Cave一覧

1076字

 我慢できずに推敲、200060字から197971字へ、朝から始めて、食事と小休憩を挟み、気が付いたら17時を過ぎていた、恐ろし、少しずつ休ませる期間を伸ばしつつって感じかなあ、ずっと積んであった本を休んでる三日間くらいで読んでいて、それと繋がるような部分が多々あって面白い、多分、書いたから読めるようになっているし、そこには、実際は元から読めたってのも含まれている、積んであった中から数十冊選んで積み直し、まずはそれに手をつけた三日前の自分の反応が、その仕方の精度ってか、書くことと読むことの不思議な関係性ってか、妙に高ぶる。
 相変わらず、書き終わって三日で、ほとんど何の実感も残っていなくて笑ってしまう、は?ってとこも、なるほどってとこも、何もかも、誰かの行動に対して何か思うように思う、それはでも、今回は書いた次の日に前日分を推敲しなかったからかもしれないな、単純にそこを通り抜けた回数が少ないってので、でもまたそれとは違った感じで、とにかく今回は頭からだーっと推敲していくってのを何回か繰り返すことになりそうな、やっぱ200000字前後で収まりそう。
 もっと膨らみそう、と思った箇所を、そうするか否か、その「膨らみそう」が、自分のどこが何を発端にそう思ったかを見極める必要があり、その難易度が高い、基本的には書き終わった瞬間のものが、そこにある全体の流れや雰囲気を一番体現しているものだと思える、その濃度をいじっているような、「膨らみそう」は大体、技術の面だけで思われることが多いような、それの蓄積で成り立っているんだからそれは正しいんだけど、何となく、そうではない地点で思われた「膨らみそう」やら「削れそう」やら「これは違う」やら「ここは惜しい」を優先したい。
 にしても、やっぱり物量として、200000字は多い、普通に読み切るのに時間がかかるし、目を凝らして読んでいる分、別で200000字の流れを読んだりするよりもはるかに疲れる、が、結構それとは違った疲れ方がある、実際にプレイするスポーツとそれを観戦するくらい違う、書いているときの方がむしろ観戦に近いような、そんぐらいしゅーっと過ぎていく、書いた覚えのある部分は今まで通り、主に技術の点で、推敲の際に消えたり、大きく書き換えられることが多い、そうでない部分と読み比べると、「これでいい」と「これは駄目」の判断が逆転している感じがある、「ここ、書いた覚えないけど、駄目だな」と思うようなものも、書いた覚えのある場所では「いいね」と思われたりする、推敲すればするほど訳が分からなくなる。

 


1207字

 と思いきや、全然駄目、一週間ばかりは本を読む時期に充てよう!、というより、何十冊かのぱら読みで、その強風で、今まとわりついているものを一旦吹き飛ばす。
 あちこちくっついたものの裏側見たり、手の届かないものの匂いを確かめたり、それぞれの色味を知ったり、そのためには一時的に遠くに飛ばして、ちょっ、ちょっとってくらいの距離まで飛ばして、そんで、ちょいとなくなっているってのがいい、多分?、何それって感じだけど、そう思ったのでするしかない、大風を生む本を見繕う。
 推敲のしづらさってのは、何かを読んだり見たりして、その感想が上手く言えない、というのと繋がっている感じがある、それを分解したり、考察したり、分解したものを考察したり組み立て直したり、そういうことに自然には興味が向かないってのも相俟っているけれど、まずそれが苦手ってのが前提的にある。
 それを通過する前にはなかったものを出すことはできる、だからかどうか、毎推敲、「今回は削りめ!」、「今回は増やしめ!」って具合に進めないと手が動かない、何かを書くと別の原稿へ向かってしまうのは「それを通過する前にはなかったもの」を発見しているからか、その感触、力、を別の形態へ変換させる必要があるっぽい。
 で、さっき『雨月物語』やら『古事記』やら『宇治拾遺物語』やらをぱら読みしていて、読点で繋がっていくことへの苦手意識の低さは、この辺りからの影響なのかなと思い始める、ようは一文の中での飛躍の多さ、起点から終点への脈絡の有無、その濃度などなど、結構どうでもいいって何でもいいじゃんって。
 一文の中で、初めにその人がいたところから、終わりには数百キロ離れたところを歩いているとかさ、てかまあそれは、技巧面に収斂していくか。

 結局、200000字書くのに73日もかかってしまっている、まじで休み過ぎてる、一日辺り2739字、予定の倍近く、あと三日で倍、良い点としては去年より一ヶ月以上早く推敲ではない形で原稿に触れている点のみ。
 こんな調子じゃ、今年で2000枚は書くとすれば、800000字で、あれ、このペースでも、間一ヶ月ずつ休むとしても、書けんじゃん、あれ、や、ま、でも、早よしよ!、途方もねーし。

