一人当たり十五個くらい稲荷寿司を食べ、三回から四回取り分けて鍋を平らげた。
誰も一言も発さずに寝転がったまま、ただ煙草を吸うだけの生き物だ。
左手の指先がペンコの右手でいじくられている。
動きと言えばそれと灰を落とすために体を起こすくらいで、降る雪と同じくらい静かな時間だった。
薪ストーブと鍋で暖まった体にアルコールが巡っているのが分かる。
さすがに顔を赤くしたささら以外、泥酔に近い。
耳のそばに心臓が置かれていた。
どれくらいそうしていたのか、ばっと立ち上がったささらに声が出そうなるくらい驚いた。
「今日は疲れたでしょー」と言いながら奥へ、床の間の横にある押し入れから敷布団やらを出してくれた。
ストーブのある部屋、窓側に二組、廊下側に三組、生成りのカバーのかかった布団が敷かれていく。
クスノキは一組目が用意された時点で立ち上がり、ゆらゆらと歩いていった。
私とあたるちゃんは洗面所で顔だけ洗ってから部屋へ入る。
当然クスノキはもう眠っていて、ささらはお酒を、ペンコはお茶か何かを飲んでいた。
「おやすみなさーい」と、あたるちゃんはクスノキの隣の布団へ、私はとりあえず部屋の境目の柱にもたれて座る。
「お水かお茶か、飲む?」
「お水欲しい」
「氷は」
「いらない」
足取りも確かなささらを見ているともはや恐ろしい。
「強過ぎない?」とペンコが言って、私は深く頷く。
はいどうぞー、とコップを受け取り、二口で飲み干した。
一体何合飲んだのだろう。
一本目の一升瓶はとっくに空いていて、三升は飲んでいないことは分かるのだけど。
「ペンコは、大丈夫?」
「私もお茶飲んでる」「くるくる」
「ささらは全く?」
「いや、酔ってはいるよ」「真っ直ぐには歩けない」
「そう?」
それは絶対嘘だ。
あたるちゃんとクスノキの寝息が聞こえてくる中、タイミングを逸した私たちは無駄に起きていた。
歯磨きをしに三人で洗面所へ行って、そのまま寝ればいいものを、また卓袱台のところに戻ってしまう。
「明日は何しようか」とささらが言って、どうしよー、「したいこととかは?」、なんだろー、と無意に流れていく。
細い薪を焼べに立ったささらに続き、私とペンコが移動したのは一時間半ばかり経った後だ。
私たちは窓側の布団にもぐり込み、火に照らされたささらの横顔を見る。
「そっちで寝たい」とペンコは言って、私は左手で掛け布団を持ち上げた。
転がってすぽっとはまって、ささらの笑い声が聞こえる。
「ささらは?」「寝ないの」
「シャワー浴びてから寝るよー」「おやすみ」
私たちは返事をしたか、思い出せないくらいすぐに眠っていた。
とてつもない量の鳴き声で目を覚ましたのは昼過ぎだ。
左腕がひんやりと、感覚がほとんどない。
首だけ起こして見回すが、まだ誰も起きていなかったし、鳴き声の主もいない。
そろそろと腕を引き抜き、身震いしながら火を熾す。
和室というのはこれほど底冷えするものなのか。
安定した火をつくるのに苦戦して、布団へ戻るとペンコが起きた。
「おはよー」
「声やばいね」
「飲み過ぎだー」
私は肘をついて彼女を見下ろす。
ペンコのこしょこしょした声は、遠くに見える凪いだ海を思い起こさせた。
「意外と二日酔いじゃないよね?」
「そうかも、声だけー」
鼻先が赤いと何歳も若く見えるが、どういう関係があるのだろうか。
耳と口で話しているみたいに近い。
「みんなは?」
「まだ寝てるみたい」「クスノキは間違いなく寝てる」
轟くようないびきに笑い合って、ついでに合った目が、自然に唇へ滑る。
同時に首を伸ばし、意外に冷たい唇を感じた。
「旅行だー」とペンコは呟くけれど、そうかな。
「そうかな?」
「うん、なんかそんな感じ」「ベルトくらい外して寝なよ」
「そっちこそ」
「あれ」
お互いの冷え切った手が下腹部へ至る。
「お腹壊しそう」とペンコが笑って、私の中に、おどける彼女を黙らせたい欲求が湧いた。
「ね」と言って、指はもう熱くてぐちゃぐちゃした中に沈んでいく。
