2020.7/11-15

2020.7/11 ダイワリンクホテル会津田島
 鹿肉とか馬肉とかを食べ過ぎたようにお腹を壊している、意識的にタンパク質をたくさん摂っているからかな、やめとこ。

 喫煙所、手巻きが濃厚でしんどいためアメスピを買い、交互に吸いつつ『八本脚の蝶』、18:54。

 わりとずっと読みたくて、でもやめていた笹井宏之『えーんえんとくちから』を買った、短歌や詩をしゅるしゅる読んでしまうからといって読まないことはないよね、ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミン・コレクション〈③〉 記憶への旅』も併せて、来月はこの二冊と『色彩論』と『火を焚きなさい 〜」等々になるだろう。

 今欲しい香水は、
Comme des Garcons–Comme des Garcons 2
Santa Maria Novella−Tabacco Toscano
Santa Maria Novella–Peau d’Espagne
Maison Margiela–By the Fire Place
Maison Margiela–Funfair Evening
Maison Margiela–Jazz Club
Tow Ford – Oud Wood、で、Celesで全部ちょっとずつ買ってみるかーといった状態、わーい、一つでも、こりゃあ!ってのがあると嬉しい、コムデギャルソンはコンクリートも気になるけれど、『八本脚の蝶』に出てきて気になるこっち、ほか適当。

 特別に暗い心。

 何となく日記で一人称使いたくなくて、たまに出てくるときは何故か「自分」になっていたが今日から、ころころ変えて使ってみよう、1:42、目が覚めた。

 空腹。

 届いたばかりの唐揚げ弁当を買って戻る、二日続けて?、多分二日続けて、夜に起きて夜食的なものを食べて体に悪いことをしている気がする、あ、夜中に何か食べる罪悪感って体に対してなんだ!、なるほどね!、そのまま最早これが一番美味い気のする100円三本のみたらし団子を食べつつ『勧めのススメ』聴きつつコーヒー飲み、飲み。

 喘息の気配すらなく、前回はやっぱ部屋部屋のせいだったのかな。

 キリンジ『耳をうずめて』、KIRINJI?、友人に教えてもらってか聴き始めて一年くらいは経ったか、なんていい曲なんだろう、「“憂鬱は(まさにそう!)凪いだ情熱だ”」、まさにそういう曲でもあるように聴こえる、冒頭から「祈りにも似ていた恋人の名前も今は 遠い響きを残して消えたよ」なんだよ、こんな歌詞、素晴らし過ぎでしょう、メロディも声もセンチメンタルに響きそうなものを、そうはならず、ここでも「凪いだ情熱」的な、相反する、してそうな要素が見事に両立している、ような、そんなような、「僕ら音楽に愛されてる、」なんて!、あー!

 俺もあらゆるものに愛されているだろうか、本や音楽や絵や映画や散歩や写真や、何やかや、こちらが愛している形態に、向こうからも何かしらの反応があるだろうか。

 人が喜んでいたり楽しそうにしていると涙が出てくることがあるがそれは、そのあとなんだか嬉しくて、というような言葉に表されるが、本当にそうだったか、分からないけれど、違う気が。

 暗黙の了解的な様々な強制力から逃れる、真の強制力を発揮するのは物質的なものだと理解する、そのためには意識を変えて、意思を強く持たなくてはいけないが、易きに流れてはないけない、自棄になるとか、悲観するとか、慰みを求めるとか。

