PENCO.25

 ホームはさっきまでと比較できないほどに寒い。
 全員が上着の前を閉め、体を寄せ合った。
 十分くらい前に返事があったささらは駅前にはいなくって、私たちは建物の中へ戻る。
 タクシーで向かうべきなのか走行中なのかが分からない。
「さっきはなんて?」とペンコが震えている。
「『OK!待っとくねー』って」「でもそれを忘れてるのか向かってくれてるのかは分かんない」
「電話も出ない?」
「今のところ」「既読もつかないね」
「十分くらい待ってみましょうか」
「そうだね」
「寒すぎるー!」
 クスノキは「やばいな」と身震いする。

 積もった雪が舞っているのだろうか。
 駅前の狭い道路が烟っている。
 SLや立った牛の像が見えるが、本当にそうなのかは分からない。
 タクシーや迎えの車が数台ちらほらあるだけで、私たちのような旅行者はあまり見当たらなかった。
 冬の宇和島というのはそれほどメジャーじゃないのかな。
 積雪量としては確かに松山の辺りと比べると少なかったけれど、冷気がさらに鋭く、それでいて滲むように増していく。
「あ、繋がった」
「あれ、もう着いてる?」
「着いたよ」
「ごめん、今から出る!、か、タクシーで来る?」
「じゃあこっちから向かうよ」
「ほんとごめんね、待ってる!」
「うん」「住所は昨日送ってくれたのであってるよね?」
「合ってる合ってる、今日はお鍋だよー!」
「ありがとー、じゃあ後ほど」
「はーい」
「なんて?」
「今から出るっぽいからタクシーでこっちから行こう」
「そうしましょう」

 小刻みに震えながら外へ、一番初めに目についたタクシーへ乗り込む。
 私は助手席で、住所を告げて所要時間を訊ねた。
 後ろで三人は一塊になっていて、特に真ん中のペンコは顔色すら悪く見える。
「ペンコ大丈夫?」
「ぎり大丈夫、じゃない」
「じゃないんだ」「割とすぐ着くみたいよ」

 広々とした道路脇に、椰子の木がすらーっと並んでいる。
 その景色に「おお」とも思うが、雪と相俟って不思議な光景だったし、これが初めての宇和島で見る景色としてはあまりに印象的だった。
 何となくカーブが多いような、ぐわんぐわん車体が揺れている。
 ささらは「食べられないものある?三人に」とLINEを寄越していて、私はまた振り返って声をかけた。
 誰も鍋に入れそうなもので食べられないものはなく、その旨を伝える。
 私は「今日は鍋だってさ」と、前を向いたまま言う。
 長いあいだ車内で待機しているからといっても薄着なドライバーがちらっと私を見、「何鍋?」とペンコが答えた。
「何だろう、聞いてみる」
「鍋って聞くだけでちょっとあったかいな」とクスノキが言って、そうかな、と思いつつ、見えもしないのにとりあえず頷く。
「クエだって」
「クエ?」
「魚ですね」
「でかいやつだろ?」
 ペンコの声だけは揺れたまま、あたるちゃんもクスノキも少しは暖まったようだ。
 私ももうマフラーも取って前を開けていた。
 ささらから送られてきた写真のせいか、そのものを見たわけではないけれど、町に対して懐かしさのような、既視感とは違った感慨があった。
 もう忘れてしまった思い出を、話して聞かされたときと似ていた。
 クスノキが大きな欠伸をして、私に移る、そうしてペンコが小さく欠伸して、あたるちゃんへ移る。
 通り過ぎていく町並みに、きっとずっと家の中やその周囲にいるのだろう、と予想が立てられた。
 それはそれで、私は良かった。
 この旅行を楽しみにし過ぎているようにも見えたペンコやあたるちゃんは、それで大丈夫かな。
 瞼を閉じているのは、まだ寒いのか車酔いしたのか。
「じき着くよー」と、後ろへ声をかける。
「腹減った」とクスノキ。
「今日はお酒飲みたいですねー」とあたるちゃん。
「ストーブとかあるかな」とペンコ。

