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 メタデータだっけ、『ドゥルーズ』『千のプラトー』と調べて出てくるのは勿論、『哲学』『哲学書』と調べて『ドゥルーズ』『千のプラトー』が出てくるような、メタタグというのか?、何年か前に聞いた話を思い出したが、詳しく、正しくは思い出せない。
 一目惚れというのは、ぱっと見たその姿からメタデータ的なものを知らず知らずに受信してるってことかな、何かに対しての直感もそうか、あらゆるものに対して、自動的な判断に沿っての行動ばかり取っている気がする。そのものからの一つめの情報を受け、そこにない言葉で検索して、またそのものに戻った場合のみ、それに興味を示すんだろうか。いや、でもそうじゃない場合もあるか。
 それは多分『sense8』のNetflix上での情報、観るまでに目にしたものが、特に好みでもそそられる訳でもなかったことから思い始めたのだろうか、ロゴとタイトル、あらすじ数文字、それらを見て「おっ、見てみようか」と思わず「・・・」くらいで、それでいて今の自分にとって結構大切な作品になったのは、俺の思考や嗜好ではない何かがその三つの要素に含まれている何かしらを見つけ出し、俺に鑑賞を促したのか。
 ピンとこないままでも、避けるでも退くでもなく、そこへ入っていくことを選ぶもの、見えない、聴こえない、触れない、かげない、それでいて、見える、聴こえる、触れられる、かげる、そこにそれらが含まれていて、だから分かる、でも分かる。
 全然良くないなーと思うものでも、恐ろしい数の人たちが支持するのは、マーケティングもあるだろうが、メタデータの数が膨大なんだろうか、その逆も、大したマーケティングもなく口コミやらで広まっていく、かなり長い間その作品自体は影にいたもの、けれど、含んだメタデータが莫大だからこそ広まったのか。
 繰り返されるモチーフは、その作家にとって最も多くを含んだものなのか、それは知識や経験の少なさを表すわけではない?、いっこも分からん。
 分解してまとめ直せば、同じような話ばかりの映画や小説も、作られ続けるということは多くの人が求めるものをたくさん含んだものがその形だからか、物語の原型、神話とか昔話とか。

 仲良い人が自分に似てくることがやけに気になるのは、幼い頃、母親のまわりに母親に似ていく人を見かけ、それを気持ち悪く思ったからか、気持ち悪く思う素地があるから、気持ち悪く思っていなかったとしても気になるようになったのかな。細かく分けたり辿っていったりすれば、究極的な天才以外、誰しもが近しい人をベースに誰かしらに似ているんだろうけど、そういったことに抗っていこうとする姿勢のない人に、うえっ、と思うのはどうしてか。同時多発的に類型とされる物語が生まれるように、人間は二十もない種類に分けられると思ってしまうのは、人間を互換性のある生き物だと、たまに、考えてしまうからか。
 俺は、ジャーゴンだらけの会話を、宝箱に入れたいくらい好きだけど、ジャーゴンを生んでいるのは八割俺じゃね?と思ってしまう、し、そんなふうに思ってしまうことがとても嫌で、でもマジでそうじゃね?、と思ってしまうのも嫌だし、そうすると会話や交流すら億劫になる、し、そういう視点はありきたりだけど、それで強く揺さぶられる人とそうでもない人が当然いて、俺は強く揺さぶられる、し、それは幼少期の母親やそのまわり、叔父やそのまわり、を見るぞ!ともなく見ていたことから来ているような気もするが、それが残る、残りやすいのは、いなくなった親父の精神の軟弱な部分を受け継いでいるからだと思い込もうとしているが、結局何一つとして確かなことが分からないし、分かったところでどうもしないし、でも何故そういったことが気にかかるのかが知りたい。
 真似されるというのは真似される側にも原因があって、人に何かをおすすめするのが好きなのは、単純にその作品の素晴らしさを伝えることで作者に何かが還元されるといい、と思っていることと、影響を及ぼしたいとかセンスを示したいとか、そういったきしょいもんがあるのかも知れない、そう思いながらしている訳ではないから、誰かにそう言われても「違うっす!」と言えるし言いたいが、知らないことを知っているときと同じように、意識していないどっかに全くないの?と聞かれると「知らねー」or「知らないから、ないとも言えない」としか言えない、から、人と何かを共有したい、とか、いいと思ったものを教えたい人に教えたい、とか、そういったもの、そういったものを支える何かしらが、混ざり混ざって、巡り巡って、真似する人を呼び寄せているのかもしれない。

 よく知らないが好きになれないというのが家族に対してあるが、他の人たちと比べて、よく知っている部分もよく知らない部分も、そのどちらも言語化できない、というのが割とくっきりある。
 非常に具体的な感謝や、物理的に、返しきれない恩や、ぼわっとしているが「じゃあ全く知らない人の耳の穴舐めれる?」と聞かれると「そんななら、まあ家族の方にするけど・・・」って具合な愛というのか、同族、同類としての繋がりは感じる、それでいて、大抵の人と長い時間をともにすると、不定期に訪れる暗い気分が、濃淡はあれど必ずやってくる、何故か。
 ありとあらゆる社会的、現実的な面で彼ら彼女らの遥かに下、地中で生きているが、そんな言葉を、暖かく優しいイメージを伴った言葉としての、子ども(孫)に言う!?!?!?というのがたくさんあるからか。
 他の人と比べて、自身より完全確実に上位である部分と、そんなふうに感じたくなかったですって感じの、胃が縮まって吐きそうになる部分が分かりやすい気がする、のは、単純に長いあいだ一緒に過ごした過去があるからか、でも俺は高校を辞める以前の記憶がほとんどない、両手で数えられるくらいしかないし、そのうちのいくつかはアルバムを見てあった気もする程度のものなのに。

 この調子でいくと俺は、死ぬまでに何一つ分からないのかもしれん。
 かなしい!

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