 眠いような、4:12。

 二階堂奥歯さんのいくつかの記述と『川上未映子:ことばのたましいを追い求めて』での永井均さんとの対談、は途中までだけど、それらを読んで、まず単純な「何かしらに惹かれる人には根本的に、繋がる要素や持ってるものと同じか、近似値をもったものがあるよな」と思いつつ、川上未映子さんも永井均さんも子がいるけれど、思いつつ、本当にもう、どうして、こんなに、子どもを産む、産ませる、もつ人が多いのか、まあまあ久しぶりに強く思い始める。
 あまりに大きな賭事で、しかも他者を巻き込む形での、実質的には何も賭けていない歪み方、というようなことをずっと思っていたのだけど、対談でも同じ言葉が出てきたため、『夏物語』を読んだ方がいいのかもしれない、とにかく、外的内的な幸福と、ほとんど全て内的な不幸とが常にあるために、反出生主義的な考え方へ導かれていったのだろうが、ペットを飼うことへの忌避的な態度にも現れているような、そういった、もうこれ以上どうしようもなく存在している自分自身は一旦おいて、そのどうしようもなく存在している自分自身が、他者の存在の成立へ関与することへの圧倒的な恐れと罪悪の気配を拭えずにいる。
 それは、産ませることはできる、誕生の発端には寄与できる自身の身体的な特性からも来ているのかもしれない、自分の子なのに産めないなんて、産もうと思ったのなら、欲しいと思ったのなら、俺だって産みたいよ、現段階でそれは叶わないとして、それがいつか叶うようになったとして、それでも根本は解決されはしないのだけど、意志のない者、物を、この世界、俺が生きているために存在するだけの世界と、他者が生きているために存在するだけの世界、それらが重なって浮かんでくる、浮かんでくるような世界に、選択肢もない者、物を現させることの何もかもが間違ったようなこの感覚はどういうことだろうか。
 もうどうしようもなくなったにも関わらず、外部からのどのような働きでも変化しない苦痛は、苦痛を、彼や彼女の中に備わっていたとして、中で膨らんでいくとして、本当に一つの責任も解消、解決する術も持てない俺たちが、その存在の発生に関わっていいはずがない、と浅はかなことを思う。
 確かに、愛する人との子を見てみたい、しばらく経って、見ていたい、感じていたいという気持ちがないわけでもなく、それは、同じようにして、途方もない時間をかけてその人として現れたその人と、その人と一応の結び付きをもてた俺という、途方もない時間をかけて俺として現れた俺の、その混合物としての子への魅力というのは計り知れない、でもそれはまだここにない言葉や音楽や本や、そういったものの求心力と同質のもので、でも、それが存在した途端に起こる種々の問題の数は眩むほど違うんじゃないかと、そんなふうに思える。
 赤ちゃんってめちゃ愛らしいし、みんなどんどん産んじゃってーとは思うけど、俺は、俺らで最後にしようや!ってマインド。

 それで、何度か聴こうとして無理だったRadioheadの『Kid A』が聴けるようになった、「Everything in the Its Right Place」のイントロの声が入ってくるまでのところ、何かのドラマか映画かで聴いたことがあるような気がするけどなんだっけ、有名過ぎるからそれすらも定かでないけど。
 それと、十回もトライせず諦めていたBjörkが、今のところ『Post』の「Army of Me」が聴けるようになり、大音量で聴き続ける、誰かサンプリングしてラップのせたりしてないのかな、ってかそもそも?、そんな感じもする、聴いたことあるような、でも『Army of Me』の気配を帯びたのを聴きたい!、かっこよすぎじゃね?、あ、Led Zeppelinか!、Apple Musicで『サンプリング:”When the Leaves Breaks”』を発見、Björkもあるじゃん、やったー!、でもBjörkが一番好きかも。
 それから、ちょび昔のブラックミュージックが聴きたくなり、数年前にYouTubeで玉置浩二さんを検索していて見つけた『さかいゆう 歌が上手いって本当はどういうこと?』ってのから聴き始めたDonny Hathawayの『Live』をひっさびさに、一年ぶりくらい?、に聴き、最高さに汗だく。低音がーめぇちゃ好ぅき、待ちわびたーベースの日!って感じ!、Marvin Gayeよりもこっちのが好きなのはライブだからかな。

