食べ終えるまで、どうあればバーベキューで、なんならそうじゃないのかを口々に、みんなにやけていたから誰一人-当然だけど-真剣には考えていない。
鍋やホットプレートを囲んで食事を摂っているときにも起こったことだから、多分そうやって一つの器、と言っていいのか、そこからそれぞれの小皿へ、口へ、と。その隙間を縫って結びつけるみたいに、くだらない会話が続いていく。そういう話をしたい気分になりやすい。
というか、そういう会話をしたい気分の日に限って、何かを囲んで食事を摂る。というより、そういった会話が広がっていった過去のいくつもの食事から、任意で、その日の夕食なり朝食なり昼食なりが欲望されていく。
食後に薄いアイスコーヒーを二つ、重いホットを二つ淹れる。
クスノキ以外の三人でソファに収まり、彼は煙草を吸いつつ燃え殻を眺めていた。
その日の夜は短い。
みんなペンコに揺さぶられて目を覚まし、昼までに家を出た。
いつぶりかの東京駅だ、混雑した構内をきびきび歩き、改札を抜けてから駅弁や飲み物を調達する。
私とあたるちゃんは眠たいまま、それには明確に理由があった、元気そうなクスノキとペンコへついていった。
四人中三人が幕の内弁当で、クスノキは稲荷寿司と缶ビールを選んでいた。
彼は二人がけのシートに座っていて、その隣は同じような図体の、しかしスーツを着た男だった。
通路側から私、あたるちゃん、ペンコの順で腰掛け、新横浜辺りでもう飽きていた。
「耳気持ち悪い」と言ってからペンコは黙っていて、私とクスノキもしょっちゅう煙草を吸いに立った。
京都へ差し掛かり、その少し前からクスノキは隣の男と何かを話している。
笑い声や各会話の第一声だけが聞き取れたが、新幹線の隣り合った初対面でそんな声量の会話をするだろうか?
やけに静かだ。
ペンコはどこかから眠っていて、私とあたるちゃんは集中しきれないまま本を読んでいた。
誰かに朗読してもらえれば、もう少しは意味が結びつきそうだ。
車内販売のカートからポッキーとコーヒーを買って、それからあたるちゃんへ声をかける。
「あ、じゃあ私もコーヒー」
「もうひとつお願いします」とテーブルの上のカップを指さした。
クスノキ、たちと言う方が正しいか、彼らはつまみと缶ビールを買い足して、それから先も何かぶつぶつと盛り上がっていた。
私には、新神戸を過ぎてからの記憶がない。
岡山駅を出る頃にはもう日が暮れかかっていた。
クスノキ以外の三人はホームで体を伸ばし、ペンコのあとを歩いていく。
想像していたよりも大きな駅で、しかし簡潔に外へ出られた。
さっきまで東口に進んでいたはずなのに、というようなことは起きない。
駅前はがらんとした広場で、空間に対して人が足りていなかった。
「こっちですよ」と、おそらくホテルへと促すあたるちゃんと、その真反対へ進もうとするペンコ。
私はもう一度体を伸ばし、小さなザックを背負い直す。
桃太郎通りへ渡り、なかばペンコを追いかけるように歩く。
きょろきょろしてしまうけれど、特に目を引くものはなかった。
全てが初めて見るのに真新しくない。
どことなく不安定な町に見えた。円錐の底面、その裏にあるような、とまではいかないまでも、足を動かすたびにぐらつくみたいだ。
ペンコとあたるちゃんは体まで軽くなったように楽しそうに歩いている。
クスノキはいつも通りだ。
彼が動じる場面や時、土地はどこかにあるのだろうか。
私たちは改札を抜けてから無言だった。
その心地好さは、朝から昼へかける室内でそれぞれが好きに過ごしている時間と似ていた。
細く、長そうな川を右折する。
あたるちゃんはいつ地図を覚えたんだろう。
いつからか彼女が先を歩いている。
またどこかで右へ折れ、ぽちゃっとした新しいホテルへ着いた。
ペンコはほとんど小走りでロビーへ。
効き過ぎた暖房が蒸し暑く感じさせた。
フロントの男はあくびを噛み、各自住所や名前を書き込んでいく。
二部屋取ってあって、私はペンコと同室になった。