 やっぱ実験的に何かを放り込もうと思うと、一旦短めのものを通りたくなってしまう。
 次に書くものを思い浮かべながらノートに適当に書き連ねていく、楽しいね、あっちに書いてあったのを移動させたり、書いたそばから何これ?ってなったり、プレメモ、どんどん意味の分からないものが形作られていく、点々点々、繋いでいくと次に書かれるものの姿が見えるのかもしれない。

 久々の読書めちゃわくわくする。
 美味しい食べ物的な具合で吸収されていく感覚がある、懐かしい、今年はちょっと、気負い過ぎず、割にラフな読書でもってスタートか、ようやくって感じだけど、とにもかくにも高揚感があるうちにいこう。


1157字

 やったー!、200060字で脱出!、しばらく置いて推敲、その間に100000字前後で終わりそうな80000字辺りで彷徨っているやつをいじろう、非常に疲れたが倍楽しい、が、6000字ちょっと書くのに時間かかり過ぎ、この三日間で一番進みが悪かった、しゃあない、逃げ切った感じがある、久々に、書き終わってからの何もかんも尽きた、もう一行も何も書けないかもしれないってのが覆っている、が、そんなことは決してない。
 それにしても、100000字からの200000字は、近づくにつれ「そんなに離れてないんだー」って思ったけれど、200000字からの300000字は遠そう、そんなことないのかな、また結局「案外近いっすねー」って思えるのかしら。
 推敲に何日かかんだろ、一週間くらいは寝かした方がいいか、別のでも書くことから離れた方がいいか、推敲に関してまだあんまり、分かっていることが少ない、ある程度の長さのものを推敲した経験が少ないから当然なんだけど、だーっと書いていくのとは全く違った力が必要な気はする、ある部分で、もっと耳を澄ます必要がある、どの間違いを、見て見ぬふりではなく、そのままにしておくか、どの正しさを、それが正しいということ以外で、成立させるか、まるっきり分かんねー、が、取り掛かれば分かる。
 読書したい欲も湧いてきてるんだけど、読みたい本が見当たらない、寒過ぎて本屋にも行ってないし、今年の寒さってか去年からの寒さは堪える、去年一昨年よりも寒い気がする、こんなに震えてたっけな。
 しかし今回で一つ書き方を見つけた、てかそういうのがないと、ってか自然にそういうのが出てこないようなのは駄目なのかもしれない、そんで多分、部分的には可能でも、その原稿のその書き方を丸々流用することはできそうにない、そうすると、死ぬ間際に書かれるものはあらゆる書き方が入り乱れているのかもしれん、激カオスって感じ!、そのためにも書かねばならん。
 てかさ、こんな楽しいことあんなら教えてくれよ!ってくらい楽しい、しかも文字の読み書きが出来るなら誰でもできるなんて!、とにかく、1000000字を超えたものを書けるようになるまでは、今の具合で数字を気にしてみよう、お隣さんも、上の階の人も、そのお隣さんも、みんな書けばいいのに!ってくらい楽しい。
 狂熱みたいなものから解放されると、むしろあれもしたいこれもしたいとぽろぽろ出てくる。
 次は何を試すかなー、何かを書くことは、準備が最も楽しい人間からすると珍しい、準備も最中も楽しいものの一つで、楽しみ尽くさなくちゃねーって気分に完全に包み込まれて脱出不可!、もうこの中で色々済ませて下さいね!、説明書はありませんので、その都度、質問するなり何なり、どうぞ!

  


1413字

 どうしてか毎日書く量が8000字だと思っていて、それで二時間あるかないかくらいで8700字を超え、あれ?、と思う、違った、6000字だった、やっぱ気負っていると良くないんだね、今はとにかくいっぱい書きたい時期だから、そうなると俺的には早く書く必要があり、この感覚は覚えておいた方がいいかもしれない、一枚だけ蓋を押し開けられたような気がする。
 次書くものは原稿用紙換算20枚にしてもいいな、いい具合に頭がぼわっとして、書かれているものがちょうど良く拡散する、割と素早く8000字を書く、それで書かれたもので埋め尽くされた、何とか一つの塊として保たれたものを書きたくなった、それは15枚でも出来そうな気がするけれど、なんとなく、もっとその膜の近くに行けるのは20枚辺りっぽい。
 こりゃ次の6000字はしゅしゅっといけるぞー!、と思うけれど絶対にそんなことはなく、やはり6000字は6000字の重みがあるだろう。
 短いのを10個以内で書きたい欲も湧いてきた、が、多分違う、次は300000字かな?、とりあえず段階を踏んでいってそれぞれの手触りを確かめてみたい。
 多分するだろう連載的なのはその300000字を目指してみようかどうか、初めから何字と決めて、そこに達した時点で、どうなっていようと終えてみようかどうか。

