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 多和田葉子 『言葉と歩く日記』、岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』、アンソロジー『もうすぐ絶滅するという煙草について』を読み終えて、多和田葉子『雪の練習生』、穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』、福永信『コップとコッペパンとペン』を読むつもりでいる。
『言葉と歩く日記』は『雪の練習生』を日本語からドイツ語へ訳す日々に書かれた日記で、何も関係ないと言えば全くないけれど「装画かわいー」と思ったくらいで一緒に買ったのが、その選択が、勘が、読む前から既に、間違ったものではないことを証明してくれているようで、読書の楽しみというか読書の範囲が広がるみたいで嬉しい。それに、『言葉と~』はかなり面白く、日記を読みたい気持ちが増していく。
『わたしたちに~』は『三月の5日間』『わたしの場所の複数』ともに良く、逐一ありありと浮かんできて、久々にずっとわくわくしながら読んで、他のはどんなだろうと思いながら、この二つは、三つのタイトルも含めて、特別なものであって、特別な一瞬の気配が書かれていて、何かに対して良い!と思ったとき「じゃあ」と言って他のものを探り探りするのは何というか、心持ちとして不粋というか、いや、いいんだけど、今回のこれは「この書き方で、まったく別のものを読みたい、あるんだろうか、読みたい!読みたい読みたい!」みたいなのが根元にあって、だからそれが不粋で、良い!と思ったものの周辺をうろちょろするのは、いや、やっぱり不粋だとは思うが、それは普通のことで、普通というかなんというか、それで、好きな町にわりと新しくできた本屋で『もうすぐ絶滅するという煙草について』を買って、読んだ。
 荒川洋治『ぼくのたばこ』、古井由吉『さて、煙草はどこだ』、いしいしんじ『元煙草部』を心楽しく読み、予想通り、荒川洋治の他の本を読んでみたい!と思い、Amazonのリストに何冊か置き入れ、かなり久々に、いしいしんじ読みたいなーと思い、ジュゼッペ!と思った。
 穂村弘の歌集は初めてで、初めてなのに、初めてにしては『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』は異色の歌集じゃないのと思い始めていて、つつ、とても楽しみで、福永信は『言葉と~』から飛んで買い、最初の数行から楽しみで、いつまで本を読める時期が保つかなと心配になっている。
 それで『手紙魔まみ、~』を読み始め「いったいどうして今まで穂村弘の歌集を読んでこなかったんだろう」と思いつつ、チョコレートとオレンジのタルトを食べながら次、次と、!!!!!!!!ってくるのを探し読んで、読み終わった。三章目あたりからどんどんはまり込んでぐいぐい読んでしまった。