指先を曲げて手前へ、体に寄せるように手首を動かした。
下唇を噛んで黙ったペンコに、私は暴力的な欲望を抱いていた。
奥歯を噛み締め、彼女の手の動きと自分自身の衝動を我慢する。
二人とも声は抑えていたけれど、泥泥した音がくぐもって響いていた。
「あー駄目だ」とペンコ。
私は徐々に動きを緩め、ぐだっとした彼女から指を離す。
揃ってばたんと仰向けに、深いため息をついた。
足で掛け布団を蹴っ飛ばし、「あっつい」と洩らす。
Tシャツの内側で指先を拭い、「雪止んだね」と声をかけた。
「うん?、あ、ほんとだ」
ひねった首を起点にくるっと、肘をついて仰向けになった。
私は起き上がってあぐらをかき、ペンコの肩に右手をのせる。
「我慢できるもんなの?」
「え、あ、セックス?」
「それもだけど、出してないじゃん」
「今はわああってなってるけど、しばらくすれば落ち着くよ」
「そういうことじゃなくて」
「落ち着かせていいのって?」
「そう」
「や、まあ、私だけのことじゃないし」
「ふーん」と、感情の読めない声で言う。
私は姿勢を低く、小さな声で「ここでしよう」と返す。
にやっと笑ったペンコは立ち上がり、見事な忍び足でストーブのそばへ。
しゃがみんこんでがさごそとザックを漁る。
振り返って三人を見やるが、起きてくる気配はない。
ペンコが戻ってきて布団を頭から被る。
膝までパンツを脱いで、彼女がコンドームをつけた。
それぞれの角度的に、後ろから挿れることにして、その方がもしもの時に都合が良さそうではあった。
根元まで埋め、右肩に顎をつけて息を吐く。
長い間どちらも身じろぎせず、私の痙攣したような、ペンコの伸縮したような、互いの体の働きへ意識を向けた。
ぎがっ、と音がして、一気に収縮する。
私たちは顔を起こし、クスノキの様子を注視した。
最初に弛緩して、それから彼女は顔を下ろす。
体は判断の先にあった。
私は打ち付けないように躙り寄るみたいに動き始める。
ペンコは私の親指の付け根を噛み、私はその痛みへ集中した。
頭の中で、明らかに焼き切れそうなほど熱くなっている部分がある。
柔らかさや湿った温かさが、一部ではなくて全身で感じられた。
誰かが少しでも動くたびに私たちは止まって、呼吸を整えた。
どれくらいの時間そうしていたのか。
その直後はもちろん、今でも正確には分からない。
腰まで布団を下げて深呼吸を繰り返す。
体を巡る空気が冷えていたということは、薪ストーブは消えていたのか。
「あ、やば。生理きたかも」とペンコが立ち上がり、私は微睡んだまま片目で彼女を見上げる。
「まだ起きてて」と言いながらどこかへ。
すぐに戻ってきて「ゴム」と一言、私は急いで取ったコンドームを結んで渡す。
私は自信がなくて体を起こして待った。
尾骶骨からポールが伸びているみたいに上半身がくるくる回っている。
「大丈夫?」
「うん、まだ何も」
「痛み止めとか、ナプキンとかあるの?」
「うん、一応」「旅行中にくるはずではあったから」
「なんか、そういうのあんのかな、刺激されてホルモンのバランスがどうとか」
「多分あると思う、前にもあったし」
「そう、あ、マフラー巻いて寝る?」
「ううん大丈夫、寝よ、もう無理」
「賛成」
私たちはほとんど母音だけで話していた。
どちらも瞼を開けていられなかったし、火を熾す気力もマフラーを取りに行く気力もなかった。
目覚めるとペンコの他には誰もいなくて、割と大きめの火を抱えたストーブと、床の間の前に積まれた布団があった。
三人は隣の部屋で卓袱台を囲んでいて-コンロがついていたから-雑炊か何かを食べている。
体を起こし、彼女を起こさないように布団を出た。
「あー、おはよう」
「おはよう。いつ起きたの?」
「いつって、もう昼過ぎてるよ」
ささらとあたるちゃんの間に腰を下ろす。
「おはようございます」「おはよう。まじかー」
「雑炊食べる?」
「食べたいな」