 ささらの家は、標準的な、と言いたい平家で、生垣から家屋までに広いスペースが確保されている。
 左手の縁側の前には木材が積まれていて、右手にはうっすら雪の積もった燻んだ黄色のカングーが停まっていた。
 藤富、という表札に立ちすくむほど時間の流れを感じる。
 彼女の手を取って、その甲へ頬をつけたい。

 何か音を聞きつけたのか、彼女は戸を開けて「早いじゃん」と、薄手のセーターのまま私たちの元へ歩み寄る。
 小さな荷物、私とペンコのザックを手に、さあさあさあ、と先導した。

 横長の小ぶりな土間で靴を脱ぎ、敷居を跨いだ時点で気付かれた暖かい空間へ、ペンコはほとんど走り出していて、熱源へ向かっていった。
 玄関から伸びる細長い廊下の左右にいくつか部屋がある。
 入ってすぐ右手に台所、その前には溜まりのように広がりがあって、小さな机と二脚の椅子。
 その向かいは広い、十三畳あるのだろうが、詳しいことは全く分からない。
 この家とセットみたいな卓袱台があり、座布団は一枚もなかった。
 多分、本来であれば襖があるのだろう、その部屋から廊下と並走するように奥へ、半分くらいの広さの部屋が続いている。
 だから今は、宴会場か修学旅行先の寝床のように広い。
 板の間には掛け軸があり、雪山と何らかの鳥が描かれている。
 そのそばには何故か、割と大きな薪ストーブがあって、足の下には小さな四角形の板が、畳のために?、敷かれていた。
 ペンコはそのそばにうずくまって震えている。
「ごめんね、ちょっと勘違いしてた」と、荷物を彼女のそばへ降ろしながら言った。
「や、タクシーすぐ乗れたし、大丈夫」
「お久しぶりです」
「あたるー、元気だった?」
「うん、元気です、ささらさんも?」
「超元気、あ、できてるよ」
「お鍋?」
「違う違う、二人のお皿」
「あ、やったー!」
「わーい」とペンコは立ち上がり、その勢いのまま厚手のコートを脱いだ。
「ペンコも元気そうね」
「元気だよ、あ、今みんなで暮らしてるの知ってる?」
「あ、言ってなかった」
「みんな?」
「そう!、私とあたるの住所が変わりましたー」
「クスノキは?」
「いや、俺は前のまま」
「うん、いいじゃん」「どう?」
「楽しいですよ、毎日」
「何か変わった?」
 あまりに広い部屋の中、誰もがストーブの脇に立ったまま、ちょこちょこと動いている。
「どうかなー、生活的には変わんないかも」「ね?」
「そうですねえ、意識的になんかこう締まった感じが、ありますけど」
「うん」
 そうこうしている内にクスノキが板の間の前に腰を下ろし、見上げる目線で私たちを促した。
 ペンコは当然ストーブの真ん前に座り込んで、一人分あけてクスノキ側へあたるちゃん、向かい合うように私とささらがぺたんと座った。
 私は斜め後ろから、あたるちゃんとペンコと話すささらの横顔を眺めている。
 私は、自分自身が知覚していたよりも彼女に会いたがっていたようだ。
 ささらは私の視線に気が付いていて、時折、唇の端でだけ笑った顔を向ける。
 私はその度、ささらのこれから先の幸福を願わずにはいられない。