 このあたり、『十階-短歌日記2007』『青卵』『春原さんのリコーダー』『しびれる短歌』『ゆめのほとり鳥』『夜にあやまってくれ』『風もかなひぬ』、が気になる。

 元気になってくると持ち金を全部使ってしまいそうになる、し、それ以上にある気がしてくる。

 言葉が入ってきて、そこで起こる光景に見覚えのある、かいだ覚えのある匂いが立って、いつだったかに聞こえた鳥の鳴き声や葉の擦れる波音、羽ばたき、薄れていく樹木たちの色彩、その湿った、締まった樹皮の、手の甲に残った感覚、あらかじめ用意されていたように引っ付いて、片足の裏と体の側面で四十度で保たれる体、からだ、伊藤悠子『傘の眠り』、言葉の新しい作用がとても心地好く、時折ぞくくくっと、『風もかなひぬ』読みたいな。

2020.7/12 ダイワリンクホテル会津田島
 眠い、1:02、21時ちょっと前に寝たから雨のせいかな。

 塩焼きそばを買いに行く、2時過ぎ、うまめ、久々に『レモンキャンディ』を聴く、不思議と今のところほぼ、誰かと一緒に作ってる曲しか聴けない。『やさしい気持ち』はあまりに名曲で、聴くたびに「まじかよ」と思うよね、僕の中でこの声はかなり悲しく響く、や、悲しいように響く切実な何かの発露としての?、だからかどうか、演奏との絡み合いで異様なほどの多幸感に包まれるものしか聴けない、ということかも。だから『Tiny Dancer』もめちゃ好きだし、それはでもMVの満島ひかりさんの麗しさのせいかもしれん、が、とにかくめちゃ好きで、『レモンキャンディ』もたまらなく好き。
 笑っちゃうくらい、岡村ちゃん!、ってなるところがたくさんあって、ちらちら踊っている姿が見えてくる、で、今歌詞を引用としたが無理だった、これ紙面で縦書きで読みたい、え、すげー!、詩だ!、わー!

 それから当然、岡村靖幸『Vegetable』、「料理」そんなに力込めて歌う?、何十回も聴いてるのにいつのまにかにこにこしている、高校の頃に友人に教えてもらってからずっと聴いてると考えるとなかなか、嬉しいな、『どぉなっちゃんてんだよ』をテレビか何かで披露してる映像とか、気持ち悪さとかっこよさが完全に両立してて凄かったなー、若い頃の『家庭教師』のライブ映像もやばいし、おすすめできないくらい気持ち悪くて、慣れてくると爆笑できて、それを過ぎると怖くなってきて、また気持ち悪さに目が行く、その間ずっと、カッケー!うわ!何そのメロ!歌詞!、急にそんなの泣いちゃうじゃん!、ってのがあって、いそがしい、多くの曲がそうで、何度逮捕されようと何度でも戻ってきて欲しい。
 ってか薬物を摂取して、それを起点に別の犯罪へ進んでいかなければ、大変、非常に何てことないよね、一体僕らがどんな事態を被るんだ?

 いちいち喫煙所に降りる些細なストレスがちょっとずつ積まれてきたのか、一度吸いに行くと大量に吸って戻るか、一桁台で一日を終えるか、極端になってしまう。

 ずっと部屋にいるのが嫌で、それは家でもそうで、というか、ひとところに長くいるのが嫌で、だんだんそこで何もできなくなっていく、そうすると音楽を聴くために外へ行くとか、読んでる本も読みたい本も手元にあるのに買いに出たり、もう帰りたいのに歩き続けたり、余計なことをたくさんしていく、とにかく一箇所に長くとどまっていないことが健康の秘訣っぽい。

 というわけで朝長風呂、3:57、眠、?、本読み、井坂洋子『嵐の前』、詩ってめっちゃいいんだ、今まで避けていたのは、間違いではないが間違いだった。
 ってか一行で、長編小説の数行分の景色が見れるのに、どうして今まで読んでこなかった?って気分になり始める、しゅるしゅる読まずに二行三行読んで閉じる、二行三行読んで閉じる、を繰り返せばいいのかもしれん。

