1350字

 ざっと推敲して3/11から二部を書き始める。初日は二時間に設定して3713字、寝不足と体調不良で参考にはならない、二日目は三時間で4859字、三日目は二時間半にしてみよう、煙草は7本ずつくらい。
 二日目だから当然と言えば当然なんだけど、全くよく分からないまま進んでいく。書いてるあいだ、一文字先も分からないのに、それが塊になったところで分かるはずもないけど、それでも、進んでいってる感覚と間違いではない感覚が強いせいか、どうして分からないのか疑問に思ってしまう。

 思い付いた展開、台詞、文章をそのまま書くと気持ちが悪くて、手直ししても違和感が残って消されていく、そうすると、明確な意思を持って、こう書くぞと書いた部分がなくなって、読み返すと楽しいし、書く行為そのものが楽しい。何がどう出てくるのか、今回いくつか、こういうこと(風景や物体)を書きたい、というのがあるけれど、この辺りででてくるかも、出てきて欲しい、と思っているが、出てくるのかも怪しい、出てきても思ったところではないかもしれないし、ぱっと見で分からないだけで、実は姿を変えた書きたかったことなのかもしれない。
 ただやはり、言いたいことや、風景や物体でない、善悪やその他、テーマ、命題、といった類の書きたいことは皆無で、人と話したり人の声を聞くのが好きなのと近しい感じで、自分とは別の仕方で運動している、その運動の集積を見たいがために書いているのかな、書いている最中にしかない手触りを求めてる、だから毎日の絵と同じく、結果的にそうなっていく(100000字なら100000字の塊)だけで、それを書き出すことが目的ではなくて、それを書き出すに至る書く行為が目的なのか、一つも分からないが、分からなさの自覚と姿はくっきりしているから、あれこれ考え続けられる。

 同じ水を飲んで育ってきたというのは、おもしろいし、それが食べ物でなくて、村や町の東西でなくて、水だと言うのが体感的に正しいと感じる。何かを発見し続けることが、死を遅らせる。
 動悸が治らなくて、明らかに体調を崩していても、気分が安定していると、死の影も予感も気配も何もない、体温が高くなると、風邪で寝込んでいるときに暗いことばっかり考えてしまうのと同じように脳が働く、人間の体温が一定に保たれているのは、また別の意味で死なないためかもしれないし、すくなくとも自身はそうなっている、極端に体が熱くなったり冷たくなったりすると、まず思考の結びつきが鈍くなって、感情や考えが単純化してくる、そういったときに死にたくなると後はもうそれのみで、平熱のときはそこから散り散りになって、別々の物が死ぬことに集まってくるけれど、高低どちらかのときはそれのみ、と当たり前のことを書くことしかできないし、当たり前のことは当たり前じゃないから書かなくてはいけないし、全く同じことを前にも書いた気がするけれど、前述の通り書かなくてはいけない。

 横書きのフリック打ちはだらだらと書き続けられるが、こんなふうに適当に書くのにはいいけれど、小説を書くときに使うと多分、推敲の際に半分以上消える。
 そういうものを、小説書きたい!書く!ってのの合間に書くのは、良し悪しは知らんが息抜きにはなる。

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