nikki一覧

2018.5/30

 勉強してこなかったツケが今になって重くのしかかってきている。けれど、試験をクリアすることやレポートを書くために必要なことであり、個人的な興味関心は少しもなく、身が入らない。
 本当に自分の記憶力の悪さに愕然とする。好きで何度も読み返した小説ですら、読み返すたびにこんなシーンあったっけ?となってしまう。その本を読んでいた環境やその前後の生活や読んでいて頭に浮かんだ映像なんかを記憶していて、文字群、情報としては何も頭に入っていない。
 花や建築を見て、その名前や設計者や歴史を調べたとしても、その花の香りや手触り「生き物みたいな建物だな。あの部分のあの色、めちゃいいな」みたいなことしか覚えていられない。単純に反復が足りないというのも大いにある。色んなことを覚えたい反面、そういった行為自体への熱が足りない。歴史を知ると、次そのものと触れ合ったときに、以前とは違った感触や気配を味わえるのだと思うし、実際にそういう経験もある。典拠主義的な文学作品を読んで「ははあ、なるほどなあ」と既にある知識をベースに、通常とは違った楽しみ方をできることも知っている。
 それなのに、やっぱりいまいち覚える行為に熱中することができない。というか、だいたい覚えているんだけど、引き出してこれなくて、覚えていないのと同じ。夢を見ていたけれど内容を思い出せないみたいに、覚えているんだけど引っ張りあげられない。

 でもよくよく考えてみると物覚えは良い方な気がする。外部に取っ掛かりが必要だけど、なんだかんだ大体覚えているのも事実で、じゃあ何で記憶力の悪さが気になるのかと考えると、今まで関わった人のほとんど、その人たちは記憶していることを忘れていて、その人たちが忘れていることを記憶していることが多々あるからかもしれない。

 自分自身に関しての8割くらい結局なにも悩んでいないせいで、じゃあ○、これは□、あれは△とかの結論を出せない。
 読むのも書くのも見るのもその瞬間にしかないので、こんな何を言いたいか分からない文章も、書いている間は意味や別の問題がしゅるっと入り込んできて「分かる」感じがする。


2018.5/29

 知識の量が尋常でない人と話すと、重たい鉄球が思い浮かぶ。それと同時に「この人が死んでしまった後、頭の中にあった知識や、それらが組み合わさって出来た新しい知識はどこへ行ってしまうんだろう。本など書かれているのかな。直系のお弟子さんなんかがいらっしゃるんだろうか。計り知れないとしか分からないような量の知識を持って、しかもこうも柔らかい笑顔で分かりやすく話してくれる人に、次はいつ出会えるのだろう」やらなんやら考えてしまってぐわんぐわんする。

 昨日今日と涼しいけれど、曇りで体が重たい。多分雨が降る。天気予報よりも体の方が反応が早い。どこにどう何分降るとかはアプリ頼み。ファミレスで17時間くらい話し込みたい。一生ファミレストークの渦に生きていたいけど、頭の芯が疲れて仕方ないから、たまにまとめて呆れるほど話したい。

https://wanderer-thought.work/index.php/category/painting/
 久々に絵をスキャンしてきた。


2018.5/28

 このごろ一人きりの時間が少なく、誰かといるときに自分自身のバランスを取るのが難しい。突然激昂するとか泣きだすとか、そんなのは無いけれど、ふっと聞く気や見る気が失せる。気付かれないように取り繕おうとすると、リカバリーにかかる時間が膨れ上がる。
 一日の中で考えると一人でいる時間の方が長いけれど、一人で行動しているだけでまわりには当然たくさんの人がいるので無意味に近い。ほとんど誰にも伝わらないだろう気遣いをしないで済む状態でないといけない。当然だと思っていることも、多くの人がそうでないのなら、ほとんど無駄な気遣いになり下がり、ただただ疲れる。
 山中や川の側や火を前に無になったり、ああでもないこうでもないと絵を描いたり、あちらではなくこちらが全く知らない人が歩いている街を散歩したり、本を読みながら煙草を吸ったり、そういった時間をきちんと取らなければならない。

 それでも、それとは別に毎日しっかり楽しい。そういうのを維持、向上していきたいと思えばこそ、一人きりの時間に上手く回復しなきゃなと軽く引き締まる。


2018.5/27

 昨夜はタイ料理を食べ、ぼーっとしていたら終電前で少し走った。ただでさえたっぷり充実した一日がきゅっと締まった気がして楽しい。
 小さい頃から通っているタイ料理屋なのだけど、食べたことのないものもまだまだあり、これからも楽しみなので潰れたりしないで欲しい。

 近い内に好きな店が閉まってしまう。毎月何十万も使うことはできないし、数万円でも難しいけれど、もっとお金を使っていればなあと思ってしまう。日頃から好きな店では出来る範囲でお金を使っていこうと思ってそうしているけれど、現実的には相当数の人がそうしていないと駄目で、ううっと唸ってしまう。