溶けた雪で光った垣根と、遠くまで伸びた青空が早朝にしか見えなかった。
「あとでコーヒー淹れて」と、私とあたるちゃんへ向けて言う。
食べ始める前に仕切りを閉め、こちら側の窓を開けた。
水気を含んだ冷たい風がゆっくりと流れ込む。
「私じゃあ淹れてきます」
「ありがとー、なんでも使っていいから」
「はい」
クスノキは煙草に火をつけ、後ろ手で体を支える。
「いいとこだね」
「でしょ」「ぼーっとするのも考え事するのにもいい」
「結構こっちにいるの?」
「ちょうど半々かなー」
コーヒー豆が砕かれる音が届く。
ささらを除く四人は、もうこの家に馴染んでいるようだ。
雑炊を二杯食べ、あたるちゃんの淹れてくれたコーヒーを飲む。
すでに帰りたくなくて泣きそうだ。
「今日は天気良さそうだし、初詣行こうよ」とささら。
「近くにあるの?」
「ちょっと歩くけど」
「いいね」
ペンコはそれから三十分後くらいに起き出した。
私とささらの隙間に体をねじ込み、お腹空いたー、と、小さなあくびを繰り返す。
暖かく湿った空気が勢いよく広がっていった。
「あれ、クスノキは?」
「何かちょっと歩いてくるって」
「あ、雑炊食べたい!」
「コンビニとか、行きたいところあったら車出すから」
「あー、じゃあ食べたらドラッグストアとコンビニ行きたい」
私は一応クスノキへLINEを送って、裸足で縁側へ出てみる。
煙草をくわえ、海の気配のある方へ体を向けた。
何となく潮風のような匂いがあるけれど、実際どれくらい近くにあるのだろうか。
火をつける頃に出てきたあたるちゃんは指を組んで体を伸ばし、ふぅ、と息を吐く。
後ろに回したままの手で窓を閉め、「寒いけど気持ちいいですね」と言った。
「うん、四国でも全然違うね、寒さの質が」
「ですねえ、ざっくり南に進んでるのにどんどん寒い」
煙は冬の景色によく合っていて、正しいことをしているような気分になる。
窓越しに聞こえるペンコとささらの笑う声も今の光景と合っていて、私がここにいることを保証してくれているように思えた。
素朴な晴々しさが湧いてきて、私はあたるちゃんへ笑いかけた。
彼女も微笑んで、「朝、どうでした?」と、意地悪な表情へ変わる。
「ばれてた?」
「起きてましたよ」「間接的な仕返しです」
私は何故こうもわくわくしているのだろうか。
「どんな感じ?」
「うーん、してみると楽しくなってきますけど、やっぱ、さあ今から言うぞ!みたいなのが必要です」
「ペンコはかなり自然だもんね」
半分くらい吸った煙草を手渡す。
私とペンコだけの時間だった朝が、あたるちゃんと接続されたことが嬉しいのだろうか?
そうだとして、愛する人に「あった」時間を知られる、知られていたことを知らされることの、何がどう嬉しいのか。
確かさを証明されたということなのかな。
「初詣なんて久々だなあ」と呟く。
裂け目から現れたように煙が浮かんだ。
「私も、多分年変わってすぐ行く感じだよね」
「ぽいですね」
あまりに広い空でたなびく雲へ目線が逸れる。
差し出された煙草を受け取り、静かに深く吸い込んだ。
足も手も悴んでいたけれど、なかなか動き出せないでいた。
私とあたるちゃんは後部座席へ、ペンコは助手席に座って出発した。
クスノキはまだ適当に歩くから、家に帰る頃に教えてくれ、とのことだった。
最寄りのコンビニまでは十五分とかからない距離だったし、ドラッグストア-くすりのレディ-もすぐ近くにあった。
どうしてそんなふうにしたのか、無駄にとしか思えないくねくねした道を進む。
ペンコとささらは家から続いた話をしていて、私たちは黙って後ろに座っていた。
あたるちゃんと私は不意に手を繋いで、何故かその繋ぎ目をぼんやり見ている。
私はまだ、朝から連続した喜ばしさを考えていた。
それは半分以上嘘だ。ただ勘が働くままにしていた。
その都度、私たちを突き動かすものが必ず、体の外のどこかにある。
そのものが予想されることはないし、兆しをちらつかせたもりしない。
