Amazonマーケットプレイスで五冊注文。一、二冊分くらいの値段になって、やったー!助かるー!反面、罪悪感でうっとなる。多分読んだことないタイプの本でかなり楽しみなんだけど。書かれたものを読む、ただそれだけで良く、良かないか、でも、映画や絵や本や、なにやかやを通過して、その先で何かを表さなくてはならないということはないのは真実で、いや、事実で、だから何も気負うことなく楽しんでいれば良く、とにかく五冊買ったのを読む。
近所にいい古本屋と喫茶店ができて欲しい。いい古本屋とは淀んだ空気がなく、そこで何もかも揃うということがなく、雑然としていて、それでいて通う過程に店の匂いのようなものがぼんやり体で分かる、といったところで。「あそこは哲学系に強かったよな」とか「伝記物といえばあっこ」ではなくて「この本ならあそこにありそう、これはあっちかな」というようなことが、ぼんやり体で分かるってことで、それは、なんとなーく予感しているのと違ったものに出会したときの喜びを増やしてくれる。そういった店が近所に、せめて一駅二駅くらいの距離にあるといい。
買ったタイミングこそが読むべきとき!という本と買うべきタイミングであっただけの本があって、前者はもちろん、だいたい買った日から読み始めて、とくに滞りなく読み終わる、後者はそれまで読んでいた本や観ていた映画や、まあその他何もかもから選ばれた本なだけで(当然「買ったタイミングこそが読むべきとき!という本」もそうなんだけど)、それで、パラパラめくってもピンとこず、そのまま部屋のどこかに置きっぱなしになり、来たるべき時を大体じっと待っている。書かれていることを読んで体験するものを、別のことで体験していれば読まなくてもいいのかもしれないと、あまりにずっとピンとこない本を捲るたびに思うが、読んでいないので書かれていることを読んで体験するものを別で体験済みなのかどうか分からず、売られも捨てられも譲られもせず、やはり大体じっと待っている。多くの古典の読めなさはきっと己の浅薄さに起因していて、多くの流行している本の読めなさは下らなく詰まらなく似たようなものだからで、古典に書かれていることに対して「知ってる知ってる」と思ってしまいつつも楽しめるのとは違って、「知り尽くしてます知り尽くしてますもうお腹いっぱいです」とだけ思って楽しめず、じゃあ俺は一体なにを読めばいいのかと考えると、揺れる定点から伸びる線を追った先に立っている人の本で、それは尽きず、じゃあ結局、俺は一体なにを読めばいいんだと叫びながら、Tシャツを脱いで駅前を走っていると、真新しい帽子と制服姿の警官にオイ!と呼び止められ、でも俺は止まらず、俺は一体なにを読めばいいんだと叫んだまま走り、だから警官はオイ!と叫んだだけで、彼と俺の違いは上の服を着ているかそうでないかだけで、彼も彼で一体なにを読めばいいのかと疑問に思っていて、俺の背中を追いながらオイ!俺は、一体なにを読めば、いいんだ、と叫び、俺は振り向いて、俺だって分からないんだよ!と叫び返した、それで彼は腰に付いた無線機で他の警官に俺は一体なにを読めばいいのだろうかと通信し、それは走る息の絶え絶えさに途切れ途切れになっていて、おっはいっにをよんめいのうかという言葉を伝えただけで、無線機の先の相手は何を言っていいのか分からず、しかし切迫した空気だけを感じたのだろう、俺は一体なにを読めばいいのだろう?と問い返し、それを俺は、俺たちは一体なにを読めばいいんだ!と叫んできた彼の、たち、から推測したのであり、俺は、知らねえよ!俺も俺が一体なにを読めばいいのか分からないんだよ!と叫び返し、そのときにはもう家のそばまで来ていて、俺は彼を家に招き入れ冷たい茶を出した、彼は、礼も言わずに一息で飲み干し、乱れた呼吸を整えたあと、交番までご同行願うと言い、俺は彼をグーで殴りつけ、泣きながら、俺は一体なにを読めばいいんだと喚きながら、舌先や頬の内側を噛みながら、少し血を垂らしながら、彼を殴り続け、拳銃を取ろうとしたが、それはなく、彼は力いっぱい握った拳を俺の鼻めがけて突き出している最中で、俺はその拳を確実に受け、そう、確実に受け、鼻先が右側にぐにゃりと曲がったまま、彼に冷たい茶を再度出した、彼はそれを二回に分けて飲み、それじゃあ帰るから、戸締りと火元気いつけよと言い残し帰っていった、俺は曲がった鼻先を元に戻し、ぐらついた前歯と一緒にゲロをトイレに流し、鍵をかけチェーンをかけ、ガスの元栓を閉めてから、きちんとパジャマに着替えて眠った。
それで、俺は結局、一体なにを読めばいいのかと考えてみると、そんなことは考える必要はなく、手当たり次第気になったものは買って読んでみればいいのであって、分割、整理、統合するのでなくて、すべてそのままあるままでよく、だから本を読むのは娯楽であり生きる何かの糧であり無意味であり不必要であり必要不可欠であり、あり。
それで今回買ったのは、多和田葉子さんの『献灯使』『雪の練習生』『言葉と歩く日記』と岡田利規さんの『わたしたちに許された特別な時間の終わり』『三月の5日間』で、『読書の日記』で引用されているのが面白くて岡田利規、ここ数ヶ月よく名前を見かけるな、しかも『読書の日記』にも出てきたなということで多和田葉子、多和田さんの方は今のところ『言葉と歩く日記』みたいなのを読みたいというようなことぐらいでしか出てきてないけれど、その前に、そこかしこで名前を見かけていたので、最後の一押しはその程度で充分で、それでこの二人の本をじゃじゃっと買って、もうすぐ届くのが楽しみでしょうがない。とりあえず、読めばいい本は見つかった。