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 家の近くに大きい円形の公園が欲しい。真ん中に湖か林かやばい岩があるタイプの。そこにいる人たちの姿が基本的に何かで見えづらい感じの。
 バトン部というのか、名前も分からない銀の棒を持って踊っている子が広場にいて、中高の頃にバトン部がなくて良かったなあ、と安堵した。必ずそこで、一番美しい動きをする人に惚れ込んでいただろうと思う、のは今だからかも知れないし、多分そうなんだけど、とにかく、体の伸びやかな動き、発散、発露といったものに、ここ二年くらい強く惹かれている。
 色んな鳥がいて、楽器を練習する人がいて、犬と歩く人がいて、何かの店が出ていて、活気と静けさが揃った広い空間で本を読みたい。もう本を読む集中力すら残されていない。家での静けさは頭の中の騒々しさと混じると具合を悪くして、十ページも読んでられない。ファミレスやファストフード店は候補外。散歩をするにも、もう歩き尽くした気になっている。住宅街は生気を吸い取るし、交通量の多い道路の横は歩いた気にならない。

 三、四年のあいだ、一冊も本読んでないんじゃねってくらい一時期に比べて少なくなった。何を読めばいいか分からない時間が増えている。積まれていく本だらけなのに、欲しい本は増えていくばかり。
 習慣をつくると、こんなに頻繁に更新しなくちゃいけないんだ、と気付く。生きているうち、意外と、がらっと変わるタイミングがたくさんあるのが、あと何万回あるんだよ全く、とうんざりする。あまりに呆気なく死ねることに、死んだ今でも素朴な驚きが残っている。最後の最後まで何か誰かに選ばれる魂でなかったことは、この際どうでもいい。不健全な魂は何処かへ還ることもできずに、ただ辺りを浮遊していることしかできない。体はないのに、軽い、と感じる。明るいのか暗いのかは分からない。黒くも白くもないし、風も特に吹いていない。何も見えないが、見えていないだけで見えているのかもしれない。何処で浮かんでいるのかも分からない。ただ死んだときに、お前は何処へも招かれていない、と言われただけで、そう言ったのが誰か、その言葉が正しいかどうか、何かを判断することはできない。だから俺はこれを書いてもいないし、書かれたことは書かれたことによって実現しなくなり、可能性としても現れない。あらゆる可能性を潰すこと。乾燥した土地の名産は大抵水に関係していて、彼らはそれに対して何の感慨もなく、日々の営みを続けている。初めは一人だったのに、今ではもう数え切れないほどに増えていて、ただもうその数に圧倒される。既に知っている物事は、蓄積された同じ響きを持つものと共鳴して体を揺さぶる。
 暑くも寒くもない部屋で、何も考えずにいられるようになるヘッドフォンみたいな機械を試したい。試運転に参加したい。ピュコピュコピュコピュコ鳴って、あとはもうただ目の前の景色が見えるだけ。がさがさした黄色の壁、横長の机とその上の長方形の機械、そこから伸びるコード、蛍光灯の光を反射する床。それらがうつるだけ。死んだあと無じゃなかったらまじでどうするよ?