 喫煙所、16:06、眠気と空腹、コーヒーにクッキーやらチョコクリスプやらクッキーやらを浸して食べるのにはまってしまった、美味しいのかな?これは。

 そうして、リオンドールのレシートを手に入れるべく向かう、お弁当、美味しくない、飴玉で白ご飯を食べている気持ち。

 眠気が一旦極まる19:49、まだ早いまだ早い。

 それで、
 大木潤子『石の花』
 大木潤子『有性無生殖』
 伊藤悠子『風もかなひぬ』
 井坂洋子『詩の目詩の耳』
 九螺ささら『ゆめのほとり鳥』
 東直子『十階-短歌日記2007』
 東直子、穂村弘『しびれる短歌』
 山崎聡子『手のひらの花火 山崎聡子歌集』、を読みたくなってきている、来月、というか帰ってから来月末にかけて、どうしようかな。

 二年くらい言い続けているような、課題図書を決めて一緒に読もうぜ、ってのがあり、それが『重力の虹』になりそうな、そうなると上記の八冊とのバランスは非常に良いような、ただ、肩と腰から下が壊れるような。

 というか持ってきたの早く読めよ。

2020.7/13 ダイワリンクホテル会津田島
 ホテルの朝食を食べずに、おにぎり食べたりバナナ食べたりする日が続き、良い感じ。

 うっすら頭痛、偏頭痛の前触れかと思ったが、そこは免れた。

「そりゃあ、仕方ないよ、そういうもんだから、笑」と言う彼は、私よりも確実に大人というものに近いのかもしれないが、いつか自身の問いに私自身が答えられる日が来るとして、より大人に近付けるのかもしれない、だけど彼だって、態度から推測できないだけで、そういったものに答えてそこまで来たのかもしれない、ならなきゃって思ってるだけで、なりたくはないか、だって他の同じようなことにその言葉を当てはめないじゃん、そりゃそうだけど。

 遅めに寝て、早めに起き、また寝れた、ラッキー!

 朝も昼もほとんどまともに食べていないのに痩せ細っていかないところを見るに、三食きっちり食べると太るんだろうか、ちょびちょび夜食で不正確だけど。
 そんな今日はまたラーメンを食べたくなっている、排骨ラーメン!、排骨とスープを単体で味わうとないのに、相乗効果なのかそれそのものがなのか、麺をすすったときに鼻を抜けていく炭火焼料理みたいな香ばしさを感じに行きたい。

 腕とか足とかをどこかにごつんとぶつけると、どうして吐き気があるんだろう、痛みと吐き気を勘違いしてんのかな、でも痛みも痛みとしてあるし。

 それで、『High Hopes』を和訳見つつ聴き、ぼろぼろ涙が出てきた、ユーリー!って感じ。

 言外の意味や行間を読むことを強要する人を信頼できない、指差したり、手渡したり、「おっ、おっ、おお、おおお!」とか発したり、そういうことで通じない物事を伝えるために言葉があるんじゃないのって思うから、読むのは勝手だけど、読まれることを前提にしたコミュニケーションは怠慢じゃない?

 そうして今思い出されるのは、お母さんのボーイフレンドたちのことで、あれは、彼らは、彼氏とか恋人とか男友達とか、そんなじゃなくてやっぱりボーイフレンドって感じがする、彼らは元気にしてるだろうか、私たちは元気です。