『〈自転車に乗りながら書いた手紙〉から大雪の交叉点の匂い』

『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』より


『あー、あー、マイク・テスッ、あいしてるあいしてるあいしてるあいしてる』

『手紙魔まみ、アイ・ラヴ・エジソン』より


『それはそれは愛しあってた脳たちとラベルに書いて飾って欲しい』

『手紙かいてすごくよかったね。ほむがいない世界でなくて。まみよかったですね。』

『手紙魔まみ、完璧な心の平和』より

『爆風で飛ばされてきた草原がじゅうたんみたいにぺろんと掛かる』

『大切なことをひとりで為し遂げにゆくときのための名前があるの』

『手紙魔まみ、キモチワルキレイ』より


『いま、まみは、踊りつかれて(あれ、みなさん静止してたんですか?)ねむるの』

『手紙魔まみ、うれしい原材料たち』より


『こんなにもふたりで空を見上げてる 生きてることがおいのりになる』

『手紙魔まみ、みみずばれ』より


『なんという無責任なまみなんだろう この世のすべてが愛しいなんて』

『夢の中では、光ることと喋ることはおんなじこと。お会いしましょう』

『手紙魔まみ、ウエイトレス魂』より

 短歌は縦書きで読んだ方が何かが迫る感じが強い気が、今横に書き付けているときにして、書き写しながら、読んでいたときと同じように、お腹の辺りに高くて小さい振動を感じる、ヴゥゥンとキィィンのあいだ。短歌は端的に何かのどこかを切り取っているような気が、今のところしていて、端的というのは文字数のことだけで、奥というか向こう側にあるものはたっぷりしていて、それで、何かをちらっと見たりそっと見たりするときって大体横目だなと思って、横書きに写して読んでいると、誰かの何か、何か大切なものを盗み見てる気がしてしまう、今している、それで縦だと何となく向かい合っている気がして、対等になるというのか、盗み見てる感じはしなくなって、その奥というか向こう側というかにあるたっぷりしたものを感じられる、というようなことを思って、短歌めちゃいい!と思い始めている。ただ、『プーさんの鼻』も『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』もどちらも、私小説みたいな響きで、私歌という感じがせず、いや、誰かの、誰かへの歌というのかな、とにかく「私!私私私私!私私私私!の歌!!」という感じがせず、だからこそ読めたのだろうかという気がしてしまっていて、次の歌集はどうしようと途方に暮れかけている。
 笑っちゃうし泣けちゃうし痒くなるよねと言われて振り返ると、後ろの席の若い人と目があって、何についてかは分からないまま、そうだねと言いかけて、目があった若い人の横にいる、今は合っていないがもうすぐ目の合う若い人が座っていて、今やっと目があった人と目が合った途端、横顔、耳の辺りに視線を感じ、それは初めに目が合った若い人の右目から伝わっていて、俺はまたそちらを向いて、そうだねと言ってみた。初めに目の合った利き目が右眼の人が小さな声で、すみませんと言いかけていたのが分かったので、何が笑っちゃうし泣けちゃうし痒くなるの?と聞くと、いや、あの、なんか、音楽とか?なんか、そういう、本とか、そういうので、すっごいいいなあって思うものって、すっごいいいなあって思ったときって、すっごいよすぎて笑っちゃったり、涙でたり、その、鳥肌たったとことか、なんか太ももがきゅってなったとことかが痒くなったり、なんか、そんな、そんなだよねって、話です、すみません、声、大きかったですか?とわりにゆっくりと言ってから、右耳のみみたぶを右手の人差し指と親指で引っ張って、それで俺は、そうだねと言ってから、あ、そうだねはそうだねってことで、あれ、ええっと、その、泣けたり笑ってしまったり痒くなるのがってことなんだけど、そうだねって、うん、そうだね、声は、ぜんぜんぜんぜん、大きくなかったよ、こちらこそ急に、突然すみませんとわりに早口で言って、頭を少し下げた、横にいた若い人は少し口元で笑いながら、俺と隣の若い人を見ていて、見守っていて、どちらかというと隣の若い人に重きを置いて見守っていて、一応の警戒心を俺に伝えるような口元の笑みで、俺はその若い人に向かって、すみませんと言ってから頭を下げ、今は俺の後ろにある机に向き直った。
 若い二人組みがいなくなってから、煙草を偶数本吸って、六本、会計を済ませて新しく出来た雑貨屋でボールペンを奇数本買って、三本、それから一時間後に始まる映画のチケットを買いに向かうふりをして、その近くの喫茶店で瓶ビールを一本飲んで、奇数本、横の横の横の横の横の横の横の横の五階建てのビルに入ってエレベーターの前まで歩いてから、喫茶店に折りたたみ傘を忘れたことに気が付いて、座った椅子の隣の椅子の上に置いたことを思いだして、置きっ放しであることに気がついて、横の横の横の横の横の横の横の横の喫茶店に戻って傘を回収する前に、待っていて到着したエレベーターに乗って五階まで上がり、チケットカウンターの内側にいる若くはない人からチケットを一八〇〇円と交換し、それから待たずにエレベーターに乗り込むことができ、降りてビルを出てから横の横の横の横の横の横の横の横の喫茶店へ向かい、喫茶店の横の横の横のパン屋辺りで折りたたみ傘など持って来ていないことを思い出し、思い直し、横の横の横の横の横のビルに戻って、階段で五階まで上がり、戻り、瓶ビールを買って、トイレに行ってから近くのソファに座って開場時間を待った。
 映画を観ている最中、ほとんど満員で、その場内で、俺が座った席の前に、少し前に見た若い人が座っていて、今ごろ笑っちゃったり泣いちゃったり痒くなったりしてるのだろうかと考え始めてしまい、俺は映画をあまりに観られず、音楽に集中して、サウンドトラックを買うことを決め、前の席の若い人の後頭部を、つむじをずっと見ていて、そのことを後日買ったサントラを聴いていて、十六曲入り、思い出したのだが、最初に目が合った若い人を、それからほとんど毎日、思い出すようになってしまっていて、丘の上にある小さい美術館で好きな画家の素描を観ているとき、太ももがきゅっとなって、反射的にその若い人を思いだし、そのことに笑ってしまい、笑ってしまったことで、また、若い人を思い出し、併設のレストランで名前も知らない貝の身がたくさん入ったパスタを食べているときにはすっかり忘れていて、だから、その若い人が俺の席にやってきて、グラスに水を注いだとき、奥の席の老人が振り返る程度には大きい声を出してしまい、若い人は俺の顔を二秒くらい見つめてから、ちょうど半分の大きさで、あ、といって同時に眉を上げて額に皺を作った。それを見ていると目と目のあいだにも口があって、そこから、あ、と聞こえた気がしたが、何の穴も隙間もなく、その若い人は歯を見せないで笑っていて、それでも、下唇の両端が下がっていたから、喜んでいるのではもちろんなくて、なんとなく照れているような、気まずいような、そんなところで、俺はどうもと言って頭を下げた、若い人はその口許の形のまま頭をくっと下げ、レジの辺りに戻っていった。
 それから、謎の貝の身にまみれたパスタを食べ終えてからということで、それから、ドルチェに洋梨とキャラメルのタルトを食べつつダブルのエスプレッソを飲んでいると、制服でなくなった若い人が前の席の背を持って、ここ、いいですか?と言った、俺はどうぞと言って、若めのウエイターに目配せしてメニューをもらった、そうしてから、別にメニューいらないかと言いながら、目の前に座っている若い人に向けて開いて見せた、若い人は、ありがとうございますと言って、若めのウエイターにブドウジュースを頼み、俺はメニューを閉じてウエイターに手渡し、食べかけだけど食べる?と言ってタルトを見て、若い人を見て、皿を前に押しやった。会計を済ませるまでにあれやこれやと話をしていて、初めに目が合った方の若い人ではないんじゃないかと思い始めたが、間違いなく初めに目が合った方で、そのことを疑っているのは俺だけで、他の全員はきちんと知っていて、その夜は、その初めに目が合った方であるはずの若い人とともに、お互いの家のだいたい中間にある居酒屋とバー、どちらかと考えるとバー寄りのバーで、朝方まで、しこたまビールを飲んで、始発の電車で見送り合った、若い人は四番線から漢字が全部で八個並んだ線に乗って帰った、俺は駅のトイレで二回吐いてから五番線から漢字が六つ連なった線に乗って帰り、連絡先を交換していないことに思い至り、若い人の名前の漢字の画数を数えて揺られていた。
 俺は、若い人とそれから、二週間に一回のペースで朝まで度数の低いアルコールをとにかくたくさん飲む遊びをして、それは年の暮れまで続いて、今も続いていて、俺の肝臓は俺ほど若くはなく、若い人の肝臓ほども若くなく、駅のトイレに籠る時間が今では初日の倍近くになっていて、倍近くというのは倍の手前ではなくて倍を超えたすぐその辺りで、とにかく、俺の肝臓は俺ほどは若くなくなってしまったが、それはいいとして、連絡先を交換することを二人ともが忘れている、思い出せないせいで、俺は、若い人と会いたくなると、そのレストランへ行くことになっていて、月に十二本は観ていた映画が五本近くに下がっていて、それは単純に金の問題で、とは言っても二週間に一度レストランで軽い食事を摂る程度で七本分も変わるわけがなく、それは単に朝まで軽い酒を飲み続ける催しのせいで、でも俺は何故かレストランを原因と考えていて、そう決めた、だから年が明け二度目の集まりの夜に連絡先を交換し、俺は月に二回レストランへ行くことはなくなったが、映画は今月七本しか観ておらず、なんのことはない、朝まで飲み続けているせいで金がないのだ。
 俺は煙草を吸わないが、若い人は吸っていて、俺の肺は俺と同じくらい若く、若い人の肺よりも若い、二週間に一度会うときには、ピースを半箱吸っていて、俺は一口か二口、正確には七口吸って、初めてそのバー寄りのバーのウォークインクローゼット寄りのトイレで嘔吐した、若い人はかなり長い間そのことで笑っていた、俺も笑いながら、もう一口もう一口と言って、その夜はピースを三本半吸い、初めのと合わせて二度と吐いた。それから会うたびにもう一口もう一口が増え、今では集った夜に一箱半吸うことになっていて、俺の肺はすでに俺のように若くはなくなっている、だから、俺は朝まで飲むせいで金がないわけではないのだと気が付いたのだが、若い人に会わない日でも半箱から一箱吸っていて、だいたい一箱で、それで、というかそれらで金がないことに気付き、ようやく振り返ってみると、若い女二人組みの一人と目が合った。

