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 起き抜けから立て続けに交信を行い、しばらくハマっているベトナムコーヒー、もどきかもしれない、を一杯つくって、それを飲みながらQuang Tranのチャンネルを流しながら、ベトナムコーヒーを飲みながら、交信を行い、塩っ気のあるつまめるものを探してみたけれどそんなものはなく、これを打ち始めて、ギターを取ってきてチューニングをした、空気が乾燥して良い音が鳴るようになっている。
 あからさまに本が読みづらくなっている、それで「あからさま」を調べてみると、一時的なさま、かりそめにも、と出てきて体感の正確さというか、体感と言葉の意味の一致の正確さに笑ってしまう、一時的なんだから焦るこたないさてなもんで、じゃあ本が読めなくなって何に向かうのかと考えてみると、それは分からず、それが分からないことに、その先に怯えている、焦っている、仕方ないのかなこれは、体にあらかじめ組み込まれたリズムのように、読めたり読めなかったり聴けたり聴けなかったり書けたり書けなかったり話せたり話せなかったり描けたり描けなかったり、ぼちぼち楽しいが、なかなか息苦しい。

 ライブをするたびに、お客さんがいようといなかろうと、調子が良かろうと悪かろうと、楽しかろうと楽しくなかろうと、一体こんなところで何をしているのかなと思ってしまうのは、音楽は、メロディは、声は、あまりに簡単に人のどこかの奥へ奥へ入っていくものだと感じているからで、その、人、というのはきっと自分のことで、でも、確かにそういうふうには思っていて、だから、一体なにをしているんだろうなと思ってしまう、それは適当にしているとか思ってもないことを歌詞にしているとか詰まらん曲やメロディだと思いながら演奏している訳ではなく、むしろ、他では聴いたことのないメロディで、なおかつ耳に残り、ヘンテコながら良い歌詞だと思っていて、そう思いながらというか、そう思っている日々の延長で演奏していて、楽しみながら気合を入れていて、だからこそ、一から十まで好きなことを不特定の人の前で披露することに、気持ち悪くなってしまう、それで一体なにをしてんだろうねと思う。それはきっと、何もかもつくった記憶がないからで、で、というかそれが一因で、ある種の自信や自負や完全に欠けていることは薄々ではなく感じていて、だから極端に言えば手柄を横取りしてそれを披露しているような気分を、こちらは薄々感じていて、それはカバー歌手を気持ち悪く思ってしまうことと通じているような気もしていて、それは今して、だからとにかくそのような、間違った行いを繰り返しているような気になってしまう。それでもライブは、そういったことを忘れてしまうほど気持ちが良く、あ、これこそか、もしかしたら唯一記憶のある、上記のようなことを考えていた己さえ忘れてしまうような快楽を感じていることで、一体こんなところで何してんだろうな、と思ってしまうのか、そうかもしれない、こんなはずじゃないというような体たらく、記憶はないだけでつくったのは、いや、録音したのは、書き留めたのは自分なのだから、意味不明な罪悪感にぎゃっとなる必要はなく、あるのは考える必要だけで、さてどうしよう。
 聴きたいものをバンドとして作れているのは大変良く、一言二言言わせていただくとすれば、君たち、もう少し個々人の技量や三人集まったなら集まったなりの音塊としての一致性を高めなさいということと、ずどーんといっちゃおうということで、ありがとうございます、普段みんなで考えてああだこうだと言ってるようなことを、こんなふうに言ってもらえるとほんと、励みになります、それに間違ってはないんだって、ある種の道しるべというか、なんというか、ありがとうございます。

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