2020.7/14 ダイワリンクホテル会津田島
 ちょい遅めに寝たおかげか、何度か起きつつも朝まで寝れた、嬉しい、と思ったけれど雨か。

 昨日は結局、排骨ラーメンを楽しんだため、今日明日の夕ご飯はサラダチキンと稲荷寿司、無調整豆乳とポテトとコーラ、という感じになるでしょう。

 一日中ほとんど何も食べずにラーメンだったからか、お腹が。

 合計でしばらく眠れたはずなのに、眠気が押し寄せてくる。どんどん流されていって首がかくんかくんして、若干の頭痛。

 というわけで、『風もかなひぬ』『手のひらの花火 〜』『詩の目詩の耳』を注文、あ、あと『有性無生殖』も。
 オーブンも届いたそうなので、香水を買えばもう特にこれといって欲しいものも必要なものもないか。
 コーヒー買いに行こう。

 久々にまっとうなコーヒーを飲んだ気がする、CAFE JI MAMA、やっぱ買っちゃうよースコーン、音楽を聴いていたいためにぐるっと歩いて戻る。

 一日の大半をサングラスをかけて過ごしていて、綺麗な光や景色に出会ったとき、外して見てみるとそれほどでもないのは、良い具合に光量が抑えられたり、暗部がきりっと立ち上がっているからなのか、この眼球がもうサングラスをかけているのが常態だと思っているのかな。

 的外れなことばっかりしてるなー、と思うのはやはり、自分本位で動いているからだろうね、あれこれ思っているときは、こうしたらあの人はこうだろうか、それともああだろうか、とかうじゃうじゃしているのに、最後の最後は、いやいや、結局人のことなんて一つも分かんないじゃん!、その人に触れ合った自身がその人のためを思ってすることが悪いことなんかあるか?、ためというよりも、そうしたいんだけど、それは取り返しのつかないことには決してならないんじゃないか?、よしっ!、と思い込んでしてるからだろうな、でもじゃあ、どうすりゃいいのか。
 案外すぐに取り返しのつかないことになるけれど、少しでもその人のことを思い続けて、その結果としての悪い方に転んだそれは、取り返しのつく範囲に収まるもんだろうと思っているのは、その人に甘えてしまっているんだろうか。
 そんなことよりも、したいときにしたいことをしたいだけ人にするのをよした方がいいね、タイミングによっては、して欲しいときにしたくなくて、なんだこいつ?って思われそうだし、いつもあんなことやこんなことする、してくれるのに、今これしてくれないの?なんで?って、やっぱ、葉叢の影や洞穴で一生を終えるほかないのかもしれない。

 というふうに気付いた、というように見えた、等々以外なにがある?って感じ、一つとして正確には分からない、それの何がいけないのかと思うと、一人でいる分には何一つ問題ない。

 ねみー!

 長風呂、本。

2020.7/15 ダイワリンクホテル会津田島
 お腹が空いたのでコンビニ、ならラーメンとか食べとけ、YouTubeの広告で流れていた曲、MARINA『To Be Human』聴きつつ、フルも気持ちいい。

 いま死んだら、少ない残金と来月入るお金とパソコンとかオーブンとかそういった電化製品は恋人にあげよう、服は何でもいい、絵もどうにもでもなればいい、じゃあ、本はどうしようと思うと、途端にどうすればいいか分からなくなる、弟二人か?、好きな古本屋をまわるか?、今まで読んだ数少ない本たちを残そうと思う人が身近にいないのは、今まで読んだ数少ない本たちの働きであるようにも思えてくるが、そんなことはなく、『八本脚の蝶』を読んだから、読んでいるからそんなことを思うんだろうけど、いつか、それまでの本たちを読んできた意味を、理解させる人や物に出会うのかもしれない、それまでは生きていても罰はあたらないのではないだろうか、どうか。
 ぬいぐるみたちは、生きているために、本とは違った意味でどうすればいいのか分からない。

 それと、誰かが死んだあとの、死んでから起こった感情を、俺は、乗り越えたくない。
 それを糧として生きていたくない、意味や解釈を与えて、それらを歪めたくない。
 いつまでも初めのままでいたい、膨張していくままに苛まれていたい。
 死者を死者として捉えたまま、死んでいない者として感じていたい。
 それは、思い出として、頭の中で、生きているということでは決してない。全く異なった生命活動。