 で、今さっき思い出したのだけど、いつ書いたかは分からない、多分手書きの原稿から、100000字前後になるものが二つ現れていた、きっとそのまま手書きでいっても、パソコンに移行しても、そのままでは200000字になる訳ではなかったような気がする、そもそもだって「なんかだめだ」ってなったからやめたわけで、散逸までして、しかしそれは後の二つの冒頭、車なら鍵を差し込んで捻ったかなくらいの、バスケならバッシュの靴紐結び直したかなくらいの、食事なら店員を呼ぶために手を上げたかなくらいの、散歩ならマンションなりアパートなりから出たかなくらいの、読書なら本屋に足を踏み入れたかなくらいの、そんなものになった、やはり今は、まずとりあえず何でもいいから書くべしって感じっすね。
 書くと書けるってことの中に、今書いてるものではないものも含む、ってのがあって、それには結構困る、書きゃあいいんだけど、併読的に併書?すると、融合するか相似するかどちらも散り散りになったりするため、現段階では短いものに限る。
 そうなるとこうやって関係ない、書いたことで書きたくなったものとは別の形に変えて、つらつら、書き付けることになる。
 や、集中し続けるってのよりも集中し直すってのが得意なら、好きなら、併読的に捉える必要はないのか、はいこっち、はいそっち、今日はあっち、明日はそれ、ってやればいい、例え完成しなくても、片方だけが完成しても、前述のように何がしかの何かになる可能性がなくはないのです。
 とにかく長いものを書きたいのだけど、日数が増えるのが嫌で、300000字書くとして、4000字なら75日、6000字なら50日、8000字なら37.5日、それなら10000字で30日で一旦終わらせたくなる、なんで?

 と思いきや7000字ちょっと書くのに五時間近くかかった、なんだかんだしゅっと終わるかと思っていたのにね、しかしこれで残すは6007字、それで初めて200000字を超える、何の意味もないが良かった、推敲大変そー!


1123字

 三日ほど、何かをする気が根こそぎ、見失っていた、リズムが崩れていた、朝型夜型とかはまず置いといて、したいことがあるときは前後二時間くらいで定めた時間に目覚める必要がある、久々に読んだ本に以前と同じように、より強く惹きつけられたことにより脱出した。
 サイトを前の状態というか、不便に近い縦の一覧性というか、そういうのにする作業で若干怠くなっていた、煩雑さというか、痒いところのみ届かない感じってか、ころころ変えられるんだからとりあえずはいいや。

 ついでに昨年の、あちこちうろついていた時期の日記を読み返したが、出来事以外何も覚えていなかった、何を思っただとか感じただとかその派生だとか、体の記憶はあった、やっぱ日記書くのっていいかもね、全体ではまあまあ長めだったからもう非日常って感じもないけれど、でもそりゃそっちに分類できて、それで覚えていないのかもしれないし、そうじゃない普段なんて、書いてなきゃもっと思い出せないもんじゃないか、何とでも言えるということから、どのルートで抜け出るか、どの感覚を優先して記憶し直すか、何を捏造して訂正するか、どの思い出も俺のではない。

 そういう意味では、一度出版されたものって、それを直接いじれないからいいね、推敲なんて無限にできるし、一旦オッケーと思ったところで手を離れるというのはいい、もうこれ以上はいじっちゃ駄目と思っても、二ヶ月もすればすっかり変わってしまう、したいことどんどん出てきて困る、どういう意味?

 本を通したら文字数が分かる機械欲しい。

 書く気が起きず、まず文字の塊に慣れようと今まで書いたものを三日かけて推敲してみることにした、やはり、何年か前に書いたものは直近のものよりも酷い、記憶のされ方はどれもさほど変わらず、どれも書いた気がしない、が、酷いものは書いた気が残っている、駄目駄目、し、もっと真剣に推敲しようとすると過去のものはいつまでもできてしまう、頭から尻まで書き換えたいだもん、そりゃそうだよね、ということですぐに切り上げる。
 遅々たるもんだけど成長していることが分かって、それは何よりといった感じだけど、尚更もっとごりごりがりがり書かなくてはならないことが分かり、それは途方もないのだけどどうしてかやる気を削がない、がんばろー。

 何時間もかけて書く8000字と二時間くらいで書く8000字の違いはほとんどない、しかし、頭の方はそうではなくて、完全に目が覚める、寝れない、やっと進んだのは嬉しい、いつまでも書けるなと思っていたけれど、過去の色んな原稿を過ぎてから書き始めると予定通りになりそうな感触がある、200000字を少し過ぎて終わり、推敲してその前後って感じ、楽し過ぎでしょ。


1226字

 あけましておめでとうございます!

 年始からウェブサイトがぶっ壊れてあたふた、写真やら絵やらを上げ直す必要がある、文字群が消え去らずに済んだことはラッキーだったけれど、わざわざプリントアウトするようなもんではない、が、こんなふうにして日記やら、その瞬間、それ自体の価値はどうでも良く、その瞬間にだけ思って書いたことがそんなことで消えるのは惜しくも思う、死ぬまでに一度だけ思うことかもしれなかったのに、そんなことある?