五階でエレベーターを降り、508と509に分かれる。
「夜ご飯までどうする?」
「私は耳まだ気持ち悪いから休むー」
「俺も」「俺は耳あれだけど、飲み過ぎた」
「じゃ、私も、部屋にいます」
「おっけー、私はちょっと出てくるね」
荷物を置いてわりとすぐ、私は鍵を持たずに外へ出た。
進んだ道を戻り、岡山駅へ入る。
地下の狭苦しい商店街をとろとろ歩きながら夕食のことを考えた。
まだ胃袋が私に追いついていないのだろう。
何も思い付かない。
目についた店で甘いものを、と適当に歩き続けていた。
狭い店内、というかほとんど通路に開け放たれた店で、冷たくて甘いスイーツを食べる。
薄茶色でしゃばしゃばした蜜にかき氷みたいなのが浮いていた。
噛めば甘いもちもちした何かがあり、枸杞の実?、もぱらついている。
自由にタンクから注げる烏龍茶も美味しかったし、また食べてみたくて名前を覚えたのだけど失念してしまった。
難なく地上へ出、川沿いの道まで戻る。
ウッドデッキを見つけたので降りていって、ぼんやり流れを眺めた。
煙草をくわえ、しゃがみ込む。
指先が川面へ触れた。
いくつも水流があることは分かるのだけど、これほどまでに分裂しているものか。
力を抜いた指の先が不規則に弾かれていく。
濡れた手でライターを探って火をつけ、川の中へ戻す。
五分かそこらだ、煙草が消えてから立ち上がったからそのはずだ。
軽く二十分は経ったみたいだった。
少ない階段を上がってアスファルトへ立つ。
方向感覚の強固な人へついて歩いていたからか、細かな道順が思い出せない。
そのウッドデッキを起点に、見える範囲の小道すべてへ歩み入る。
三つ目に正解を選び、宿へ帰り着いた。
ロビーはまだ蒸し暑く、フロントでは恐らく続きのあくびを噛んでいる。
六階で降り、数歩進んで間違いに気付く、階段で五階へ降りた。
鍵がないと内廊下へは入れないようだ。
少しのあいだ食い下がってみるが、破壊するか向こうから開けてもらう以外にない。もしくは上下のどこかから解錠音を聞きつけるしかない。
連絡するのも不躾な気がして、一階まで降りていく。
エレベーターに乗って五階へ、509の扉をノックした。
あたるちゃんが出て、あれ、とお互いに声を出す。
短い廊下の奥、ベッドの端にクスノキが座っていた。
私は508だったか。
おそらく岡山でしか見られないテレビ番組が流れている。
クスノキは私へ目を向け「よお」と、声を出さずに言った。
「間違った」と言うのもなんだし、「体調とかどう?」と、どちらにも向ける。
「私、は全然、大丈夫です」
「俺も、もう行ける」
「おっけ」と、体をずらして508をノック、ペンコは扉の前にいたように現れた。
すぐに509の扉に気付き、あれ、と、「もう出るの?」と続けた。
「や、二人ともあれ、体調どうかなって」
「そう、で?」
「まあ、いつでも出れるらしい」
「じゃあ、三十分後!」と、私の袖を掴んで引き入れる。
そのままの勢いで固いベッドへ倒れ込み、ほどけて天井を見上げた。
「耳どう?」
「だいぶまし」「耳鳴りもないし、酔ったみたいなのもない」
ペンコは足をぱたぱたと、少し遅れてスプリングが揺れる。
私はむしろこの方が酔いそうだった。
「何してた?」
「特に」「駅の方まで行って、地下街?、みたいなとこでよく分かんない甘いの食べた」
「ずるっ」
「ずるくはない」
「旅行、っていうか、長い距離移動するとむらむらしない?」
「何が?」
「うーん、性欲と焦りみたいなの」
「だから三十分?」
「どうでしょう?」と言って私に跨り、どうでしょう?の顔のまま固まって黙った。
「私、私はー、寂しいのと、性欲も言われたらそうかもって感じ、かな」
「寂しい?」「そんなに家好きなの?」
「それもあるかもしれないけど、もうここが懐かしい気がして」「宇和島も、ささらも」
「まだだよ」
体を倒してずるずると、ベルトを外す音が部屋に鳴った。
準備できてるじゃん、と言われて顔を起こし、「確かに」と返事する。