 結局のところ、私は、私が第一義でないと、つまらなくなって、どうしようもなくなってしまう。
 小さい頃、習い事先で私を見てくれない先生の前で泣いていたことを、ふと思い出す、それから、その前から今までずっとそうなのだということは、目立ったり褒められたりすることへの嫌悪感と両立していて、だから私は、ただ見ていて欲しい、認めないで欲しい、救わないで欲しい、助けないで欲しい、癒さないで欲しい、慰めないで欲しい、手を取らないで欲しい、何も言わないで欲しい、何もしないで欲しい、ただ見ていて欲しい。

 子連れの猪、ウリボーは右に逃げ、親は左へ、その道。
 何も見えない左側から低い、音が振動だと分かるような声が響く、何か切り替わるように、何か注がれるように、頭が冴える、体の輪郭が膨らんで。
 宿に戻ってから、急に強烈な眠気が、分泌された何かに慣れたか、切れたか。

 朝から煙草が美味しくない。

 生きてる場合じゃなくね?

 和風パスタとスパイシーチキンを食べる、うまー、夜食としてのパスタってめちゃちょうどいいよね、もちろん量によるんだけど、コンビニの大盛りじゃないサイズのなら、満腹過ぎずとってもいい、が、スパイシーチキンを食べたことにより駄目駄目。

 あと16と17、3:26でもう今日は終わった気がしてるけど、まあ15もか、あと三泊、16と17は別の宿へ。
 宿に着いてすぐに、荷物をほとんど全部出して並べるから、連泊はその状態が長く続いて嬉しい、が、一箇所にずっといることを思い始めるとぐるぐるして連泊酔いに陥る、三泊か四泊くらいが上限か、それを各地で繰り返していたい、帰りてーと思いつつも。

 たぶんこれから寝るから、あと四回眠ればお家に帰れるー、なんとうれしーことか、やったー。

 旅は精神にはいいが、身体には悪い。

 これをしたらこういうことしてくれるかも、みたいなことを思って何かすることって滅多にないけれど、これをしてくれたことがあるからこうしよう、みたいなのを思って何かすることが多くて悲しくなってくる。
 これをしたらこういうことをしてくれるかも、と思ってしまうかもしれないことを初めからしないってのも良くない。

 一見して些細なことにも思える他人からの行いを、よく考えたらそれめちゃ優しくね?、1だと思ってたけどこりゃあ5だな、俺も5回優しさや思いやりを元に何かしなくちゃな、って、よく分かんない数に変換してから、やっと腰を上げる。
 色んなことを意識しないと出来ないのはいつまで続くんだろうか。
 だから、何か嬉しい言葉をもらって、ああ、私はこの人にこれから20回は優しくしなきゃ、いや、そうしたい、あれあれ、20回終わったけど、改めて思うとあれは52回分だったな、あと32回だ、あれあれ、というふうになる。
 俺が人に向ける唐突な優しさは、ほとんど全部お返しの形で、本当に下らん人間になったもんだと、あらゆるものに謝りたくなる、本たちや映画たちや景色たちや音楽たちや絵たちや、関わった全部、すみません。

 この人との思い出は、濃度に関わらず一桁に収まる程度でいいやって人との時間はなるべく減らしたい。

 人との関わり方も、同じ本を何度も読むようにしていきたいもんだね。

 前回に比べると何倍も眠れているような、とってもいいこと、健康そのもの、嘘。

 帰ったらしばらく外に出ないでぼんやりしたい。

 寝れないといっぱい書いちゃうな。

 喫煙所、7:46、行きの新幹線のおかげでプレイリストをいい具合に聴けている、合間合間に別のも聴きつつ、煙草はちょっと美味しい。

 南会津ではほとんど毎日雨が降っています。朝から昼まで、昼から夕方まで、夜から夜明けから朝まで、大抵一日中降っています。

 みたらし団子熱が再興。

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