 で、今年は去年よりもごりごりと行きたい。
 小説・原稿用紙換算で887枚前後、写真・あちこちうろうろした割にはチェック後に残ったのは500枚前後、絵・354枚と一日一枚ペースで描けず、曲・タネを除き完成したのは一桁数、少な過ぎて何曲かも分からない。
 とにもかくにも数が少ない、まずは膨大な量、というかその膨大な量に至るまでの長い時間を過ぎる必要がある、器用でない分、今年は更にそれを意識しなくてはならない。
 旅先でも続けられる手段を確立するのも大事、去年はどうしてそれが続かないのか何となく分かったため、今年はじゃあそれを何に変換しようかということを考えなくちゃ。

 今年は2000枚は書きたい、減ってもいいから去年掴んだ感覚を確かめて撮る、倍数近く描く、最低でも一ヶ月に一曲のペース。
 指標に近い形での数字は、後になって感触を思い出すのに役立ったり、気分が塞ぎ込んでいるときでも到達できる量が可視化される。
 あくまで数字は、そこまでいくぜ!じゃなくて、こんくらいしなきゃまず一体俺のような輩にどうしようがある?って感じで、取っ掛かりとして良い。

 数枚だけ、品のある写真を撮ることができた、今までになかったスペースや黒の質感があり、それを今年はベースに何かを撮ってみたい。
 絵は去年は「これで描く」と決めた画材があったため終盤は飽きたのだけど、今年も継続しつつ新しい画材を発見したい。
 何年か前の感覚で曲が作れるといいのだけど、とにかく、この中で最も音楽が自由で、それゆえにちょっと作ることがどうでも良くなってしまっていた、が、やはり必要なもので、勝手に上がっていたハードルをめりめりと下げなくちゃならない。

 にしても何となくここいらで連載的なことを経験してみたい、ので、今年中にしてみよう。
 どうなんだろ、5日×4000〜6000の20000〜30000で推敲二日か、4日×4000〜6000の16000〜24000で一日寝かし推敲二日か、その辺りになるのかな、頼まれてもいないしプロでもない段階から、同じように、というか何というか、していないと何の意味もないことを肝に銘じつつやってみよー!

 暮れに焼いた豆が美味し過ぎて飲むのを躊躇ってしまう、なくなっちゃう、本当にもう適当な場所で焼かれた豆を買うのはやめた方がいい、ドリップも焙煎も家で完全に足りるようになった。

     


1279字

 11月の頭から書き始めて、11/1 6033字、11/2 6036字、11/3 6047字、11/4 6036字、11/5 休み、11/6 6135字、11/7 7015字、11/8 休み、11/9 6045字、11/10 6384字、11/11 6093字、11/12 6184字、11/13 6748字、11/14 6253字、11/15 6143字、11/16 6121字、11/17 6026字 6075字、11/18 休み、11/19 6361字、11/20 6134字、11/21 6100字、11/22 休み、11/23 6200字、11/24 6017字、11/25 休み、11/26 休み、11/27 休み、11/28 休み、11/29 6028字、11/30 6132字となっていた、別の表を見ると大体、友人と遊んだ次の日と偏頭痛の日に休んでいる模様。

 12月は、12/1 6017字、12/2 休み、12/3 6015字、12/4 6061字、12/5 6003字、12/6 6005字、12/7 休み、12/8から15まで旅行、バスで帰って来てそのままスタジオ、次の日から今日まで怠くなって休んでいる、休み過ぎ!、177000字は超えているが、予定としては旅行前に終わっていたはずで、そこまでに9回、54000字分休んでいたために超えず、今年中に200000字超えておきたいなぁって感じ。
 ていうか知らないうちに今まで書いたことのない量まで来てたのか、てか10000字書けば三日で終わるこの微妙な残量により気が起きない、てかやれやって感じ、6月以降頭痛から解放された気でいたのだけど、ここ最近また訪れているためまだだったようで、そんなことも関係なくやれやって感じ。

 それにしても今日は頭が痛い、歩くくらいの振動で分散しそうで、コーヒーと煙草を摂取し続けることで和らぐ、半年ぶりくらいの強頭痛は、やっぱ慣れねーよって具合。

 あちこち旅してたリズムからまだ戻り切れてない感じがあって、若干ずっとふわふわしている、新しく聴ける音楽は、書いている時間とあわせて増えていくけれど、お供本がないからか、本はちろちろとしか読めていない、映画も全然観てない、年間で95本前後、映画館って辛くね?と思い始めてから映画館もなかなか行ってないしなあ。