 読むべき、読みたい歌集が思い付かない、見当たらないので、読めなくなっていた穂村弘を読もうと思い『きっとあの人は 眠っているんだよ 穂村弘の読書日記』を読み始め、読めるようになってる!と思い、それを今書いている。ざっと目次を見ると読んだことない本ばかりで、きっと近いうちにこの中から誰かの本を読み始めるだろうと期待と予感で、すでに楽しい。それはそうとまた日記で、『きっとあの人は~』では×月×日と書かれているので、少し感触が違うように思うけれど、それでも、「日記」という語のついたものが巡ってきていておもしろい、どの本を読んでも、読み終わったあとの控えがしっかりあるために苦がなく、とにかくどんどんどんどん読み進められる。
 この一ヶ月、本を読むこと映画を観ること辺りを歩くことが今までにも増して、ひっじょうに楽しい。新しく買った本、映画館での映画、繰り返しに近い散歩が心楽しく、おおむね健やかに過ごせている。読める本や観れる映画や聴ける音楽が増えていくことの素晴らしさを何とか忘れないようにしたい。

 数日LEO今井の『Too Bad/Kubi』だけを聴いていて、もう十年近く聴いているLEO今井の音楽に未だ、所構わず泣き出してしまいたくなるようなものを感じられることに、喜びを感じる。アルバムが出たらとにかく買う!というタイプではないけれど、シングルやアルバムの中から数曲ずつ買ってプレイリストにしてずっとずっと聴いている。『Too Bad/Kubi』を聴くと、思い出せない幼少期の記憶が、思い出せはしないけれど、思い出したときと同じ感触をもって靄がかった姿のまま立ち現れる。不思議な感覚で、聴くたびにぼろぼろ泣き出しそうになりながら面白がってリピートし続けている。

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