確かに、性欲と思えるものはいつもより湧き上がっていた。
彼女がコンドームを持ってきていたから良かったものの、もしどちらも持っていなければどうしたのか、私は途中からもう声以外何も我慢できなくなっていた。
それにしても一箱は多いだろう。
ペンコはほとんどいつも通りに声を出していたし、509はまだしも、507の人はいるのだろうか。
慣れないベッドで動きづらいし、あれこれと、もう思ってみても意味のないことが去来するのに、きっかり三十分以内に全部が終わった。
裸のまま天井を見上げて息を整えたのは最後の五分ほどで、その中で着替えも済んだ。
「ね?」と言って起き上がり、逆再生したみたいに着込んでいく。
私はマフラーを、ペンコは手袋を、不必要にも思える防寒具の仕上げに選んでいた。
先月だったかに彼女に似合いそうな-腕が細くて長いから-ぽってりした、遠目にはミトン型にも見える手袋をあげた。
秋から冬にかけていつも着ているような、だから深い緑色と薄い辛子色、の前者、しかし私はまだ彼女の冬の装いを今年分しか知らない。
お返しに、とトパーズみたいな色のマフラーをもらった。薄く長いからくるくると巻いて、外に出てしばらくするとじわじわ暖かくなってくる。
夏に比べて少しフォーマルな服装のペンコを見るのが楽しかった。
彼女のタッセルローファーと私のスリッポンが並んでいる。
廊下で落ち合って階下へ、ひとまず駅へ向かって適当に歩いていった。
「腹減ったー」と、先頭を歩いたり最後尾にいる私のそばへ寄ったりするペンコが言う。
「何食べる?」
「みんなは?」
「俺はなんでもいい、けど、辛いと嬉しい」
「辛いのですか?珍しいですね」
「辛いのかー、いいかも」
「どかっと食べちゃうよりいいかもね」
「じゃ、なんか辛いの探しましょう」
川のそばを歩いている、電話越しでしか聞いたことのない、いつもささらのそばにある川を思った。
早く彼女に会いたい。
ロータリーには車が溜まっていた。
地下へは降りず、周辺から探すことにして、すぐ近くにアーケード街を見つけた。
シャッターを下ろしたままの店が目に付くけれど、それまでに歩行者をほとんど見なかったし、空間から滲んで出てきたか配置されたようにも思えるまばらな人通りはあった。
規模やラインナップから、旅行者を対象にしているのかも分からない土産屋が二軒もある。
あたるちゃんもペンコもそれでも楽しそうな気配があったし、クスノキはあまりにいつも通りだから、居心地の悪さは感じていないようだった。
私は一番後ろから三人を眺めて歩く。
辛いものが食べられそうな店ということで、ベトナム料理屋へ入ることにして、奥まったテーブル席へつく。
片言だけどだけど身振りや視線には何の違和感もない店員がメニューを持ってきて、きまたらよんでね、とキッチンの方へ。
クスノキは「美味そうだけど何か分かんないな」と言って、ろくに見ずにページを繰っていく。
「空いてそうだし頼みながら聞こうよ」とペンコが言って、頷いたあたるちゃんが手を挙げた。
年齢がまったく思い浮かばない店員は「どう?」と言って、私たちはとりあえずフォーを二つと、生春巻きと蒸し春巻きを頼む。
名前からサラダとは思えない濁点ばかりの何かと、「辛いのってどれ?」と訊ねたクスノキとあたるちゃんのフォーが辛くなった。
「どれも、からめできる」と彼は言っていたから、私はコムガーを辛くしてもらい、ペンコのバインカンはそのまま、食後にベトナムコーヒーと揚げバナナ、チェーも二つ頼んだ。
運ばれたどの料理も、滋味とは違った長く緩やかな満足感があった。
中華料理やタイ料理などと比べると、一口目に衝撃的とも思える味がなく、ゆえにか飽きずに食べていた。
ペンコはヌクマムを大量にかけているが、私は香りや味よりも、単にその濃度が苦手だった。
あとで追加した蟹の揚げたのも美味しかったし、普段あまりない食感でおもしろい。
卵料理や鶏肉を食べるたびに思うことと同じで、脱皮したばかりの蟹がどうしてこんなに存在するのだろう?