 今年は何か急に冷え込んだ気がして、冬を越せる気がしない、家の中で厚着しているのも久々の頭痛の原因の一つかもしれない。

 生豆で買うと安過ぎてびっくりする。焼いている最中の香りもいいし、短くはない焙煎時間の一手間もまだ楽しい、良い難易度、てかさそれもだけどさ、書いてるものに出てくる人に引っ張られる、新しい抽出器具を試すと、それだけで結構味が変わるのは、砕いて湯をかけるのは同じなのにねって不思議な気分になる、実際ほぼ変わんなくね?、旅行中に意識的にドリップを飲むようにしていたけれど、やっぱりよっぽど特徴のある店でないと飲む必要はなかった、美味いコーヒーがぶ飲みしたい。

  


1640字

 何か書くときに、ぽいっと、体験したことを書き始めると、すぐに全然違ったものになる、いやいや俺は試しにあれとかこれとかの事をどこまで書けるかしたかったのに、とは思うけれど、まあいいや、と続いていく、書いてみると、その寸前頭ん中で浮かんでいたような形とは全く別の形に変わって、読み返したときに、覚えがなくていい。
 もう書けることはないのかもしれない、と思いつつ終わる日と、あと倍は書ける、いや、でも、毎日の固定的な量がいいんだ、と思いつつ終える日が交互にやってくる、わけでもないけれど、ちょい定まり気味の波があるのはある。
 今回は、適度な睡眠と暗いうちに半分以上書き終わっていることが割と重要で、ねみー!のぐらぐらした状態では書ける部分がなく、朝陽が昇ると集中が散漫になる、あと、音楽とハンドドリップを含むコーヒーがいい具合に撹拌してくれている。
 てか、書けば書くほど、書き出してみないと何も考えられないことに自覚していく、パソコンで書いて、それでも分からないことをノートに書いて、忘れて、次の日書き出すと位置が変わっている、分からなさや違和感、どこまでも反抗すること、どのような意味でも、自身を支える物事や出来事の、成立や存在を一時肯定すること、反発、狭義を決定し直して拡張すること、広義の輪郭線を重ね合わせること、脱出、抜け出ることと出て脱ぐこと、後退し続ける、違和に対して反対し続けること、なんとなく、最近したいことの多くは、非常に微妙なニュアンスを持った真ん中って感じがする、運転中でも散歩中でも日の出直後も夜中も聴ける音楽、ぽっかり宙に浮いた小説、どこでもあるし、どこでもないし、何でもないし、どうとも出来る、何かを利用しない物語、ダイジェストではない小説、長い退屈と短い緊迫、永久に生きているのに、もういなくなっている、遠近感、総合すると見えなくなって、抽象と具象はそろそろ反転した方がいい、大変明確な雲と、甘い蜂蜜を焦がして、適宜、透明度の低い川面の奥にある岩の一部、言語感覚とリズムと詩情と、ピンク色に発光した生肉を這う蛆虫の、羽から透けて見える空のビビッドな青、目の奥に響く音から、立ち上る香りは、耳元で落ち着いて、触れた肌の全く同じ温度、湿度は皮膚の裏側で感じる、応答、本を読む時間の二十五個の時間の流れと、風景を撮る三つの時間の流れと、音楽を聴く八つの時間の流れと、その辺りを歩く十六個の時間の流れと、頭の少し先から降りてくる、足元、数センチ下まで落ちる、空洞で響く音の輪郭は綿菓子と同じ、そういえば、藤本照信さんの大型本をジュンク堂で見かけて、欲しいんだけど買えず、代わりではないけれど、初めて彼に関する本を買った。

 久々に焙煎したところ、水抜きに失敗して、結果飲んでいいのか飲んじゃ駄目なのか分からない飲める豆に仕上がった。
 で、速度と温度を変え、成功した。やったー!、これ飲んでいいやつ?って思わずに飲めるのは、当たり前ですらない当然なことに、嬉しい。

 何時に寝ても、ぱっちり起きても、暗いうちに起きると数時間でびっくり系の眠さに襲われて腹立たしい、旅をしているときの、やー、そいじゃあもっと寝てくれや、そんならもっと早く寝付いてくれや、ってのが結局ずっと続いている、し、よく考えると、生きてる間ずっとそんな感じがする、が、一年のうち何度かは最高の入眠睡眠起床一日を過ごすことができている、ような、目指せ毎日それ!って感じ。
 ここ数日、コーヒー熱の再燃により、毎日二リットル近く飲んでいるのだけど、中学生の頃にエナジードリンクを連続で五本飲んだとき以外、カフェイン的なもので眠れなくなったことがなく、ここ数日もそうで、でも多分、睡眠の質は悪いのかな、牛乳は飲んでいないから、同じ分量カフェオレを飲んでいた時期と比べると、良くも悪くも何の効果もない、ただ抽出方法や豆の違いで変わる味を楽しんでいるだけに過ぎない、久々にコーヒー超楽しい!


