書いてるものに引っ張られて、山に登りたくなってきた、もう少し寒くなって汗をかかなくなったら行くか。
今日は無理そう、と目が覚めた時に思っていても、書き始めると書けるし、起きた途端からあれこれ小説について考えられる状態になっているのはいい。
寝る前に、さあ明日はどうなるかな、今日の続きはああなって、こうなって、と考えると、次の日はそれとは違ったものを書くことになるし、書かなくてはいけなくなる。
数字先でも、もう分かったものは書いてはいけない、今のところそれは意味がないからだけど、そうなるとどんどん書くことがなくなっていくんじゃないかと、寝る寸前に思い、それを引きずってるのか、起きたときには、駄目だ書けん、と思うが、当然書ける、この運動と作用がおもしろい、通して聴けなかったアルバムを聴けるのもいいし、それはもう聴いていないから聴けているのかもしれないけれど、やっぱり耳は耳で勝手に動いていて、お!っと思う曲にはしっかりと反応してくれる。
また京都へ行って、久々のアローントコ、この数年ずっと好きな古本屋で、行くたびに何かしら買って帰ることになる、『ワイルド マウンテン』のセットを格安で手に入れたことや激安ジャケ買いレコードが当たりだったことや、そういう良い思い出があるからっていうのも理由だけど、とにかく気になる本の量がかなり多いってのが一番の理由、もっと頻繁に行くために
近くに越そうかと真剣に考えたことがあるくらいで、それは大学生の頃だったけれど、今でも時々思う。
ぼんやりと思い付いて引用したものが、後になって調べると繋がっているとき、記憶のされ方とかその強弱とか覚えられなさを思うとげらげら笑けてくる、こたあないけど、おもしろい。
それからその本を買って、びっくり読めなくて、こっちはげらげら笑けてくる、こたあないけど、やっぱりそうですよねって感じ。
それにしても毎日6000字を超えていると、頭がぼわーっとして、冷めるまでまあまあ時間がかかる、痛快ドタバタハードボイルド!って感じを書いてる訳でもないのに、あちあちって具合で、ぽこぽこして、ぐらぐらしてくる。
書く時間は3〜5時間の間を行き来していて、寝起きの「今日は調子悪そう」とかそういうのは外れているのか当たっているのか分からない。
毎日4時から10時の間に起きて、その時間に関わらずきりきり痛むくらいの空腹のまま書き続け、合間に煙草を少々、カフェオレ大量を嗜み、あれこれと新しい音楽を探して聴きつつ、洗い物したり、うろうろ歩き回ったり、みんなすればいいのにって楽しさ、みんなってのは文字を書けるようになった頃から文字が書けなくなる頃までみんな。
今回は何故かおとも本がない、代わりかちろちろと本が読めている、何も作用しない形で、してんだろうけど、ただ読書を満喫できているし、俺は結局自分の書いた文章しか読めないのではないか、と思い始めていたけれど、そんなことはなく、ないのかもしれないけれど、何冊かざくざくと読んでいる。
毎日どうしてこんなにと思う空腹で午前中が埋まっている、ひもじい、みたいな思いはとうに越えて、どうしてこんなにお腹が空く必要があるんだ?と思い出している、だけど、いい具合に落ち着く量を食べると書けないため、書き終わるまでは、お腹空くなよと思い続けなくてはいけない。
まじでさ、前の行からしても文法的にも何一つ間違いがないのに、それを書いたことによって止まる瞬間とか楽しすぎる、それを消して新しく書き始めると進む、なんで?、よく分からないことをし続ける以外何も楽しいことはないのかもしれない。
久々にコーヒーをがっつり飲んでいるので、またハンドドリップ熱が起こっている、適当な粉でコーヒーメーカーからどぼどぼ飲む時期は一旦終わり、それ以前のネルドリップブームには戻らず、マキネッタとバンドドリップへ以降しそう、V60はもう何年も使ってきて、まだ使いこなせはしないけれど少し飽きているのでKONOか何これ?ってのを使いたい、し、豆を買いに行かなちゃならん。
数日前に観た『Red』の夏帆さんのワンシーンの表情が頭に残っている、柄本佑さんは言わずもがな良いし、『渇き』とか『来る』とかの「あれ?普通じゃなくね?てか激やばじゃね?」って役が好きな妻夫木聡さんも良かった、なんとなく若い頃の演技が好きではなく、それから好きになった演技の種類が別だから特に印象になかったのだけど、当たり前に演技力というのも向上するんだ、と気付く、演技って初めから出来る人は出来て、そういう人はぐんぐん広がるか、ぎゅっと締まっていくイメージなんだけど、出来ない人はずっと出来ないもんだと思っていて、そうじゃない人の方が多いにしても、やはり途中でばばっと数段上に行く人はいるんだと、あらゆる物事でも同じことを改めて、目で見て思う。映画おもろ。
石川直樹『極北へ』を読み終わり、こういったハードな旅や厳冬期の登山についての本を読む度に思う、俺は可能性としてほぼ無限にある俺の体を活かしてやれてないね、というのが強めに起こった。
というか特別体の弱い人、意志の弱い人を除き、誰にでもどこまでも肉体を酷使することができるということに驚くよね、下手をすれば四肢を失うような寒さの中でリラックスすることも、あらゆる関節や全身の筋肉が軋んで言うことを聞かない場所で活動することも、進退の決定権を自身のみや誰かが握っているような時間で行動を続けることも、何もかも出来るのに、しないことを選んでいることがおかしなことに思えてくる。
しかし、試しながら飲んでいるとカフェインによって体調がやばくなるね、と思うけれど、それは他に水分を取っていないからってだけな気もするし、実際考えてみるとそんなにカフェイン自体は取っていないかもしれない、豆も深煎りだし、そのまま飲むよりも牛乳で割って飲む方が多いし、意識的に水分を取らなくちゃ。
今気分は、ある作家の全集の2巻と5巻だけを読みたい、何巻でもいいんだけど、全集を抜けのある状態で集めたい、集めたいってか、あと画集と写真集が数冊欲しいところ、恐ろしいくらい安いんだけどなかなか手が伸びないな、実際に見たいってのと小説やらを買いすぎているからなんだけど。
それとここ数年で読んだ本をざーっと読み返したい、が、ここ最近買ってすぐの本しか読めない時期に入っている、それが新刊だとかどうとかは関係なく、欲しいなと思って買った日から読み始めないと、少しでも積まれると読めない、こういう不定期訪れるよく分かんない時期は何がそうさせてるんだろう。