 それについて何も訊ねていないのに、想像する時間もなく、こちらからすれば訳の分からないことを言ってくる奴に出会わないようにできるなら、幾らかお金を積んでもいいとさえ思う。
 ヒッチハイク中に一度だけ「甘えんなよ、自分で金貯めて旅行しろよ」と言われて、二秒固まってから笑けてきた。意見を求めてないことを言うなら「君たちがヒッチハイクで求めている人に会うにはねえ、〇〇へ行けば会えるよ」と教えて欲しい。好意に甘んじているのは確かで、それは、どう断ればいいか、どこまで受け取っていいか分からない俺が悪い。これでジュース/パンでも買って、とちょっとした現金を手渡そうとする人をがっかりさせないようにするには、それを受け取る以外ないと思ってしまっている。二回くらい断って受け取るのでもぎりぎり、その人の気持ち良さを損なっている気がしてしまう。完全に断ったあとどうなるのかが恐くて、甘えているってことなのか分からないけれど、甘えてしまう。甘えんなよ。降りるときに「ここまでありがとうございました。これ、気持ちですが」とお金を渡さないのは、高確率で断られるだろうと思っているのと、そういうのではなくね?と思っているか思ってないかくらいで思っているんだろう。予想と希望が混ざっているが、乗せてくださる方は金銭を受け取らないし、乗せない人は金銭を受け取る、と思っているのは意味分かんないけど、はなから「よっしゃ、全国津々浦々、タダ乗りするぞー!」なんてことを微塵も考えていないのも確かで、それは一回目の数台を除いて、その道中で出会える人の特殊さに気付き、それを求めていて、俺が期待している人は、俺たちからの金銭は望んでいない、とかなり強く思う。甘えんなよ。彼ら彼女らが何を本当に求めているのかは分からない、話し相手、話のネタ、自尊心の補修、補強、ごく純粋な好意、居眠り防止、気紛れ、気の迷い、確かなことは他の多くの物事と同じく全く分からない。そうそう!こんな人に会いたかった!と思う人は性別や歳と関係なく、多面的で、会話が自然に続いていき、説教はしないのに警告にも通ずる言葉をかけてくれ、何故か俺たちに「ありがとう」のような言葉を投げかけてくれ、名残り惜しくも素早く去っていき、どこかで繋がっているのに奇妙な形で独立している。ヒッチハイクを選ぶ理由としては、何度か書いている気がするけど、考えた末の行動も実際のところその後の流れにほとんど何も直接的には関与しない感じ、能動と受動の狭間にい続けられる、その運動こそが、彼ら彼女らを呼び込んでいるんじゃないかと思っているからで、それができれば本当は何でもいい。甘えんなよ。

 何年か前からぼんやり思っていることで、リストカットを知らない人は本当に自分の意思でリストカットするの?というのがあって、確認したところ2017年7月前後に思い始めた模様、それでそれは、流行るってことは本流があるわけで、リストカットを知らない人も本当に自分の意思でリストカットし始めた流れがあるからで、でもやっぱり、知らなかったらしなかったでしょうって人も、結構な量いるんじゃないとも思う、沢山の悪しき例、よく聞く話に飲み込まれてしまうのは、ある箇所を考え無しに慰撫してくれるけれど、そうしなかったら疼かなかった箇所が痛み始めるんじゃないか、でも、知らなかったらしてなさそうな人を知らないのにどうしてそんなふうに思っているのかは分からない。言葉で聞きすぎたからかな。本当に必要な人にかけられる言葉も持たないし、知らなかったらしてなさそうな人に対して言うことも何一つないから、どうでもいいっちゃどうでもいい。

 解決するのが目的でない、ただの疑問がいっぱいあって、研究並みに調べて答えを知りたいほどでもないけど、たまに思い出す。要らないセンテンスを取り出して捨てられたらなーと思う。答えを知るまでに得た知識は、答えを知ったあとにも残るし、そういう行動がなくても疑問文と、仮説があるし、とにかく文字がわらわら動き回っているのが鬱陶しい。
 書かなくても増えていくし、書いても増えていくし、あ、そうか、こめかみにSDカードを挿す機構をつくろう。
 そうすれば、考えたくなれば読み込めばいいし、考えたくなければ吸い出して離れられる。良かった良かった。でもそうすると、何を残しておけば外に置いた考え事を考え直そうと思えるのかを考えなくてはいけなくなるし、初めのうちはきっと化膿止めや痛み止めが必要だろうな。あれ、どれだっけ。二番だっけ。
ノートに書き留めてあるのを忘れてた。えっと、これこれ、ああ、八番だったか。
 そう、それで、食事作ることとそれを摂取することで起こる悲しさのようなもの、あれ、これじゃないな、俺は何を考えようとしてたっけ、そのために残しておいたことは何を思ってたっけ、どのノートだ?、一〇二番のカードか、よし、ええ、そうだ、知らなかったことでも、もしかすると記憶を掘り起こすことは出来ないけれど目にした程度のことも、起こり得るから、リストカットは起こるか、胡麻、百足は舌の上に置くと大人しくなって、しばらくすると体を硬直させて死ぬんだっけ、遊撃手、おかしい、頭が痛い、一旦抜いてブロワーで吹くか、接触が悪いっぽ、いな、う、雪、香、て、義兄、宝物、亡霊には自分の意思ではなれない、カモメと船はポテトチップスと夕陽で結ばれていて、肛門は9と関係して、い、か、屍、以上、蛍光色が映える色とシロい形の肉片、地雷、のう、こうてつ、やば、いやばい、医者、電話、け、g
た、おお、あぶねえ、セーフ、ギリギリ、あ、t

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