2739字

 書いてるものに引っ張られて、山に登りたくなってきた、もう少し寒くなって汗をかかなくなったら行くか。
 今日は無理そう、と目が覚めた時に思っていても、書き始めると書けるし、起きた途端からあれこれ小説について考えられる状態になっているのはいい。
 寝る前に、さあ明日はどうなるかな、今日の続きはああなって、こうなって、と考えると、次の日はそれとは違ったものを書くことになるし、書かなくてはいけなくなる。
 数字先でも、もう分かったものは書いてはいけない、今のところそれは意味がないからだけど、そうなるとどんどん書くことがなくなっていくんじゃないかと、寝る寸前に思い、それを引きずってるのか、起きたときには、駄目だ書けん、と思うが、当然書ける、この運動と作用がおもしろい、通して聴けなかったアルバムを聴けるのもいいし、それはもう聴いていないから聴けているのかもしれないけれど、やっぱり耳は耳で勝手に動いていて、お!っと思う曲にはしっかりと反応してくれる。

 また京都へ行って、久々のアローントコ、この数年ずっと好きな古本屋で、行くたびに何かしら買って帰ることになる、『ワイルド マウンテン』のセットを格安で手に入れたことや激安ジャケ買いレコードが当たりだったことや、そういう良い思い出があるからっていうのも理由だけど、とにかく気になる本の量がかなり多いってのが一番の理由、もっと頻繁に行くために
近くに越そうかと真剣に考えたことがあるくらいで、それは大学生の頃だったけれど、今でも時々思う。

 ぼんやりと思い付いて引用したものが、後になって調べると繋がっているとき、記憶のされ方とかその強弱とか覚えられなさを思うとげらげら笑けてくる、こたあないけど、おもしろい。
 それからその本を買って、びっくり読めなくて、こっちはげらげら笑けてくる、こたあないけど、やっぱりそうですよねって感じ。

 それにしても毎日6000字を超えていると、頭がぼわーっとして、冷めるまでまあまあ時間がかかる、痛快ドタバタハードボイルド!って感じを書いてる訳でもないのに、あちあちって具合で、ぽこぽこして、ぐらぐらしてくる。
 書く時間は3〜5時間の間を行き来していて、寝起きの「今日は調子悪そう」とかそういうのは外れているのか当たっているのか分からない。

 毎日4時から10時の間に起きて、その時間に関わらずきりきり痛むくらいの空腹のまま書き続け、合間に煙草を少々、カフェオレ大量を嗜み、あれこれと新しい音楽を探して聴きつつ、洗い物したり、うろうろ歩き回ったり、みんなすればいいのにって楽しさ、みんなってのは文字を書けるようになった頃から文字が書けなくなる頃までみんな。

 今回は何故かおとも本がない、代わりかちろちろと本が読めている、何も作用しない形で、してんだろうけど、ただ読書を満喫できているし、俺は結局自分の書いた文章しか読めないのではないか、と思い始めていたけれど、そんなことはなく、ないのかもしれないけれど、何冊かざくざくと読んでいる。
 毎日どうしてこんなにと思う空腹で午前中が埋まっている、ひもじい、みたいな思いはとうに越えて、どうしてこんなにお腹が空く必要があるんだ?と思い出している、だけど、いい具合に落ち着く量を食べると書けないため、書き終わるまでは、お腹空くなよと思い続けなくてはいけない。

 まじでさ、前の行からしても文法的にも何一つ間違いがないのに、それを書いたことによって止まる瞬間とか楽しすぎる、それを消して新しく書き始めると進む、なんで?、よく分からないことをし続ける以外何も楽しいことはないのかもしれない。

 久々にコーヒーをがっつり飲んでいるので、またハンドドリップ熱が起こっている、適当な粉でコーヒーメーカーからどぼどぼ飲む時期は一旦終わり、それ以前のネルドリップブームには戻らず、マキネッタとバンドドリップへ以降しそう、V60はもう何年も使ってきて、まだ使いこなせはしないけれど少し飽きているのでKONOか何これ?ってのを使いたい、し、豆を買いに行かなちゃならん。

 数日前に観た『Red』の夏帆さんのワンシーンの表情が頭に残っている、柄本佑さんは言わずもがな良いし、『渇き』とか『来る』とかの「あれ?普通じゃなくね?てか激やばじゃね?」って役が好きな妻夫木聡さんも良かった、なんとなく若い頃の演技が好きではなく、それから好きになった演技の種類が別だから特に印象になかったのだけど、当たり前に演技力というのも向上するんだ、と気付く、演技って初めから出来る人は出来て、そういう人はぐんぐん広がるか、ぎゅっと締まっていくイメージなんだけど、出来ない人はずっと出来ないもんだと思っていて、そうじゃない人の方が多いにしても、やはり途中でばばっと数段上に行く人はいるんだと、あらゆる物事でも同じことを改めて、目で見て思う。映画おもろ。