タイ料理屋でもソフトシェルの蟹のカレーを食べたことがあったし、きっとそこかしこの店にソフトシェルの蟹が使われているはずだ。
一体いつまで脱皮直後の蟹がいるのか。
決して単体では美味しいと言えないコーヒーとコンデンスミルクの組み合わせが堪らなく好きだった。
これ以降でも以前でも、そこで飲んだベトナム式コーヒーを超えるものはないし、油が浮くくらい深く焼いた豆をわざと放っておいて、だからコーヒーの味を雑然と、それだけではいらないようにしてみても、輸入食品を扱う店で何種類かのコンデンスミルクを試しても、そのどの組み合わせも近づかない。
すぐにホテルへ戻るのも味気ないから散歩しようと、全くどこをどう歩いたか思い出せない道を歩く。
クスノキは珍しく微笑んでいる、ようにも見える表情で、くわえたままの煙草を何度も吸いかけた。
無駄な買い物がしたくなる時間だ。
宿の近くの川より二十倍くらい太い川があって、そのそばで煙草を吸ってから帰路につく。
あたるちゃんは駅からここまで一度もiPhoneを出していないのに、宿までするする歩いていった。
私たちは自然に後方へ、振り返るあたるちゃんとぽつぽつ話を続けた。
最寄りのセブンで飲み水などを買い、明日の集合時間を決める。
ペンコとクスノキはホテルの朝食を摂りたいらしいが、私たちはいらなかった。
チェックアウトが十時だから十時集合で、とペンコが言って、そのようになった。
フロントの男は相変わらず眠たそうで、私たちの会釈へ返ってきた動きはうつらうつらとしていただけなのかもしれない。
荷物のない方が狭く思えるエレベーターへ乗り、五階で降りる。
扉の前、「あたるは?どうする?」と、唇の左端でだけ笑ったペンコが訊ねた。
みんなの顔を一瞬で見回して、こっちで、と509を指さした。
「じゃ、おやすみー」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
「おーう」
部屋の中は柔らかく暖房が効いたままで、「鍵二個あると便利」とペンコは言った。
私たちの家より狭い浴室でシャワーを浴び、彼女と交代する。
じきに民謡みたいな節回しの歌が聞こえてきた。
眠いわけでもないのに意識が切れ切れになっていて、ニュースの内容が把握できない。
ペンコがシャワーを浴び終えたことも、大きく跳ねたスプリングで気がついた。
「疲れたの?」
「や、なんかぼんやりしてる」
「疲れてんじゃないのそれ」
「結構元気なつもりなんだけどなー」「旅行慣れしてないのかな」
「それもあるだろうけど、普通に、ちょっと前に怪我してたし、色々」
「色々」「まあ、そうか」「ペンコは?大丈夫?」
「うん、もう全快!」
「今日以外のでは?」
「私も、元気なつもり、てかそう感じてる?」
「うん、そうも見える」
「じゃあそうなんじゃない」
「なるほど」
隣室から笑い声や話し声が聞こえる。
多分509からで、だからクスノキとあたるちゃんの声なのだけど、そうとは思えない。
ペンコはにやにやしながら耳を壁にあて、声を聞き取ろうと努める。
「分かる?」
「んーや、なんにも」
「でもゴムあげたから何か前兆あるかなって」
「なるほど」
岡山県内のそこかしこで事件や事故が起こっていた。
アナウンサーは電報のように淡々と概要を説明していく。
私たちはヘッドボードにもたれかかり、肩を抱き合ってテレビの画面を注視していた。
興味はなかったし-残念なことに-同情も湧かない。
焚き火を眺めることと人集りをビルの高層階から見下ろすことの間にある見方だった。
他人事でもないし自分自身へ引き付けることもない。
疲れているということなのだろう。
いくつか前の事故からあたるちゃんの艶やかな声がすっと聞こえてくる。