 外で久々にお米を食べてから、もう麺は嫌だーとなってしまって困っている。


2018.5/26

 長年の素朴な疑問「マジでみんな性自認あるの?/いつしたの?」っていうのがいまいち解決しない。自分自身に対して「男っぽいな・女っぽいな」と出来事のたび思うのでなくて一貫した性自認があるの?ということで、「みんな」ってのはもちろん性自認のある人全員ってことだけど。

 生物学的には男で、今まで交際した人は生物学上女だけれど、強く惹かれる人というのは「なんのかんの言って分かってくれるでしょ!?」と半分願いで書くとすると、「男顔の女」だし「女顔の男」である。
 染色体で異なる性別の子ども「XX」「XY」の二人を外界との接触を一切無くして育てたとしても、現在語られているような「男っぽさ・女っぽさ」というのが「XX」からは「男っぽさ30、女っぽさ70」、「XY」からは「男っぽさ70、女っぽさ30」というように発生するんじゃないかと思っている。揺るぎない性別性が何かなくちゃ今みたいなことになっていないだろうし、という漠然とし過ぎた実感の元「男顔の女」「女顔の男」と書いている。このもわんもわんした実感の上で書くので、完全な間違いがあれば教えていただきたい。

  強く惹かれるというのが単純なというか性的な事柄を省いた「好み」というわけでなく、性対象として見たとしても、どちらでもいいというのが、自分がどちらなのかよく分からなくなるポイントの一つ。
 小さい頃に言われた「女の子の名前みたい」とか「電話の声が女の子みたい」とか記憶にはない女装をアルバムで見たこととか力強い女の人がまわりにたくさんいたこととか、そういうなんやかやが、そういうのが記憶にヘンテコな残り方をしているというのもポイントの一つ。どちらもそんな気がするというだけ。

 別に分けなくていいし気にする必要は全くないのだけれど「絶対に有り得ない」という人がいることも知っているので、単なる興味関心という意味で気になっていて、ある程度解決したいと思い続けている。
 ただ割合としては生物学上の女に惹かれることの方が多いから、無意識に「男」という性自認が根底にはあるのかもしれない。

 こういう、自分自身はただの興味でしかない、気にされるということを知らなければ気にもしない、最早ネガティブな悩みでもない、でも社会的には繊細な問題とされていると知っているというのは変に重苦しく鬱陶しい。

  男っぽさ・女っぽさ・その他○○っぽさを、音楽や絵や映画や出来事や何やかやから感じて、それを生み出した人の性別がそれと一致しているとき、性別を知る前から既に気持ち悪くなっている。これは何が原因なんだろうか。シティポップ系バンドのドラマーが小さめでワンポイント変なワッペンが付いたキャップを被ってるとか、ぐじゅっとした関係性の漫画を女が書いてるとか、誰かの悩みを聞いていてその元凶が父親だとか、なんのかんの。

 とは言いつつも、性別を上手く利用して生きている人も格好いい。

 飽きたのでここまで。

 影の下テラス席で煙草を吸いながら、道行く人をぼんやり見ていると時間が止まっている感じがしてくる。深夜のファミレスみたいな話しをしていると、風が一層心地好く、ずっとこうしていたいけれど今すぐに帰りたくなる。

 


2018.5/25

 ここ数日、珍しく夢を覚えたまま目醒めている。目が完全に醒める少し前の、外の情報が入ってきつつまだ夢を見ているというのを知覚すると、目が醒めてから頭痛で苦しむ。
 昔は夢の中で動けたのに、今は見ているばかりでつまらない。以前まとめて日記を書いていたときには、夢のことも細かく残していて、そうすると夢を覚えている割合が高くなっていた。

 煙草は一人で考え事をしたいとき、親友や恋人と話すとき以外は吸わないことにしていて、気が付けば何ヶ月も吸ってないこともあり、もはや中毒というわけでもなく、不思議な立ち位置で日々を賑やかにしてくれている。火が好きなので、その延長物として煙草を捉えている気がしないでもない。煙が多ければ多いほど良し!と思っている節もある。手巻きであることも加味すると、一連の流れを儀式的に感じていて、そういうのを求めているみたい。

 色んなお客さんを見ていると、普段この人のまわりには一体どんな人がいるんだろうと、愛想が良いとか無愛想とかそういう次元でない、傍若無人な人があまりに多く、ずっと慣れない。


2018.5/24

  天候でこうも気分が変わるのかと毎度関心する。雨の前は偏頭痛と眠気でゆらゆらしている。晴れても陽の光でゆらゆらする。一昨年くらいから陽が強い日は日傘をさすようにしているけれど、視線がうざったい。気にすんなよなお互い。
 年中サングラスをしている。色んな光が偏頭痛を誘発するため、朝から晩までかけている。世界中の明度がもう少し下がってくれたらかけずに済むのにと思う。と同時に世界中の音量も下がって欲しい。どちらも主に人が生み出すもの。自然に発生する光や音や色の激しさなどは、こちらが対処すればいいと思えるけれど、必要ない蛍光灯とかアナウンスとか話し声とか、その辺りはぐぐっと下げて欲しい。もしくはいかなる時でもサングラスをかけてる人を誰もが見なくなって欲しい。栄えている街へ行くと、当たり前のように個人個人への関心度が低くなって居心地がいい。