 石川直樹『極北へ』を読み終わり、こういったハードな旅や厳冬期の登山についての本を読む度に思う、俺は可能性としてほぼ無限にある俺の体を活かしてやれてないね、というのが強めに起こった。
 というか特別体の弱い人、意志の弱い人を除き、誰にでもどこまでも肉体を酷使することができるということに驚くよね、下手をすれば四肢を失うような寒さの中でリラックスすることも、あらゆる関節や全身の筋肉が軋んで言うことを聞かない場所で活動することも、進退の決定権を自身のみや誰かが握っているような時間で行動を続けることも、何もかも出来るのに、しないことを選んでいることがおかしなことに思えてくる。

 しかし、試しながら飲んでいるとカフェインによって体調がやばくなるね、と思うけれど、それは他に水分を取っていないからってだけな気もするし、実際考えてみるとそんなにカフェイン自体は取っていないかもしれない、豆も深煎りだし、そのまま飲むよりも牛乳で割って飲む方が多いし、意識的に水分を取らなくちゃ。

 今気分は、ある作家の全集の2巻と5巻だけを読みたい、何巻でもいいんだけど、全集を抜けのある状態で集めたい、集めたいってか、あと画集と写真集が数冊欲しいところ、恐ろしいくらい安いんだけどなかなか手が伸びないな、実際に見たいってのと小説やらを買いすぎているからなんだけど。
 それとここ数年で読んだ本をざーっと読み返したい、が、ここ最近買ってすぐの本しか読めない時期に入っている、それが新刊だとかどうとかは関係なく、欲しいなと思って買った日から読み始めないと、少しでも積まれると読めない、こういう不定期訪れるよく分かんない時期は何がそうさせてるんだろう。


3334字

 帰って来てから半月、完全に無為にしようと過ごして、そんなふうになって、11月になって1日から何やらそろそろと書き出した。
 15枚、4日で24000字、5日目は前日に友人としこたま遊んだからか全く書けず、休みということにした、で今日は6日間で一番早く15枚書き終わった。
 目が覚めたときの、あー起き上がるのめんどくせー、以上の気怠さがあるときは休んだ方がいいのかもしれない、実際のところ毎日かなりの早寝早起きだから、起き上がるのが面倒って以上のことが起こるはずもなく、起こるってことは変に疲れているってことだろうし。
 それにしても、またこれは何なのか分からないものが出てくるし、小説になっているのかも分からない、ただ無限に出てくる瞬間や、少し前の行が蓋をして出てこない時間や、まとめて書いてから何これ?となる塊や、その他諸々の感触、そこで過ぎていった時間や通り抜けていった時間が楽しくて仕方がない。

 久々に京都へ行って、懐かしい街を歩き、その変化や変わらなさを歩いて過ぎて行って、行ったことのないカフェであれこれと話し、豆だけを買って帰ったことのある店に入ってあれこれと話し、甘いものを食べたり夕食や昼食を食べたりした。
 こっちにいる頃にたまに行ってた古本屋でめぼしい本を探したり、フォークでタルトを切り崩したり、喫煙所のなさに途方に暮れたり、かなり真剣な話をしたり、の間に無数の冗談や、それにもならない下らないことを言って笑い続けて、俺はもう一生、こんなふうに時間を過ごしていたい、死なない程度に働いて、時間が許す限り、それ自体は無意味かもしれない、あとから意味付けられるかもしれない、虚しさのない楽しい時間を過ごしていたい。

 適当に再生するようにしていたら、10月の後半から毎日一本か二本は映画を観るようになったし、DVDやらを借りることや映画館からどんどん離れていく、途中で再生できなくなったりするのも嫌だし、大きな画面で観る、大きな音を聴く、その意味が自分にとって掴みかねる映画を観に行く、その前後に疲れてしまう。
 が、やっぱり映画館っていう特殊な空間で映画を浴びたくあり、何かこれは!ってものがないかな、あまりにこれは!だと、うるさい奴がいたりすることでげんなりぐったりげっそりがっかりするんだけど、それでも。
 ハリーポッター全作とファンタスティック・ビースト二作を一気に観て脳と目がざくざくしていた。
『おまけの夜』を見て気になった『CURE』と『カリスマ』と『回路』も良かったし、その良さは、どうしてこんな映画/小説を最後まで観れた/読めたのだろうといったタイプで、それはシーンの作り方や撮り方/語り口や文体、といった惹かれているもので支えられているようで楽しかった。
『博士の彼女のセオリー』のエディ・レッドメインの演技の凄まじさ、そのものにしか見えない演技というのは何を演じていることになるんだろう、映像で観ていられた。
『ザ・コンサルタント』と『ゾディアック』もおもしろかった、ベン・アフレックとジェイク・ギレンホールとマーク・ラファロ好きには堪らない映画だった。
 何故か観た『チャイルドプレイ チャッキーの種』も見るともなしに見るくらいの鑑賞方法で楽しめるし、昔見たことがあるような気もしないでもなく懐かしいような、そうでもないような。
『GOOD TIME』はロバート・パティンソン好きなら観た方がいいかもってくらいだけど楽しめた、『コズモポリス』が観たくなる。
『ピカチュウ』は映像のみを楽しむ映画、ポケモンたちのかわいさに、あ!〇〇だー!と騒がしく観るのにいい、色々粗末でびっくりしているうちに終わっていった。