その度ペンコは私をちらっと見上げる。
ほとんど動きのない、眉が視界の端で揺れるから気付ける程度の視線だ。
何かしらが軋む音やがぶつかる音も時々聞こえてくる。
私たちは嬉しい気持ちでいて、だからなのか、じっとしたまま、聞き耳を立てるでもなくテレビを見ていた。
クスノキの声、というか、あまりに振動でしかない音は聞こえてくるものの十分の一ほどで、それも今思えばそうだったけれど、その時はもっと広い間隔で壁を抜けた。
私のお腹の上に灰皿を置いて、私たちは煙草を吸っている。
細く開けた窓から、その薄さの刀身のみたいに鋭く冷えた空気が入り込み、シーツの下で汗ばむくらいの足元を過ぎていった。
もう何度も繰り返されたような出来事だったし、またそのような場面に選ばれたことが嬉しい。
私はペンコのつむじ、互いの角度から、そのそばへ鼻先をつける。
汗とペンコとペンコの汗の匂いがして、彼女は私の首、陰った部分へ鼻をつけた。
私も、私と汗と私の汗の匂いがするのだろうか。
次第に様々な音の感覚が狭まっていく。
話し声からするとそれほど薄くはないだろう壁を、やすやすと通り抜ける。
あ、と二人同時に声を出し、だからそれは向こうの二人が動きを止めたことに気がついた。
「もっとあげても良かったな」とペンコが言って、「長いから?」と訊ねる。
「うん、多分、二人ともこのままいきたいってところ何個も我慢してそうだし」
「一個しかあげなかったの」
「うん、もったいないから」
「なるほど」
重なった笑い声が聞こえ、涙が出そうになった。
私はまだ、自分自身が何の最中に幸福を感じるのか明確でない。
ペンコも漏れ出すようにんふふと笑い、私は目線を下げる。
「いいね」と彼女は言って、私の中で多幸感が増した。
目が回りそうだ。
煙を深く吸い込んでみんな誤魔化して、寝よう、と声をかける。
八時過ぎに地震で目が覚めた。
それは間違いで、ペンコがベッドに飛び乗っただけだ。
朝食べいくよーと、私は腕を引っ張られ体を起こす。
背中へ回って押し、端へ擦っていく。
スリッパを履いて立ち上がり、伸びをしてから「私朝いらないよー」と言った。
「いいから」
とりあえず服を着替え、歯磨きして寝癖のまま部屋を出る。
朝食の会場-夜はただの居酒屋-で、同じような二人を見つける。
向かいに座って「おはよー」と、あたるちゃんも寝癖だらけで、「つぐみさんも」と言った。
「どちらにされます?」と、友達のお母さんみたいなおばちゃんが私たちの元へやってきた。
「え、あ、和食で、お願いします」
「じゃあ洋食で!」
「はーい、ちょっと待っててね」
「あたるちゃんは?」
「和にしました」
「俺も」
ペンコは「やったー」と言った。
「何が?」と訊ねると「ちょっとずつおかずもらえるじゃん」と返す。
部屋へ戻ってベッドへ倒れ込む。
宿で出る食事は多過ぎるか足りないか、今回は言うまでもない。
ペンコは互いのお腹をさすって、よく食べたね、と言った。
「あとちょっとで出る」
「まだ1時間あるから寝てな」
言われた通りに、というか言霊だったのかもしれない、瞼を閉じる。
十分前に目を覚まし、ペンコを起こしてから荷物を詰めたり寝癖を直したり、軽くベッドを整えたり灰皿やその他もろもろを片したり、慌ただしく過ぎていった。
ロビーへ降り、無事に四人でチェックアウトを済ます。
いつもより強く感じる陽の中を駅まで歩いた。
小川が異様なくらい煌めいている。
あたるちゃんはまだ寝癖だらけだったけれど、むしろそういうセットにも見えた。
ペンコ以外の足取りが重いのは同じ理由だ。
「まだ直後と変わんない」
「ですよね」
「駅弁は?」
「食べられるはずがない」
「えー、もったいないよー」
あたるちゃんは嫌そうな声で「食べれるの?」と言う。