 一時間ほどゆっくりしてからか、あたるちゃんと私はささらと一緒に台所に立って、クエ鍋の準備を進める。
 クエの処理は終わっていたから、出汁をあたるちゃん、野菜やキノコを私が切る。
 ささらは洗い物を済ませ、小ぶりな稲荷寿司を用意していた。
 彼女はお猪口で何かを飲んでいて、しばらくすると私たちにも勧めた。
「宇和島のってわけじゃないけど、愛媛の日本酒だよー」
「相変わらず飲み続けてるね」
「まあねー」
「あたるちゃん飲む?」
「いただきます」
「じゃあ、私も」
 ささらの使っているお猪口も可愛いけれど、私たちに配られたのもぽてっと可愛い。
 折り曲げた手の窪みにぴったりで、これを持っていたくて酒が進みそうだった。
「美味しい」と眉を上げたあたるちゃんの口へ、ささらは稲荷寿司を食べさせる。
 一言、やば、と言ってもぐもぐしていた。
「飲みやすいね」
「うん、その割に味の情報量多くて楽しいです」
「私もいなりちょうだい」
 ウォルナット材くらい色の濃い稲荷寿司はもちろん美味しい。
 中は酢飯で、油揚げの厚みや柔らかさも完璧だ。
 合わせた日本酒と違って、出汁の後味が強く広がっていく。
「この組み合わせはもう、危ないね」
「でしょ」「最近は結構こればっか食べてる」
「クエ鍋も?」
「クエは、レアだね」「お魚自体は割ともらえるんだけど」
「お仕事は、年末年始は完全に休みなんですか?」
「そうだねー工場が閉まるから、何か作りたくならない限りは休み」
 温かい出汁の匂いが部屋に広がっていく。
 手際良く灰汁を取り除くあたるちゃんと日本酒を飲み続けるささらに挟まれ、白菜と春菊をざくざく切って舞茸としめじをほぐす。
 開け放たれた戸からは二人の姿は見えない。
 私は廊下に出てペンコとクスノキを窺う。
 柱にもたれたクスノキは瞼を閉じたまま煙草を吸っていて、やけに馴染んでいた。
 ペンコはさっき見たままの姿勢で-うつ伏せで肘をついたまま-何かを読んでいる。
「つぐみー」とささらの声、ペンコと私は多分、同時に顔を向けた。
 返事をする前に顔を戻すと目が合ったから、きっとそうだ。
 手招きして踵を返す。
 小走りくらいでやってきたペンコと台所へ戻った。
「いい匂い」
「もうできるよ」
「あ、ペンコも飲む?」と、ささらがお猪口を掲げる。
「三人でずるー」
「ほら、これもあげるから」
 彼女は悶えるように堪能し、そのまま後ろの椅子に腰掛けた。

「煙草吸っていい?」とペンコ。
「あれ、灰皿渡さなか、あ、こっちでね」
「うん!」
「じゃー、これ」と、深い赤でごつごつした手のひらサイズのお皿を渡す。
「ささらは?今は」
「吸うー」、にやっと笑って振り返ったささらにペンコが抱きついた。

 薄い卓上コンロと歪で深い土鍋を持って、卓袱台のある方の部屋へ移動する。
 私は野菜を盛った木製のザルを、あたるちゃんんは丸くて大きな陶器のお皿のクエを、それぞれ手にしていた。
 ささらとペンコはコップやお猪口、一升瓶と緑茶も持っていた。
 それで私は、ここでのささらの荷物の少なさにようやく気が付いた。
「なんか、もの少なくない?」
「え?」と彼女は体を向ける。
「あ、ああ、職場の近くにワンルーム借りてて、大体そっちにある」
「ああ、なるほど」「本すらないもんね」
「そうそう」
 クスノキが卓上へ置いたあれこれを整理していく。
 ぽとぽと落ちるように雪が降っている。
 それぞれに腰を落ち着けて、私は稲荷寿司の載った楕円で平坦なお皿を取りに立った。
 背後から「あ、ごめーん」とささらの声を聞きながら台所へ。
 あらゆる物の配置が家とは違っていて-どれくらいの時間、彼女がこっちで過ごしているのかは分からないけれど-ささらの輪郭が濃くなったように思う。

 私が戻ると、鍋に蓋がされ、待つだけとなっていた。
 稲荷寿司と茗荷を酢でつけたのを摘みつつ、五人がお猪口を傾ける。
 他の三人だっていつもに比べればかなり早いペースで飲んではいたけれど、ささらとあたるちゃんのペースは尋常じゃない。
 互いの近況を、だからようやっと会話らしい会話が聞こえてくる。
 私は片手を後ろにつき、たまに鍋の灰汁を取りながら四人を眺めていた。

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