ただどこかにそのままあって、私たちが発見するのを、待ってもいない。
汗ばんでくる手のひらに、簡単に情欲が湧いてくる。
ささらは「夜何食べたい?」、と振り向いて、一瞬だけ目線を下に落とした。
続く言葉は私たちが発するはずなのに、微妙な間にペンコが振り返る。
「あー」と、顔の右側で笑って、「また鍋でもいいなー」と前を向いた。
「私も鍋、か焼肉」
「お寿司食べたいです」
「焼肉こないだ食べたじゃん」
「お寿司かー、どこも開いてないかもしれない」
「じゃあ、スーパー行って考えよう」
人差し指の先で手のひらをなぞる。
あたるちゃんは少し体をびくつかせ、瞼を細めて私を見た。
指と指の間、余ったような部分に彼女の薄い爪を感じる。
ローソンに着くまで互いに弄って、エンジンが切られると疲れが押し寄せた。
二人とも呼吸が浅くなっていたようで、外に出て息を吸うと胸の辺りがぴりぴり痛んだ。
ドアを閉め、二枚のリアガラス越しに目が離れない。
横腹に衝撃が、ペンコのタックルで、私は何とか持ち堪える。
「いちゃつきすぎ」と笑う声音で言われ、店内へ。
スーパーへ行くのを加味すると何も欲しいものはなかった。
どの棚も二回ずつ見て一足先に店の外へ、煙草を吸って三人を待つ。
ガラス越しに三人を見ていると三姉妹のように見えた。
ペンコが長女でささらが次女、あたるちゃんは末っ子か次女らしいが、ペンコとささらは長女と次女以外にはありえない。
どのポジションにも特別な印象もないけれど、一度思われるとそれで固まった。
煙草は冬にだけ吸えばいいのかもしれない。
手の中に収まりそうな小さな鳥が飛び去っていく。
甲高い鳴き声に応える鳥もいないし、そもそも周囲に鳥類がいないから、私へ向けて何か言ったのだろうか。
あたるちゃんが先に出てきて、「クスノキくんもいたら良かったね」と言った。
すぐそこのドラッグストア、入り口から散り散りに見て回る。
かなり広い店内だったけれど、一周歩くうちには三人の姿を見かけなかった。
私は空のカゴを持ったまま、誰ともなく探し歩いている。
ペンコを生理用品のコーナーで発見し、彼女も私を見つけた。
「いいのあった?」と、よく分からないことを言いながら近づいていく。
「いつも使ってるのないし何かせっかくだから、と思ったけどない」
私は一つを手に取る。
周期的に日々使うものにしてはバリエーションの多い割に、裏面の説明で理解できる違いがそれほどない。
「ありえないくらい買う気しなくない?」とペンコは言った。
「まあ、ジャケ買い的なのはないよね」
二人で、というか主に私が「これは?」と、あれこれ手にしてみる。
車へ乗り込む前にクスノキへ連絡する。
縁側に座って待ってる、らしく、ささらへ伝えると「鍵かかってないからどうぞー」と言った。
私はそれを送って、ドアを開く。
スーパーはレディから十分もかからない場所にあって、長辺はIKEAとかCOSTCOくらい長い。
奥行きが短いからか、中へ入るとそれほど広くは思わないけれど、それにしたって、あれこれ買い集めていくと疲れることもできる。
カートを押す私の周りを三人がぐるぐる入れ替わっていく。
「だんだん焼肉の口になってきた」とペンコ。
「一応グリルはあるよ」
「お寿司よりお肉かも、でもちょっとお魚も食べたいです」
「私は何でも良くなってきたな、何か干物買って一緒に焼く?」
「あ、それでいいかも」
じゃお肉屋さん行こう、とここでは野菜やら干物やらタレやら、肉以外の何やかやを買っていく。
私はささらに背中を押されるままに進んでいった。
ささらがこの土地でカングーを選んだのは正解だ。
行きと同じく快適な車内のまま帰り道を辿る。
カーブか多いからか、別に覚える意識もなく通ったからか、同じ道なのに全く記憶にない。
今度はあたるちゃんが前で、ペンコと私が後ろだった。
ペンコは私側にある海を見つめている。
遠くに岩の群れが合って、風に煽られた海鳥がその先端に、体は休まるのだろうか、それで?