「余裕だよ」とペンコが返し、えー、と首を振る。
高い建物が少ないからこんなに日差しを感じるのだろうか。
見上げた範囲でもちらちらと雲があるのに眩しかった。
がらんとして大きな駅から、しおかぜ、へ乗り込む。
また並びで座って、今度はクスノキと私、あたるちゃんとペンコ、みんな窓の外の景色を眺めていた。
松山までの二時間くらい、私は見飽きることがなかったが、ペンコとクスノキはそうでもないらしい。
本を読み、ビールを飲んでいる。
あたるちゃんと私は通路を挟んで話しながら、二人ともちらちらと海へ目を向けた。
松山駅へ着く頃にはお腹も落ち着いていたけれど、何かを食べたい気分ではなかった。
ペンコは言っていたように駅弁を食べていたし、クスノキも今すぐ何か食べたいわけではないだろう。
ここから二時間もしないうちに宇和島へ着くことを考えると何も食べない方が良さそうだ。
そんなふうなことをみんなに言って、構内のコンビニにだけ寄ることとなった。
それぞれ適当にお菓子や飲み物を買って、宇和海の待つホームへ向かう。
思っていたよりも宇和海はローカルな気配があった。
岡山とは冷気の質が違っていて、体の芯が冷えていく。
列車の中はこれまでと同じようなものだったけれど、外だけ見ていると通勤通学に使いそうな、しかしまあ使うのか。
そう、だから二人がけの座席が向かい合って配置されていそうな見た目だった。
私とあたるちゃん、ペンコとクスノキで座って、一時間半ほどぼーっと過ごす。
「着いたらささらさんが迎えに?」
「そのはず」
「はず」
「うん、結構ささら抜けてるところあるから」
ペンコは「連絡すれば?」と、クスノキを避けて言った。
「うん、してるんだけどまだ返事ないし、返事あっても忘れてることあるからさ」
「駅から遠いんですか?」
「五キロか六キロ?かな」
「あ、じゃあ歩いていくのは無理か」
「まあね」
「ね、あたる昨日どうだった?」
「昨日」「聞こえてた?」
「めちゃくちゃ聞こえてたよ、ね?」
「まあところどころ」
「じゃあ聞かなくても」
「辱めてやろうと思って」
「なんで」と言いながらあたるちゃんは笑っていて私も、あまりに脈絡がなくて笑ってしまう。
「ペンコ、小さい頃とか、好きな人に嫌なことする人だったでしょ」二人とも、本当に意地の悪い声でないから妙な気がかりがない。
「今もだよ」
「ちょっと気持ちは分かる」
「でしょ?」
「つぐみさんはそんな感じしないけどなあ」
「うん、あんましないようにしてるから、多分」
「すればいいのに」とペンコは言って、何か返す前に背もたれの方へ消える。
クスノキは瞼を閉じ、首の角度からすると眠っていた。
「あたるちゃんは?そういうのない?」
「うーん、そうされるのは気にならないですけど、そういう意味では気持ちも分かんないかも」
「好きな人にそうする人の前例とか存在とかを知ってるからその、それがそうだって分かるけどってこと?」
「うん」「そんなことしなくてもいいんじゃん、とも思いますし」
「うん、それも分かる」
「そんなことしても嫌わないでって思うくらいには思ってる、ってこと?」
「あー、そうかもしれない、だから、そんなことしても嫌わないでしょって高括ってるってわけじゃなくてね」
「うんうん、だから別に嫌な気持ちにならないのかもしれません」
「でも、何かそういうのも関係ない気もする」
「関係ない?」
「うん、そういう、ああだからこう、とかじゃなくって」「ただ単にそうってだけで」
「ただ単にそう」
「うん、私やペンコが、どこでどう育っても、誰から生まれてても、今何をしてても、誰と出会っても」
「分かるような分かんないような」
「何か前提、というか大元の欲求みたいなのがあって、その歪んだ現れ、みたいなことじゃん?今のは」