 そろそろ家の中が窓を開け放しでいても暑くなってきた。毎日袋麺(味噌味)かパスタ(ナポリタン、ペペロンチーノ)を食べている。一ヶ月の内8割はそれを食べている。なんとなく味覚が衰えているような気がしている。家事の中で洗濯や食器洗いや掃除はまだ意味が分かるし、だいたい間違えないし、間違えたところで特に何も起きないので良い。食事は、作る時間より遥かに短い時間で食べ終わって謎の勿体なさを感じるし、食器を洗わないといけなくなるし、食べたくないときでも我慢すれば腹痛で苦しむので何かを無理やりにでも食べなくてはいけないし、食べたものによって健康が比較的長時間損なわれるし、じっと見ていると気味悪いし、作ってる最中に少しずつ満腹になっていくし、かといって空腹でないときに準備するのは面倒だし、こうして上げるとげんなりしてくる。毎日とくにこれが食べたい!というのが一番の問題だとは思う。

 ただやっぱり美味しいものをタイミングよく食べることは当然好きで、行き着いた答えはコックを雇うことなんだけど現実的ではないので、基本的には美味しく幸福な食事は外に任せるということになっている。家では動物性のものを摂らないようにしている。ヴィーガニズム的な観点からってのもあるけれど、手の届く範囲のお肉の質の悪さや食べた後の体の重さが主な原因で、となると野菜とか豆とか穀物を食べることになる。穀物はそのままで食べるとホームセンターの鳥コーナーの匂いが鼻を抜けて苦手で、野菜はすぐに空腹に戻るし、好きなのでたくさん食べたいけれど高いのであまり食べない。結果的に、豆の入ったカレー、極めて狭い範囲のシリアル、パスタ類、過度に安い袋麺に落ち着く。結局長い目で見て健康損なっていくじゃんって感じで悲しいな。カレーと具なしのたこ焼きとタコスもレギュラーメンバーである。

 今日はスタジオで練習。ドラムを叩いて豆ができ苛立っている。
 幼い頃からの親友に誕生日プレゼントとして手巻き煙草のセットを送り、メンバーで彼が巻いた煙草を吸って雑談していた。このような時間、短くも長い濃縮された時間があるからこそ日々生きていられる。


2018.5/23

 久々に日記を書くことにした。昔からとにかく苦手で、不定期にまとめて書くことはあれど、半年も保ったことがない。
 文章を書く練習がてら、今日からしばらく書いてみようと思う。人に伝える為ではなく、けれど見られているという感覚の中、自由に書く練習も兼ねて、一応SNSと結ぶ。

 今日は雨にうんざりしていた以外何もないので、昨日のことを書く。
 朝から夕方にかけて、デモ曲のデモみたいなのを2つ作って、小さな絵17枚・中くらいの絵2枚・中くらいの板絵1枚・中くらいのキャンバス1枚描いた。ここ数日の感触としては、中くらいの紙に描くのが良いみたい。少し前に毎日続けて板絵を描いていたけれど、飽きてしまった。小さな絵も、今の方法では飽きてしまった。
 とにかく何もかもに対して、同じようなことが続くと途端に飽きて手に付かなくなってしまう。作業化するでも、その方法で始めたばかりの良いクオリティのものを量産できるでも、何とか打開しようと決意するでも、何でもない。出来得る限り、その瞬間は無意味で、自分にとって新しい何かをし続けていたい。今年はほどほどにそれが実行できている、ような気がする。
 多くの人が「そういうもんさ」と特に疑問を持たずに行っていることへ敬意を持ちつつ、スタンダードになるだけの本質的な何かを含んでいるんだろうなと理解しつつ、それでも、なるべく自分でもよく分からないことをしていたい。何かは分からないけれど、こっちの方が心地好いということをしていたい。結果的にこれぞスタンダードというところへ到達するとしても、一旦は脇道へ逸れたい。

 1627kcalもあるFamily Martのかりんとうが美味しい。比較的毎日運動しているので、あまり気にならないけれど、糖分が恐ろしい。というかよく見かける角砂糖がピラミッド状に積まれた画像が頭に浮かんで、それが恐ろしい。
 近頃、あまり本が読めていない。読む気もなく、気になる作家や画家のインタビュー記事や対談記事なんかを『ほぼ日』アプリで読んでいる。同じ記事を毎日何度も読み返している。ということは縦書きの文字列を受け付けないのかも知れない、と今気が付いた。違うかもしんないけど。


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