二人はあたるちゃんの撮る写真の話をしていた。
私はこの数ヶ月、彼女がカメラを持っていること、そのレンズが私たちに向けられることを気にしなくなっていた。
気が付いたらシャッターを押した後だった、というのが多いこともあるだろうけれど、とにかく、そのものも動作も、彼女にぴたっと寄り添っていて、あくびで開いた口を左手で抑えるのや、笑うとできる目尻の皺というよりも横線や、歩いていると左へ傾いていくのや、それと同じだ。
「残したい!っていうか撮りたい!しかないかもしれません」
「向いてんじゃない?」
真ん中の席に詰めてきたペンコが肩に頭をもたせかける。
「無駄なことしてる気になってくる?」
「はい、ささらさんもありますか?」
私たちは黙って海を眺める。
「もちろんあるよ」
「もうお皿なんてこの世にいらないじゃん?」
「数的にはそうかもしれません」
「木切って焼いてさ、朝から晩までどろどろで、そんなことまでしてする意味なんてないでしょ?」
「うーん」
いつもより濃いペンコの匂いがする。
私は何故こうも容易く欲情してしまうのだろう。
クスノキやあたるちゃんやペンコに対して、何かを我慢することが難しい。
「二人とも、残したいって気持ちが強ければ、何か意味付けできたかもしれませんね」
「ね、でも、いらないと思うなー」
どこかを左折して、別の町へ辿り着く。
多分、駅に近づいているのだろう。
ペンコはいつからか眠っていて、小さな声で何か言っている。
長い寝言を聞いたのは初めて、返事しそうに、頭の重さから眠っているのだろうと黙ったが、それで良かった。
「たまたま、誰にでもできることじゃないことで、その中で好きんなったのが何も残んないことなだけだし、そうじゃない可能性もいつかまではあったんだろうし、てかこの先にもあるし、今はそうなってるって、それだけ」
「やりたいこと以外続けられない人でしょ」
「そうですね、きっと。意識したことないけど、思い出してみるとそうだった気がします」
「うん、何しててもあーって思うことあるけど、あーって思う時間ごと好きかもなーってことから選ぶしかないよね」
「そうですね、しかも選べないし」
「そうそう、今これ以外にしたいことなかったらそれをするしかないなーって」
「うん」
「あーってなってそれもしなくなるのは何か悪いじゃん」
「何に対してですか?」
「自分。今日はいっぱい働いて疲れたから甘いもの食べるぞーとか、明日は休みだからずっと行きたかったとこ行こーとか、そういうのも超大事だけど、何か実際それって別に自分を大事にしてるわけでもない気がして」
「そう言われるとそんな気がします、そういう、息抜きみたいなことの方がその、私が聞いたみたいなもっと不特定な何かを納得させるものっていうか」
ぐらぐら揺れる頭は、どうやって支えるべきなのか。
どこに触れても起こしてしまいそうで、肩の角度やお尻の位置で調整するしかない。
「こんな、わたしのざっくりした話が通じる時点であたるはわたし側の人だと思うけど、ま、年上の戯言だと思って聞き流してて」
片側二車線の道路脇には大抵の店が揃っている。
お、と思うようなところはないけれど、生活するには事足りるし、気になるような店もちらほらとあった。
「どっか、コーヒーでも飲んで休憩しよっか」とささらが振り返り、私は小さく頷く。
見たこともないくらい巨大なアーケード街の近くに車を停め、私たちは車を出る。
ペンコはしばらくぐずるように引っ付いていたけれど、しばらくするとはしゃいでいた。
ほとんどの店はシャッターを降ろしていたが開放感がある。
住宅街へ伸びる交差点に建った喫茶店へ入った。
外壁が道に沿ってカットされていて、同じように角の多い店内、正八角形を半分に切ったみたいだ。
「いらっしゃい、お、久しぶり」と、カウンターの内側にたった睫毛以外は真っ白な店主が言う。
「おじちゃーん、ごめんね最近忙しくて」
「仕事の?」と仰向けの手を私たちへ向ける。
「ううん、友達だよ」「上でもいい?」
「そうか、もちろん」「待っててねメニューとか持っていきますから」
「はーい」
狭く急な階段を上がる。
一階と同じつくりで、四人がけのテーブルが二つ、窓際に短いカウンターとスツールが二脚置いてある。
下では扉があった位置に大きな窓がしつらえてあって、商店街やその奥に伸びていく住宅が見えた。
右側のテーブルへつき、店主を待つ。
「いいとこそうだね」と私。
「ね」と向かいのあたるちゃんが言って「でしょ」とささら。
きょろきょろしたペンコは「好きだなー」と囁く。
わずかな音を立てて彼は上がってきた。
「お待たせしました。はい」
お冷と細長いメニューが四セット、それぞれに配られる。
「ありがとう、浅いマンデリンって今日ある?」とささらは首を傾げる。
「ちょうど三日前に焼いたのがあるよ」
「やった、じゃあそれのホット一つ!」
さーっと目を通した私も「あ、すみません私もそれでお願いします」と言った。
「私はアイスコーヒー、えー、コスタリカの中深でお願いします」
「どうしよー」
ささらは「一緒のにする?」と声をかける。
「じゃあそうする!」
彼は終始にこにこと、姪か娘を見るような表情でいた。