「うん」「ああ、そういう、変化系みたいなことじゃないってことですね」
「うん、そう、夢占い的なものじゃないっていうか」
「何かそう考えた方が嬉しさが増しますね」
「嬉しさが増す?」
「実はストレートに伝えてるんだって思うと、愛しさが増すっていうか」
「ああ、確かにね」
列車はずっと同じ方向へカーブしているようだ。
体が傾いたまま、自然に元には戻らない。
「でもしないんですか?」
「何か私はペンコみたいに明るくならない気がする」
「それは何となく想像つく」
「だよね」
海を遠く離れ、誰も-と言っても私とあたるちゃんは-窓の外へ目を向けなくなっていた。
お菓子を買わなかった私で、少しずつ空腹感が大きなっていく。
私は、私と澄香に対して考えていたことを新たにした。
根源的な欲望はやっぱり私から、発生していたんだ。
捩くれた形での再現ではなかった。
そう思おうとしていたことこそを、彼女は気持ち悪がったのだろう、とも思える。
言い訳ばっかすんな、と。
ペンコが身を乗り出し「でも、つぐみのいつもの態度、というか、私たちに対する姿勢の冷たさって、変形だよね」と言う。
「しないようにしてる分?」とあたるちゃんが振り向いて、振り返る。
「そうかもしれないけど、冷たいかな?」
「冷たいっていうか冷めてる感じはありますね」
「あるある」
「自覚なかった」「それはでも、変形かも」
「言動はそうでもないけど、態度は冷たいよ」
そうだったっけ、と思うが、「だったっけ」と思った時点でそれはそうだった。
見覚えもない町や風景が過ぎていく。
何を見ても新鮮だったけれど、体感も失うくらい前には見たことがあった。
視界の近くを通るものが少ないからか、風景がゆったりと、だから見えているものとの親和性が高く思えているのだろう、気持ちの中に騒がしい部分がない。
私の考えていることや感じることは、大抵は外側にあって、それで時々、今そこで何を思っているのか分からなくなってしまうのだろうか。
「まあでも突き放す感じはないですよね」
「うん。それはない、かな」
「良かったよ」
にやついたペンコは「言っとくと今もそうだけどね」と言って、また背もたれの方へ。
「そうかな?」とあたるちゃんを見る。
「うーん、どうだろう、何か大体いつも、そんなことないことも分かるんだけど、その分かってるつもりのものより、楽しくないのかな、とか、悲しくないのかな、とか、怒らないのかな、とか、そういうことは思います」
「え、ああ、今もそういう感じ」
「若干ですけど」
「きっと10くらい楽しいんだろうな、って思うけど見えてるのは7だなーって」
「そんな感じ」
「ペンコやクスノキは?」
「あー、ペンコは、その10だとしたら13くらい」と笑う。
「分かる」
「クスノキさんは5だとしら5って感じ」
「それ、私たちと単位も違う?」
「あ、そうかも、なんかもっと目盛りが広い感じします」
「それも分かるなー」
「うん、だからその5が、さっきまでの10の半分ってことじゃないっていうか」
「だね」
車内で話しているのは私たちだけで、ここにいるのも私たちだけだった。
今になってそれに気が付いたのは、多分、車内があまりにうるさいからだ。
路面電車と比べてみても、いや、比べるまでもなく騒音が入り込んでいた。
さっきから遠くに見える白い霞のようなものは雪だろうか。
「あれ雪?」と私は窓の外を指差した。
「雪?」テーブルの上でお菓子の袋をいじっていたあたるちゃんが顔を上げる。
「あっちの方、しろーいとこ」
「あ、雪かも、四国って雪降るんですか」
「知らない、あったかいイメージあったけど」
「ですよね、宇和島もかなあ」
「すぐそこに九州、大分か、あるからそんな寒い気がしなかったけど」