 本を買う。
 やたらめったら買っている気がする。
 角田光代『曾根崎心中』
 乙川優三郎『ロゴスの市』
 佐藤正午『月の満ち欠け』
 吉本隆明『フランシス子へ』
 村上春樹、柴田元幸『翻訳夜話』
 千葉雅也『ツイッター哲学 別のしかたで』
 舟越保武『舟越保武全随筆集 巨岩と花びら ほか』
 村上春樹『バースデイ・ストーリーズ』『恋しくて』『国境の南、太陽の西』
 衛慧『上海ベイビー』
 アリス・マンロー『小説のよう』
 イム・キョンソン『村上春樹のせいで』
 カート・ヴォネガット『国のない男』『不運な女』
 そんでもそれぞれ、いちいち別の理由があって、一口に本、読書といってもあまりにも層がある。
 以下、その理由、のようなもの。

 角田光代『曾根崎心中』、元々好き・最近日本文学全集のいとうせいこう訳を読んだため。
 乙川優三郎『ロゴスの市』、久しぶりの古本屋で何も買わずに出るのはなあ・表紙がクール!・誰?・結構状態いいな。
 佐藤正午『月の満ち欠け』、文庫版で読んで好きだったから・すぐに読み返すわけではない・装画が良い・次にいつか読み返すときの選択肢の一つとして・単行本って好き!・佐渡島を思い出す。
 吉本隆明『フランシス子へ』、少し前にPodcastを聴いていた・なんでもいいから本という状態の吉本隆明さんを知りたい・久しぶりの古本屋で何も買わずに出るのはなあの後押しもある。
 村上春樹、柴田元幸『翻訳夜話』、「永遠に頭上に」が入っているから・入っておらず何故買ったのか分からなくなる・昔観た映画『Smoke』の原作が入ってたんだった!・それを読みたくてほしいものリストに入れられていたのだ。
 千葉雅也『ツイッター哲学 別のしかたで』、『デッドライン』と『欲望会議 「超」ポリコレ宣言』からの流れ。
 舟越保武『舟越保武全随筆集 巨岩と花びら ほか』、舟越桂さんの作品や言葉が好きなため・時々意識しないうちに名前を見かけることがある。
 村上春樹『バースデイ・ストーリーズ』、「永遠に頭上に」を読みたくて。『恋しくて』、遠くに淀み過ぎたブックオフを出る記念。『国境の南、太陽の西』、最近文庫版で読み返してかなり好きだった・単行本って好き!・なにこのださめの表紙?・まあ買っとくか。
 衛慧『上海ベイビー』、村上春樹チルドレンらしいとwikiで見かけたため・発禁?そんなに?・まあ買ってみるか。
 アリス・マンロー『小説のよう』、どうして買ったのか分からない。
 イム・キョンソン『村上春樹のせいで』、立ち読み・温かみのある文章でささっと読めるものを探していたため。
 カート・ヴォネガット『国のない男』、かっこいい!・かなり歩いて辿り着いた期待していたよりもしょうもない古本市で何も持たずに帰るのは悲しい。『不運な女』、あ!書いたのに出てきた本!・読まなきゃ!・藤本和子さんの訳だったら大丈夫だろう・なかなかクールなつくり!・かなり歩いて辿りついた期待していたよりもしょうもない古本市で何も持たずに帰るのは悲しい。

 どこかへ短い期間で泊まりたい気もするが、もう近くには何もない、としか思えない、からか散歩ばかりしている。同じ道を同じ速度で。

 消え失せていた漫画を読む欲が『呪術廻戦』をまとめて買ったことと『チェンソーマン』の新刊、『可愛そうにね、元気くん』の新刊、『それでも歩は寄せてくる』の新刊、『ぱンすと。』の新刊、『当て屋の椿』の新刊・『はこにわ虫』、『金剛寺さんは面倒臭い』の最終巻・『水は海に向かって流れる』の最終巻により復活した。
 五条悟(さん?)は子どもの頃に知ったら危なかっただろうし、マキマ(さん?)と八千緑(さん?)は今ですらぎゃっとなるために今で良かったろうし、とにかくきゅんきゅんするのは楽しいし、もう岡田和人さんの描く漫画なら何でもいいのかもしれないし、それで?となりつつも絵でずっと見ていられるし、森美術館で見た映像作品と同じくうっすらずっと恐ろしい空間が隣にあることを意識するようになるし、終始非常にハッピーな気分になるし、何となく流れていく日々の湿度と同じようなものが紙に描かれ印刷されそれでもまだあることの不思議さに触れられるし、漫画はどんな種類のストレスもなく開けて、それでいて深いコンテクストがあっておもしろいね!って気分。

 


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