくらい陽気な人生とは程遠いが ナイスな夜だけは忘れたくねえんだ」だって!!!、息しづらいくらい泣くのを我慢しなくてはいけない、もう無理だから聴くのをやめようと思いきや、羊文学『ロマンス』、踊れるし物悲しい、『ハイウェイ』、羊文学の、サビのスネアがタタンっと鳴る曲を好きになりがちだと気付く。
これ以上、コーヒー飲んだり煙草吸ったりしてると吐くかもしれない。
空腹時この二つは避けるべきなのに、何度同じことをするのか、ずっとするだろう。
本読みたくなってきたから帰ろう。
藤井風『優しさ』2:51〜3:04で宿へワープ。