「ひゃー」とシートへもたれ、そのまま瞼を閉じる。
私以外の三人が眠って-ひとまず瞼を閉じて?-ふと尿意に気が付いた。
ノイズからして必要もないのに静かに席を離れ、後方へ進んでいく。
立ってみると振動の激しさも相当なものだった。
客席のあるスペースよりもいくらか古い設備に見えるデッキを抜け、二両分後ろのお手洗いに着いた。
どうしてこうも閑散としているのか。
設計ミスにも思えるほど揺れているし、狭い。
片側の壁に寄りかかったまま、というか体を押し付けたまま用を足す。
トイレを出て歩き始めてから腹が立ってきた。
左右に振られながら、ぽつぽつ座った人たちを通り過ぎていく。
誰もが見るともなしに窓外を眺めていて、その横顔だけ、表情が分からなかった。
二両分歩き、席へつく。
ペンコもあたるちゃんもクスノキもいないし、私たちの荷物もない。
私がトイレへ行っている間に宇和島へ着いたのだろうかとも思うが、まだ列車は走っている。
連絡がないのもおかしいし、体が身動きを取れない。
横顔?
私はお手洗いへ向うとき誰かを見ただろうか。
弾けるみたいに立ち上がって歩き出す。
四両分歩き、クスノキのつむじを見つける。
扉のすぐそばで呼吸を整えて席へついた。
まだ動悸が続いている。
私は明らかに、この三人をこれまで以上に特別だと感じていた。
それは私の制御できる範疇をとっくに超えていたし、これから先もおそらく、どうすることもできないし、するべきではないのだろう。
私とクスノキ、私とあたるちゃん、私とペンコ、とそれぞれで切り分ければ、それに類する人や出来事はあったはずだ。
それが一堂に起こったことはないにしても、それぞれに対してだって、今までにないものが湧き起こっていた。
私にとってのそれぞれが、どうして私にとってのそれぞれなのだろう。
今では私は、ささらのことを忘れている時間が多くなってしまった。
石尾さんだって、佐和子だって、澄香だって、タスキだって、ここに書いていないたくさんの人だってそうだ。
私は実生活で-ここに書いているよりも-彼らのことを忘れていて、考えることができないし、思い出すこともない。
車窓の外では、もう見飽きてしまいそうな景色が流れていく。
持ってきた本へ視線を落としている時間が増えていたし、隣、通路を挟んで隣とその隣、眠っている人たちへ目を向ける時間へ置き換わっていった。
私はさっき、夢占い的なものじゃないっていうか、とあたるちゃんへ言った。
だけど、私がこれまで望んでされたこと、それが澄香へ対して欲望していたことの反射でも間違いではなかった。
それは「今日は普段履かない色のスニーカーにしよう」くらいのものと同じだ。
私はその日の数%、数十%を澄香になりきっていたし、別の日には私でしかなく、また違う時間では澄香でしかなかった。
ただそうしていただけだ。
私は以前にも全く同じことを考えていたはずで、出発点だけが違っていた、道筋もゴールも同じなのに気持ちが晴れた。
「もう着きますか?」と、あたるちゃんの声が聞こえ、テーブルの上で組んでいた指をほどく。
「あとちょっと」
なあー、と伸びて、私は肘掛けを上げて無防備な上半身を抱きしめる。
ひらっと落ちてきた腕の重さを、捻った肩や背中に感じた。
「どうしたんですか?」
「ごめん、何か込み上げてきた」
「寂しさとか?」
「ううん、ざっくり、恋しさ」
「みんなに?」
「うん」
「一回離して」
私は名残惜しくも体を離す。
あたるちゃんは「はい」と言って腕を開いた。
また体を捻って抱き締める。
何かの段階が私の中で変わっていた。
それから何分か後に起きてきたクスノキとペンコも抱き締めさせてもらって、からかわれながら宇和島駅へ到着した。